02 Reunion
「おっと、今考えてはいけないことを考えようとしていたぞ」
一人暮らしのアパートでベッドの上の独り身の人間の言葉などだれも聞いてやしないのだから、セルフつっこみ入れちゃう。
いつもは六時半には起きるのに、今日はしっかり朝寝坊をして時刻は十時半。小腹も空いてきたような気もするが、ひとまず携帯を触りお笑い動画を見始める。お気に入りの芸人さんの過去ログが見たくて高い動画視聴サイトに課金しちゃったのはつい最近のこと。元カレと別れてから、泣くぐらいなら笑いたいと思い立ったきっかけは私の心になかなか良かった。
一人だから盛大に笑ってやるんだー! とか思っていたのに、笑いすぎて涙でる。
「あっははは! ヒィーやばい! お腹捩れ……っる!?」
人がベッドの上でじたばたと笑いながら動画鑑賞を楽しんでいたというのに「ぐえ」となんとも情けない声が耳へ入った。挙句にベッドがもぞもぞと動いてごろりと転がり落とされるではないか。
「ぎゃ」
「痛ぇなー」
痛いのはこっちだ。誰だなんだとぶつけた頭を押えながら考えるが、こんな状況に覚えがある。
「まーたあんたかよ」
あまり良い記憶ではない。はっきり覚えていた夢だと思いたかったし、ここ何日も夢、まぼろしだと自分に思い込ませて過ごしてきた。ストッキングは飲み会の帰りに脱いでその辺に捨てたのだろう。ゴムは道端のカップルにでも餞別してやったのだろう。
ところで私の部屋にはフローリングに毛足の長いふあふあのカーペット敷いてあるはずなのにどこへいったのかしら? 冷たい床へ伏せったまま顔を上げることも起きあがることも、できることなら永遠にしたくない。
「今度はどうやって入ってきた?」
「これは夢だこれは夢だこれは夢だ」
「俺としても夢であってほしいってのに、あんたの落ちてきた背中がすげー痛いんですけど?」
「聞こえない聞こえない聞こえない」
「とりあえず、“ごめんなさい”は?」
「ごめんなさい……あ、しまった」
しまったじゃない。妙な威圧感出されて、夢の中の人と会話してしまった。もう現実には帰れないかもしれない。
「こういう場合はどうすっかなー……とりあえず警察呼ぶか」
けっ、けいさつ!? それは困る!
勢いよく飛び起きれば、ああ、やっぱりこの間の夢の中の
「いさむ」
「み」
「イエス、いさみ」
なんか違うと思いながらも口に出したけどやっぱり違っていたか。忘れようと思っていたのにむしろ雰囲気だけでも出てきたことを褒めてほしいぐらいだ……とはベッドへ腰かけ長い脚を組んで見下ろしてくるこの男の前では言えない。空気ぐらいは読める。
「マジでお姉さんなんなのか教えてくんない? 幽霊?」
「お姉さん? ……あなた何歳なの? 同じくらいでしょ?」
「じゅーはち」
「じゅっは!? は!? 嘘!?」
言われてみれば、この間は酔っていてまったく考えもしなかったが確かに幼っぽさの残る顔。今着ている服が黒のスラックスに白のワイシャツで、ホストって言われるよりは……高校生にしか見えない。これが夢じゃなければ私は犯罪者の仲間入りだ。
「これは夢だこれは夢だこれは夢だ」
「現実見ろよ。大人だろ」
やけにクールすぎるんだけど。ぼったくバーとかこーやって未成年を利用して大人を陥れるとかあーいうやつじゃないよね?
酒に酔ってたとはいえなんということをしでかしてしまったのか。
「なまえつったっけ?」
「さん、ね。年上だから」
「アァ?」
「いえ、呼び捨てでどーぞ……」
「んで、なまえはどうやってここに入った? 俺、これでも結構敏感だから部屋の扉開けられたらすぐ気付くんだけど」
「どっからもなにも……私、自分のアパートの自分のベッドの上にいたんだけど」
どう頑張って思い出してみても私は本当についさっきまで自室のベッドの上にいた。目の前の彼へ朝起きてからの出来事をイチからジュウまで細部にわたって説明をする。と言っても、十個もしたことなんてない。起きてそのまま携帯見てただけだ。現に今はパジャマ姿だし、携帯だって手に持ったままだ。こんな姿で襲う強盗も泥棒もいるはずはないだろう。それでも目の前の男の怪しむ目が緩まないのは当然か。
でも納得できないのはこちらも一緒。話の流れで、彼にここがどこだか尋ねれば「三門市」だと言うではないか。……みかど?どこ?
