08 Grasp
「抱きしめたらダメだってわかってんのにな」
恐らくだが、どちらかの“抱きしめる”という行為によりなまえの能力が発動し元の場所へ戻るのだと思っていたが、東さんは抱きしめることでなまえが得る“満足感”が引き金なのではないかと言っていた。曖昧なトリガーだ。
それが判明したとはいえ、出会ってからのことを事細かに聞かれることの苦痛さったらなかった。
原理がわかっていても、あんな風にキスして、求めるように手を伸ばされたら誰だって抱きたいと思うだろ?それが惚れた女なら尚更抗えない。
モヤモヤとする。あの女の匂いや体温に包まれてもっと満たされていたかった。換装体とはいえ心の中で疼く熱までは制御されない。本体は痛いほど勃ってんじゃねぇかとせせら笑う。
「あれ、当真……いつの間に戻ってたんだ? トイレにしては長かったな」
「俺いなかった?」
「ああ?」
「……幽霊に会いに行ってた」
「幽霊? 会いに? ――って、お前まさか!?」
「目が覚めたらあいつの隣りで寝てた」
「それで、GPSは!?」
「バッチリ」
あんなちっこい物を持ち歩くのは金輪際二度とごめんだ。いつもなまえが勝手にやってくるもんだとばかり思っていたから、まさか自分があいつのところに行くとは考えてもみなかった。それでもあの小さな機械が繋がりを作るための手段だというなら肌身離さずもっていた甲斐は、ようやく“功を奏した”ってやつ。
直前まで見ていた夢がなまえと出会った頃のめそめそ泣いているところばかりだったから、それで転送されたのか?でも目が覚めた時には、なまえが俺の頬へ手をやっていた。涙を拭うみたいに。……まさか。俺が泣いたの?
それ以上自分で考えるのは諦めて、東さんと隊長に考えることを譲ってやった。おっさんたち、そういうの考えるの好きだろ?
「乱星国家だな。俺たちも未開の星だ」
「やっぱり近界民だったか」
「こっちの世界に生活環境がとても類似していたのだろうな」
慌てて起動させたGPSの指し示す場所は、次元が違うとかそういうSFでなくて、まーなんとか良かったかなって程度。
さすがに彼女の存在を黙っておくことはできないと判断した二人が上層部へ報告した。なぜ黙っていたのかと言われても、俺が危険だと判断しなかったから以上の理由はない。罰として結構な減点食らったが、そんなのはちっとも痛くなくて、取り返すためにちょっとマジメに戦闘訓練に参加すればいいだけのこと。
「今の軌道はどうやら地球からはかなり離れているな」
表示エラーが出るほど遠くにあいつは住んでいるらしい。さすがに遠征艇で行くにしても遠すぎるというのは俺でもわかる。
わかって良かったなという顔を二人に向けられても、近くなったようでより遠い存在なのだと思い知っただけ。
東さんが採取したなまえのデータを鬼怒田さんたちが詳しく解析し、なまえにはトリオンがほとんどないということがわかっている。そしてその体は不可思議なことに、トリオン体よりもトリガーに近い存在であるということも。全く異なる生命個体。
調べていく中で、アフトクラトルの女兵士がワープトリガーを使っていたが、どうやらなまえは、なまえ自体がそのワープトリガーなのではないか、と鬼怒田さんは仮説立てた。発動原因が感情に左右されていることについては詳しく調べてみないことにはわからないらしい。
なまえだけがそうなのか、それともなまえの住む星の人みんながそうなのか。だとしたら、他にどんなトリガー要素を持った人間がいるのか。鬼怒田さんが興味を持ち上層部が遠征の許可を出してくれたところで、あいつが人体実験なり研究の対象にされるのを望んでいるわけではない。だから積極的に遠征の話を推せもせず。
結局月日が流れるばかりで、行き詰まりな結論に溜息を吐くしかなかった。
「らしくないねぇ。んなに焦らなくても、泣けば会えるだろ」
「もうすぐ成人って男がそう簡単に泣けるかよ」
というか、あれだけ些細なことで泣いていた女がぴたりと一年以上ほとんど泣いていない。コントロールの仕方を覚えたのか。それとも何かを考えて無駄な意地張ってんのか。前者であるほどあの女は理性的な人間だったか?
