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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -
01 親切な人だと改めたのに


 今日は最悪の一日だ。まだ短い人生だけどワーストに入るほどには最悪。
登校中に車に引かれそうになるわ、しかもそれがすごく怖いおじさんでどなりつけてくるし、難しい問題を先生に当てられるわ、予習してきたと思ったら範囲間違えているわ……極めつけは、お気に入りのシャーペンの破損。大好きなマスコット人形が付いていたものを制服のポケットへ入れていつも持ち歩いていたのだけど、ふと気付けばその存在が居なくなっていた。

「さいあくだ……!」

 ここが家なら布団へもぐりこんで泣きわめいてしまいたい。
 鞄や更衣室、移動教室、今日活動した範囲はすべて探したけれど見当たらなかった。どこで落としたというのか見当もつかない。
 どうしよう……本部へ行く前に一度家に戻ろうか? でもそんなことをしていては、きっと今日の訓練へは間に合わないだろう。となれば、夜道を帰りながら探すしか手はなさそうだ……。

 今日の運勢は最悪以外の何ものでもなく、追い打ちをかけるように悪い事は続く。

「――っあめ!?」

 本部へ向かう道すがら突然ザバザバと降りだす雨。走って逃げ込んだ軒先は警戒区域付近の廃業したお店の軒下。テントシートはボロボロに穴が開いていて、雨のしぶきが飛んでくるからあまりしのげていない事実に泣きたくなった。どうしてこんなに日が悪いのか。
 寒暖差がある今時期、衣替えまでの移行期間中は夏服に冬用のカーディガン。保温機能はあっても今ではただ重いだけ。鉛のようなカーディガンを脱ぎ、湿った夏用のセーラーに風が吹きつけ、思いのほか肌寒さにぶるりと身を震わせる。
 雨の中走るか、止むまで待って戦闘訓練に遅刻するか、非常時でもないのに換装体になって本部長に怒られるか。きわどい選択肢だなあと足を踏みとどまらせていた。


「よぉ。何やってんの、みょうじさん」


 雨の中走るための決心をした足を引きとめるように、明るい声が耳へ入ってきて足元を見ていた顔をそちらへ向けるとビニール傘をさした思いも寄らない人がいた。

「米屋くん……!」

「うわー、あと少しで通路の入口なのに。傘持ってねぇのかよ」

 ずいぶんと情けない顔を彼へ向けていると思う。彼もさすがにこんな私を見捨てきれなかったのか、苦笑いを浮かべてこちらの軒先へ入ってきた。
 同じ学校で、同じクラスにいる彼とは同じボーダー隊員であるにも関わらずたくさん話す仲でもない。でも話さないわけでもない。ただどちらかといえばやんちゃ系に属している彼へ、あいさつ程度はかわしても率先して話しかけはしないかもしれない。
 それなのに、彼は一人雨宿りしている私へ話しかけてきてくれたのだから、自分の中での評価を改める必要があった。
 入ってく? と、雨宿りの意味をなしてない軒下で傘へ入れてもらえる。こんな日に触れる優しさは身に染みて温かい。

「うぅっ、ありがとう」

「そんな泣きそうな顔しなくても」

「今日、とてつもなく、最悪で……でも、米屋くんの登場にすごく救われた!」

「過剰表現すぎっしょ。なにがそんなに最悪だったわけ?」

 雨の中、本部へ繋がる通路へ向けて歩き出しながら、本日の受難について彼へ語りながら歩いた。時々肩同士がぶつかる距離はやや気恥ずかしさはあるが、彼はそんなことを気にもしていないように笑いながら相槌を打ってくれて、想像以上に話しやすいということを知った。

「……でね、そのペン、ご当地限定のやつだったの。すごく大事にしていたから、それが一番ショックだなぁ」

 がくりと項垂れはしたものの、無事に本部へ続く通路口まで来られたし訓練には間に合いそうだから、米屋くんには感謝だ。
 傘を出る前に、彼はこちらへ向いてなんとも読み切れない顔で笑っていた。言うなればニヤニヤと。