携帯で検索しようと開けば私の携帯は圏外。この部屋の窓の外に見える景色は閑静な住宅街なのだから、さっきまで動画を見せていた携帯が突然壊れて電波が入らなくなったとは考えにくい。
私のアパートの住所を告げて勇の携帯で検索してもらうと、似たような名前のお店が検索されるばかりで、住み慣れた街のホームページがヒットすることはなかった。
「どういうこと?」
「やっぱ幽霊か」
「ちがう! ……と思う」
それさえも自信が持てなくなってしまった。私何かあって死んだのか? 突然死でこの見ず知らずの不思議な世界に…………いやいやいや非現実きすぎるでしょ。
でも認めたくはないがどう考えてもこの間の件も今も、一つも説明つけられるものがない。死んでると言われればいっそ納得がいってしまう。
「わたし、ゆうれい?」
彼の目に私はそういう風に映っているのだろうか。真偽を問う必死な目で見ているというのに、勇は私の足首を掴んで持ち上げた。「あだっ」と色気もない声で後ろに倒れて軽く頭をぶつける。「足はある」ってなんの確認だ。いまどき足のある幽霊だっているんだから。
「ねぇ、この間は私どうやって帰ったの?」
「あー…………突然消えた?」
「今の間はなに?」
残念ながらお酒に酔っても記憶は残っていて、どこで誰と何をシたかははっきりと覚えているのに、どうやって自分の部屋へ帰ったかは覚えていない。
「一応確認するけど……私この間、勇のこと襲っちゃった、よね?」
「聞いちゃう?」
にやりと笑う彼を見て、つまり夢ではなかったことを知る。幽霊で猥褻な犯罪者とかそりゃ成仏できなくて当然ですね。神様いまから徳を積むのでなんとかしてください。
掴まれていた足は離されたが、起きあがる気力が沸かなくて天井を見上げる。この間とは違って少し狭いような気がする。といってもあの時は周りを見渡している余裕なんてなかったし、ラブホだと思い込んでいた。改めて見渡せばベッド、勉強机、棚には銃? ライフル? のようなもののプラモデルがいくつか置いてある。漫画やらゲームやらが床に多少は散らばっているが汚いという部屋ではなく男の子らしい部屋なのだろう。
寝転がったまま「ほへー」ときょろきょろと見渡すと強引に腕が引かれて起きあがらせられた。警察には突き出さないでと思ったのに。
「どうせならまた手解きしてくれよ、なまえサン」
両手とも掴まれてさらに引っ張られるとベッドの上で勇を押し倒すようなかたち。甘ったるい声での誘惑は近過ぎる距離で聞こえ体に熱を帯びさせ、またゾクリと震わせもする。
「はっ、離しなさい! 私は社会人! あなたはこーこーせー!」
「大した差ねーじゃん」
そうだけど。年齢だけで見たらそうだけどもだよ。高校生にとって一年生と三年生が違うように、同じ差でも高校生と社会人ではもっと隔たりの厚みが違う。
「も、もし、勇の心に何かあったら、私、親御さんに顔向けできない!」
「は? …………っぷ、あはははっ!」
今だって充分ありえない状況で、ありえちゃいけないことしてしまったのに。もし彼がそれで何かしら傷ついたりしていたらと思うと、私には責任の取りようがない。
って、こっちはこれでも真剣に思い悩んでいるというのに、勇ときたら人の下でお腹を抱えて笑い転げている。
「それ、どこまで話飛躍してんの」
「へ」
「ふーん、責任とってくれる気あるんだ?」
「え? それは……」
勇の片手が私の後頭部へ回り、もっと距離を詰めるように引き寄せた。彼の吐いた息が耳へかかる。もっといえば唇が耳のふちへ掠るように触れた。
“俺の初めてを奪った責任”
私、この男の声が好きかもしれない。
でもそんなことより、甘い声でとんでもないこと言ったよね。“初めて”、とは……ディープキスやゴムの付け方やら、どうりでだよね。再びフラッシュバックする痴態の色事。青ざめていいやら、赤く頬を染めればいいやら。
私の下から抜け出した勇はベッドに私分のスペースを空けて横になる。散々からかっておいてこの男、私から興味が薄れたのか「寝る」などと言い始めている。気ままな奴だこと。
「ねぇ、勇、そういえば学校行かなくていいの?」
「今日は祝日っつーことで」
「学校でいじめられてるの? 登校拒否?」
「ちげーよ。雨。苦手なんだよ。せっかくのセットが乱れるから」
部屋にある卓上カレンダーを見ても私が向こうで過ごした日付けと今が一緒なのかはわからない。それでも、祝日っていうのはなんとなく嘘だろうなということはわかっていた。でも学校を休む理由が髪のためってちょっと納得いかないでしょう。
「もしかして頭痛いとか?」
「今、絶賛素性も知らないけどヤッたお姉さんが部屋に来てんのに、ヤらせてくんねーから」
「あった、あった。飲もうと思って忘れてたんだ」
「聞いてねえのかよ」
体質なのか、夜遅くまで起きていると翌朝頭が痛くなる。それを見越して、明日の朝キッチンまでの数メートルを歩かなくて済むようポケットへ薬を昨夜のうちにしまいこんでいた。結果起き抜けは平気だったし、今現在驚きが先行して頭痛に悩まされている場合でもないので、暇を持て余した薬を勇に差し出した。
「今度は薬物? ますます胡散臭い幽霊だなぁ……」
「辛い時は薬に頼るのも手だ」
しばらく悩んだ末に勇はそばへ置いてあったペットボトルを開けて薬を飲んだ。そこまで見届けてから、確かにこんな状況の見ず知らずの女からもらった薬をよく飲んだなと感心してしまう。怪しいだろ私。他人だし何かあったら加害者であること間違いないけど、私はきみのことが些か心配になったよ勇。
深く考えてないのか、本気で頭が痛いのか。彼は細い目を閉じてしまった。
なによ。必死にあんたのこと考えてる私がバカみたいじゃないの。
「寝るなら携帯貸して。お笑い動画みたい」
「えー……ん。はい」
中を見られて困るとかそんなこと気にしないの? 今時の高校生っていうより、勇がとても変わっているように思えた。
もちろん私イチオシの芸人の名前を検索しても出てこなかった。ニュースを調べても「ボーダー」とかいう縞々そうな名前の集団の「嵐山」というイケメンの話題ばかり。
つまんなくなる頃には私までうとうとと隣の体温につられる。勇の長い腕が背中へ回って、大人しく距離を縮めて目を閉じた。