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09 Desire

「あいたいなぁ」

 自分の心はどうしたって勇の方向を向いていた。好きでいることを諦めるというか、自分の気持ちには素直でいたいと自分が願っているからしかたがない。
 けれど、好きだと自覚したところで泣くわけにはいかなかった。理由は変わらない。今までは戦闘中に出くわさなかったが、次もそうとは限らない。彼の邪魔をすることだけはごめんだ。自分の命も危険にさらしかねないし、そこを彼に助けられるかもしれないなんて……なんて……ちょっとだけ考えてみたら、それはそれでカッコイイな、なんて愚かな妄想だ。
 とにかく彼の邪魔だけはできないし、私の想像を超えている世界へそう何度も足を踏み入れられるほど自分に勇気もない。彼が私のところへ来る分には良いけれど、私が彼のところへは率先して行けなかった。だって私はどうしたってこちらに戻ってきてしまうのだもの。そんな関係を私から彼へ強いることはできない。きっと自分も傷つくし、勇のことも傷つけてしまう。
 それでも、それでも……会いたい。


 そんなことをぼんやりと考え、声に出し呟いてしまうような感傷的な休日だった。私は気分転換にショッピングへでも出ようかと準備をし終え、グロス塗る前にコーヒーを飲もうと、ニュース番組で一等星が大接近というニュースに視線を向けながらマグカップへ手をかけた。

「あれ?」

 指先はマグカップへ触れていたと思う。それなのに指がマグの持ち手に絡むことはなく、テレビから視線を離せばお気に入りのピンクのマグはテーブルの上になかった。あれ。何かに触れたと思った場所にも何もなく、私の指先は空中で行き場を失っていた。
 一瞬感じる不信感を振り払って、飲み干して流しに持って行ったのかもと結論付けておいてみちゃう。
 そういえばカバンの中に飲みかけの水を入れっぱなしだった。昨日、飲み会の帰りに買ったもので――。

「わっ」

 立ち上がろうとお腹で抱えていたクッションへ手をかけた時だった。クッションが消え去ったではないか。

「いや、まさか……私もしかして寝てんの?」

 乾いた笑い声をひとり上げながら頬を抓れば痛い。とにかく水を喉へ流し込んで一度冷静に――。カバンを開けて水の入ったボトルへ手が触れた途端そのペットボトルも一瞬で目の前から消え去った。
 すごい。もしかして私また変な能力に目覚めた? すでに一つ謎能力があるというのにさらに?
 動揺したっていいはずなのに、どこか冷静な自分がいて。物を消せるぐらいでは今さら驚きはしないのだなぁと順応力が知らぬ間にレベルアップしていた。
 テレビのリモコンに触れてみても、見事に消える。わーすごい。手当たり次第化粧品なんかも触ってみればひょいひょいと消えるではないか。わーすごい。わーすごい。

「さすがにこれは無理かな?」

 ちょっとだけ面白半分だった。悪ノリだった。両手をテーブルへつけてみる。吸い込まれるというよりは消えるという感じ。目の前から無くなった物を惜しむ気持ちは後からやって来るし、そういえばこれらはどこへ消えたのだろうかという疑問も後からだ。

「あ、やばい」

 普通に考えれば、もし私に時空を歪めたり何を行き来させるような能力があるとして、消えたものの行先は私が泣くと行ってしまう彼の元なのではないだろうか。テーブルが無くなってしまった部屋はいやに広く感じ、焦りも助長した。
 ……怪我、しなかったかな。
 消えたローテーブルを惜しむ気持ちもあるが、彼を押し倒すローテーブルの図を思い浮かべて、慌てて手帳とペンを取り出した。手帳を一枚千切って『大丈夫だった? ごめんね』と綴り、そこでまたふと気付く。

「あれ、今度は消えない……」

 そもそもペンを持った時も手帳を触った時も消えなかった。それから他の何を触っても消えることはない。せっかく書いた手紙のようなものも虚しく床にいる。
 何がなんだかさっぱりわからないまま閑散としてしまった部屋の中で、やるせない気持ちで子供のように頬を膨らませた。