「へぇ。でもそれってもう見つからない……って、思うじゃん?」


 彼は傘を持っていないほうの手をポケットから取り出し、「ジャン!」と嬉しそうに見せつけてきた。

「はい、これ。今朝引かれそうになってた時、落としてたぜ。大事なもん見つかって良かったな」

「え……それ……!」

 私はこの時とても驚嘆して声が出なかった。彼のポケットから見知った小さな人形が出てきたことよりも驚いた。
 米屋くんの片方の肩が雨に濡れてシミになっている。軒先からここまで私は雨に濡れることなく来れたのに。どうして今まで気付かなかったんだ……。どうしてこんなにもどんくさくて気が利かないのか。

「よ、よ、米屋くん! 濡れてる! すっごく濡れてる! タオルとかもってないの!?」

「は? え? そっちかよ!」

 米屋くんは私のせいで左側半分の肩が濡れているにも関わらず、私にそれを気付かせず話を聞いてくれていたのか。それなのに私はタオル一つ持ち合わせていないなんて……。
 申し訳なさから、「ありがとう」はもちろん、朝のことを「見てたの?」や人形を「拾ってくれたの?」は後回しになってしまった。

「あ、いや、人形ありがとう! とっても嬉しいんだけど……ごめんね」

「気にすんなって。みょうじさんと相合傘できたわけだし、結果ラッキーじゃん」

「それで風邪引いたらラッキーもなにもないよ!」

 深く頭を下げると米屋くんは困ったように首を傾げて唸る。少し悩んだ末に彼は「じゃあさ」と切り出した。

「お礼ってことで、一緒に写真撮っていーい?」

「……しゃ、しん? なんで?」

「まま、気にせず。ハイ、チーズ!」

 彼はさっさとカメラを構えると、有無を言わせずにインカメを開いて私たち二人を画面の中に収めた。画面越しに見る、雨に濡れてペタリとした髪になっている自分の姿はひどい。あと、画面内に収まるように映るためには必然的に距離も近くて、間近に彼の体温が温かいことを感じて少しだけどきりとしてしまう。
 いったいなぜこのタイミングで写真なのだろうか。そもそもこんな写真を撮って彼に何の意味が? と首を傾げながら視線を向けると彼は嬉しそうに撮った写真の画像を確認していた。そんなに嬉しかったの? お友達いないのかな、もしかして。

「イイ写真撮れた。ありがと、みょうじさん」

「へ? ううん、こちらこそありがとう」

 一方的に首を傾げるしかない私へ彼は人形を手渡してくれる。彼の手に握られていたせいか温かくなっていた。それは自分の心へも伝わる温かさ。米屋くんはとっても親切なんだなとじんと胸を震わせるほど。

「あとさ――」

 通路の中に入ってから彼は傘を閉じ、おもむろに自分の制服の上を脱ぎ始めた。まさかとは思ったが、彼の脱いだそれは私の背中にかけられ体を包み込む。冷えていた体は一気に温かくなった。

「いうほどあんまり濡れてねえから」

 こんなのは換装体になれば問題ないのに。私が風邪を引く心配をしてくれたのか。彼はなんて優しいんだ。少女マンガのような展開が自分の身に起きている嬉しさは頬の熱へ直接変わる。


「透けてるから。今度から雨の日は気を付けろよ」


 すけて、る? 言葉の意味を飲み込む前に、彼は意地悪くにやりと笑い「じゃあな」と走って先に行ってしまった。
 写真、制服の上、すけてる……。
 ぎこちない動きで視線を下へ下げると、セーラーの襟のない部分、つまり薄地の白い胸元が透けてパステルイエローの下着がその模様まではっきりと浮き出ていた。通路中に私の絶叫は響く。
 今日一日で上がった彼への好感度は、上がった時と同じように一気に急降下していった。




「よーねやっ! なに見てニヤニヤしてんの?」

「げ、出水……なんでもねえよ!」

「絶対エロ画像漁ってたろ。なになに? どんなやつ?」

「わ、ちょ、勝手に覗いてくんな!」

「その反応は激しくえっろいやつだろ! すげぇ変な顔してたし」

「変な顔なんてしてませーん」

「ははーん、さてはみょうじさん絡みだな?」

「は!? ちげーし! 早くどっかいけよ弾バカ!」

(わかりやすっ!)





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