×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

番外編 Lover's

「知らない!勇のバカ!」

陳腐な捨て台詞をぼけっと朝食のトーストを食べている男へ吐き捨ててから家を出た。
きっかけ?そんなもの些細なことに決まっているじゃないか。前髪を切り過ぎたのを笑われた。その程度で喧嘩しちゃうんだから。

こちらでの生活がようやく半年を迎えようとしていた。微妙な変化ではあるが、少しだけ髪が伸びた。美容院へ自由に行けるほど私の行動が自由になったわけではないし、頻繁に街へ出かけることもできないから、近所以外は勇がいなければどこになんのお店があるかわからないし、出たら最後家へ帰ることもままならない。
気付けば目にかかるようになってしまった前髪。鬱陶しくてはさみで切ってしまえば、途端に視界は明るくなり過ぎた……。整えようにも余計なことをするばかりでどんどん前髪は短くなっていった。
それを見てお腹を抱えてゲラゲラ笑う勇に腹が立って些細な口論となり、上述の捨て台詞に戻るわけだ。

マンションのエレベーターの中で、ぐぅとみっともなくお腹が鳴る。八つ当たりだったなぁとお腹をさすりながら今さら後悔した。苛々してしまったのはこの空腹のせいでもある。今日は精密検査のため昨夜から飲食を控えている。それなのに勇ったら美味しそうにバターの乗ったトーストを食べながら笑って……!
地下へ降りたエレベーターが開くとボーダーへ続く通路。歩く度にお腹が鳴るし、短くなり過ぎた前髪を過剰に撫でつけた。




私の転送してしまう力(能力というか、体質というか)についての研究は目覚ましく進んでいるのだと思う。

以前は泣くと勇のところへ飛んでいたが、今は研究員の方からのアドバイスや何度か繰り返した実験の結果、少しぐらいなら思うままに操ることができる。なんと触れたものを近辺の思う場所へ転送させることができるようになったのだ。もちろん人でも物でも可能。何か物を飛ばすのに近界を超えるとなると勇のトリオンが底を尽きるということも実験済み。

それでも鬼怒田さんには、転送するのに少量のトリオン消費で済んでいるため、テレポーターやワープというトリガー研究へ生かせるとも言われている。
詳しいことはよくわからないがとにかく役に立てるのなら良かった。いくら捕虜とは言え、のうのうとただ飯を食べさせてもらっているのでは気が引ける。

自分ではトリオンを微量しか生成できないので、誰かのトリオンをお借りしなければならないことが難点だ。ちなみに勇以外の人のトリオンを一時的ではあるが使えることも判明した。

他にも、冬島さんの下で事務的な仕事もさせてもらえることになったりと、当然のことながら私の身の回りの生活は一変してしまった。



「次の検査に移ってくれ、みょうじさ――ああ、今は“当真”さんと呼ぶべきかな」

「前の苗字のままで良いですよ。紛らわしいですし」

「そういうこと言うと当真のやつ怒るんじゃないか?」

東さん絶対今わざとだったでしょ。今日の検査全体をメインで担当してくれるらしいが、そんな風にからかわれるなら、今日一日やり辛いぞ。ちゃんと前髪も笑いやがって。
実際には以前の苗字を知らない人たちからは“そう”呼ばれているのだから、慣れていないわけではない。けれど、知っている人に言われるのは違って。少しだけ顔が熱くなるのを唸って誤魔化した。
別に勇はそんなことでは怒らない、なんて言い返したら「お熱いことで」と笑われるのは冬島さんで経験済みだ。
咽奥で笑っている東さんを尻目に、外していた指輪を小物置きから掴みあげた。けれど「すぐ他の検査がある」と言われ、もう一度つけなおすことはせずにスカートのポケットへしまっておく。

この生活で何より一番変わったのはこれだろう。

「当真さーん」

「はーい」

間延びした声で呼ばれ、同じく間延びした声で答える。
呼ばれた部屋へ入りながら、左手の薬指がなんだかスカスカとする感じがした。



私は、当真勇の籍に入れてもらった。

だから当真が今の私の苗字。戸籍上は妻という立ち位置。
私がこの玄界で、戸籍を得るためには誰かに嫁ぐのが、手段の上で手っ取り早いのだと東さんたちが後々説明してくれた。もちろん先にあったのは勇の「結婚してくれ」という言葉。私は薄情な女だから泣きながら「いやだ」と言ったのは今でも笑いのネタにされる。
勇はたくさん私のことを考えて決めたのだと思う。でもそれは私のことを考えすぎてばかりで、勇自身を蔑ろにしていないかが心配だった。面倒見がいいにしてもやりすぎではないだろうか。
勇の家に投げ込まれたあの日、しばらくはお世話になったとしても絶対に出ていくと私は決心していた。どんなに勇に甘やかされても、なだめすかされても、甘んじては絶対ダメだって。
答えを先延ばしにした一月。考えた末にもう一度断ろうとすれば、


「なら、俺と近界に行こうぜ」


消えない私を抱きすくめ、困ったように、でも真剣な表情で駆け落ちしようなどと言うのだ。薬指にすとんと落とされた輝く石のついた指輪を私が一人で逃げないための枷だと、どこまでも優しい嘘を吐く。

だから、正直に願ったり叶ったりだと喜びを表現もし辛くて。もし正直になりでもしたら私はどこまででも浮かれて飛んで行けそうだ。
勇のご両親にもきちんと話をしたり多々悶着はあったが、結局はみんなに容認され、迷惑をかけながら、私は自分の意志の弱さを痛感する結果となった。



指輪をつけなおそうか、どうしようかと悩んでいる間もなく次々と検査やら実験やらにたらい回しされ、やっと落ち着いてランチが食べられたのはティータイムの少し前。

「遅くなってすまなかったな」

「栄養が、胃の中に、染みわたる、きがしますぅ」

東さんと向かいに座り、親子丼の黄色く艶々の卵を体の中へ取り込みながら幸福を噛みしめる。今までこんな美味しい物を食べたことがないと感じるほど美味しい気がしたのだ。

「当真とは順調か?」

「……まぁまぁですかね」

今朝も前髪を笑われて喧嘩したという話をすれば、仲が良いと言われる始末。そう、たぶん、仲が良いしきっと順調ってこういうのだと思う。それを人に見抜かれるのはいささか照れくさい。満面の笑みを浮かべて「幸せです」と言っていいのか。

「内心では、勇が別れたいって言ってきたどうしようかと日々びくびくしてますよ」

「そんな心配が今さら必要……って、でまかせかよ」

そんな心配は必要ないかもしれない。今を楽しむほうが大事だと思う。心の中に浮かぶ「でもでもだって」は、実は冷静さを装うための猫かぶりみたいなもの。大人ぶっているだけだ。
唇を噛みしめるのは悔しいからではなくて、勇のそばにいられることの嬉しさを誤魔化すため。失笑する東さんにはすっかり見抜かれているみたいだけど。

そんなタイミングで「あ、当真」なんて言うものだから、思わず振り向いてその姿を確認してしまうではないか。
遠くにいる彼とかちりと合った視線。今朝喧嘩して出てきたというのに、バカみたいに勢いよく振り向いた自分に一瞬で嫌気がさす。同じような勢いのよさですぐにまた東さんと向き合ったら、机に伏せて笑っている。

「……っくく、みょうじさん、顔赤い」

せいぜい呼吸困難にでもにでもなってください。