 会いたいのに会えない。
 行けるものなら偶然を装って自分が行きたかった。

 自分の感情はぐちゃぐちゃだ。千切った手帳の切れ端に書いた『ごめんね』を消し『バーカバーカ会いたい好き』と意味不明な想いを殴り書いてから、自分の心を押し潰すみたいに丸める。それを拳の中で握りしめて大きな溜息を吐いた。
 出かけよう。無くなってしまったテーブルを買わなければ今夜は床にお皿を並べることになる。化粧品を買わなければ明日はノーメイクで仕事に行くことになる。困ることばかりだ。頭を振った私はネガティブな思考を置いて部屋を出ることにする。
 消せなくなってしまったテレビのコンセントを引っこ抜く頃には、手の中から消えていたことにも気付かずにいた。




 私の新たに開花した変な能力はそれ以来ときどき暴走し、手にしたものを消してしまう。行先は本当に彼だろうか……。違ったらとても迷惑だし、彼であったとしても迷惑だろうなぁ。自分が意思を持ってどうにかしているわけではないから止めることもできない。私としても、こんな変な能力が人にバレないように気を遣うことで精一杯だった。

「雨、さいあく……」

 残業を終えて帰る街並みは、住宅街へ近付く度に静かさと暗さを増していく。雨がしぶいて足元は悪いし肌寒さもある。遠くのほうではドンッと雷鳴まで聞こえるのだから、嫌でも急ぎ足になった。
 雷はこちらへ近づいているのか次第に音の強さは増すし、地響きが足元を覚束なくさせるほどだった。これはもしや昨今メディアを騒がせてる大きな天災がついにきてしまったのだろうか。
 不安定な足元ばかりを見ていたら、不意に目の前が明るくなる。揺らめく朱い光は車のライトとも違うような気がして顔を上げて息を飲んだ。

 ――火事だ!

 雷のせいだろうか。周囲の家は大きな火を上げ始めた。雷は直近で轟き、人の悲鳴が聞こえたかと思うと次々と家の中から人が逃げ出してくる。降りしきる雨の中、私は傘を手放し呆然と宙を見上げていた。


「ネイバー……!?」


 薄らと残像程度の記憶でしかない。東さんに見せてもらった映像にこんな形の敵が映っていたように思うだけで、実際は違っていたかもしれない。
 大きな口のある巨大な塊が一歩足を進める度、大気が揺れて熱風が頬を掠っていく。巨大なネイバーは民家を踏みつけるように薙ぎ倒し、逃げ惑う人を食べているようだった。
 あれは勇たちの世界の物で私の世界には関係のないものだと思っていたのに。恐ろしい光景は嫌でも目に焼き付いていく。
 息を吸い込めば肺の中へも炎を取り込んでいるみたいで、痛くて悲鳴をあげることも叶わず倒壊する瓦礫に埋まってしまったのは一瞬の出来事。

 あっけない一瞬で私の一生は終えるんだなぁ。齢二十数年。楽しいことも辛いことも不思議なことも起こって、正直お腹いっぱいかもしれない。
 思い残すことがあるとすれば……

「……ぃ、さ」

 体が痛い。死ぬならいっそ一息が良かった。足は折れているのか肉が切れているのか、痛いということしかわからない。重く圧し掛かった瓦礫のせいで腕も上がらないし呼吸もできなくなった。
 こんな時くらい助けてと願ってもいいだろうか。

 たすけて、勇。


「――んで、もっと早く泣かねえんだよ!!」


 痛み以外に体を包み込む感覚。滲んだ視界には夜空と紅色がわずかに見えた。
 怒鳴られたのも怒られたのも初めてな気がする。

「い、いさみっ……助けて……」

「ああ」

「街が、壊されて、私家が」

「見えてる。家は諦めるしかねーな。俺んちに迎え入れてやるから」

「高校生のくせになにプロポーズ紛いな……」

「もう高校生じゃねえっつーの」

 一瞬だけ呆れた表情をこちらに向けた後、真剣な表情で遠くを見つめた勇が「撤退だ」と呟く。その意味を考えながら、ついに邪魔したくなかった勇の戦闘中へ飛んできてしまったんだろうな、と私は途切れ途切れの頭で考えていた。
 勇の腕の中はひどく安心した気持ちになれるから困るなぁ。