「お前、意外と一途だったんだな」
「一途っつーか……」
その先の言葉を言い淀む。元隊長である冬島さんは俺のことをこれでもかってほどよくご存知。思春期だか反抗期だかを世話してもらっているだけのことはある。
今では俺も自分の隊を持って下の面倒見なきゃならない立場になったわけで。ガキっつーのは自分が経験してきた以上に何考えているかわかんねーんだなこれが。それなのにこんな面倒くさい性格の俺の面倒をよく見てくれていたもんだと改めて思う。
そんな自分をよく知られた人に途切らせた言葉の先を言うのは照れくささもあったり。
「これ以上の運命的な出会いってなくね?」
「確かに」
クスクスと笑いあった末に「ロマンチスト」とからかわれるのをわかってたから言い難かったんだっつの。
例え他のどんな女がいても、なまえを超える鮮烈な出会いはない。そう再々あんな出会い方があってたまるか。
言葉にはそう表現したが、例えば、あの女と一切知り合ってない状態でコンビニで出会って目があっただけだとしても、俺はきっとその後を追い掛けてあいつの手を掴んでいたんじゃないかとも思う。……出会ってしまったからにはどんな言葉も後付だな。
冬島隊解体後、俺の元隊長さんはエンジニア部のほうに自室を構えている。そこへ俺が入り浸るのはもはや長年の習慣。長いソファーを置いてあるのが悪い。でも、待機時間にダラダラとそこで過ごしているのはついで。今は目的がある。毎日は無理でもできる限り頻繁に位置情報を確認するっていう目的が。
位置情報の検索結果を待っている時に、誰かが扉をノックする。出迎えた先に居たのは意外な人物で、その人は人の顔見るなり固まってやんの。何が視えたっていうのか。
「迅さぁん。久しぶりじゃん」
「よお、当、ま――」
「え、なに?」
久しぶりとは言ったが、どこぞの誰かみたいに一年も会ってないような仲ではない。この人今では小型の遠征艇でフラフラ放浪しているから、帰省した時にたまに顔を見る。しかし今日は人の顔を視るなり、いつものヘラヘラとした態度が一変した。
「なーんか、当真の知ってるっぽい女の人が泣いている……しかもちょっと危ない状況かも」
この人、出会い頭になに不穏なこと言ってくれてんだ。「詳しく」と詰め寄ったこのタイミングで、他の人が入ってきていたら間違いなく揉め事だと取られるだろう。そんなことは考えられないくらい自分の中にらしくない焦りが生じていたのだ。
途端、ガラスが割れるような音がその場を劈いた。すぐに迅さんから離れトリガーを起動させるぐらいには神経が過敏になっていたのだと思う。
「……カップ?」
音のほうへ視線を向けると、俺がさっきまで立っていた場所に床で割れたマグカップと思しき破片が散らばっていた。淡いピンク色の破片に見覚えはない。俺も冬島さんもこんな可愛げのある色合いのマグを使う趣味はねえし、来客用にもなかった。迅さんは手ぶらでこの部屋へ訪れている。……だとしたら誰の物なのか。
警戒も思考も遮るように次々と宙から物が降ってくるではないか。クッション、飲みかけのペットボトル、リモコン、化粧品など。見たことがないようであるような物が次々と落下してくる。
「あ、当真!」
強い力で迅さんに横へ引っ張られて助かったが、がくん、と床へ膝をついた。自分がさっきまで立っていた場所へ落ちてきたのは、これこそ見たことがあるローテーブルだった。
膝をついてしまったのは、引かれたからでも降ってきた物への衝撃や驚きからでもなく、抜き取られたように力が抜けて換装体が勝手に解けたから。今までにない脱力と疲労感が体を襲う。それと同時に、突然の現象も止んだ。
「なにこれ? 冬島さんのトラップ暴走中?」
「自分の部屋に仕掛けるかよ」
視えてたのか、なかったのか。迅さんに慌てた様子はないが見たものを信じられないとでもいうように苦く笑っていた。
恐らく空っぽになってしまったトリオンのせいで気怠い生身の体をなんとか立ち上がらせ、カラカラに乾いた喉で「そういうことか」と呟けるぐらいには納得がいったが、理解はできなかった。今までは自分が飛ばされていたくせに突然物を飛ばしてくるなんてどういう神経なんだよ。しかもローテーブルなんていっそ殺す気か?
「当真!」
冬島さんが確認したなまえのGPS位置情報は、このタイミングでこの星に急接近する軌道を描いている。
悪い予感と今しかないという直感だけが自分を突き動かしていた。