13 寂しくないように
「俺、みょうじさんのこと好きなんだよね」
そう告げられたあの日。反応するまでに何秒の間があっただろうか。でもそんなに待たせはしなかったと思う。私が言いかけた謝罪の言葉を遮って「あ、伝えたいだけだから」と、小川くんにこちらの返答を聞く意思はなかった。
「好きなんでしょ? 米屋のこと」
彼が私に聞こえる程度の小さな声でそう言って、一瞬だけ跳ねる心臓。今さらどうにもならないことだとわかっているのに、私はその質問に小さく頷いていた。
「わかった。でも、一昨日俺が言ったことも譲らないよ」
「小川くんに言われたことももっともだと思う。でも私が弱いことに米屋くんたちは関係ない」
「そうかな? 対人戦に明け暮れて、トリオン兵に負けてたら元も子もないよね、ボーダーとして」
「だからそれは! 私が!」
「一緒だよ。俺と勝負しようよ、みょうじさん」
挑発に弱いところも直さなきゃだなぁと思う。私はこの日、小川くんにモールモッドを制限時間内に何体倒せるかという勝負で惨敗した。ここからの始まりには慣れている。でも、あの時のように闘志燃えるような感じは一つもなく、自分の心は地下洞窟の鏡面水のようだった。
米屋くんと友達に戻れないままひと月が過ぎようとしていた。会話も挨拶もしなくて済むように、私が一方的に避けている。最近ではいつも授業中にこっそりと横顔を盗み見るだけ。視線が合わないようにちょっとだけ見てすぐに逸らして。感情を上手く隠せたらいいのに、そういうことは全く不器用な私だ。
こんな行動だけで私が米屋くんをどう思っているかは丸わかりらしいから、小川くんに気付かれたように、他の人にまで気付かれないよう気を付けなければならない。
「みょうじさん、あっという間に強くなったね」
人の集中に水を差すような声。仮想空間へ入ってきた小川くんが笑っている。
このひと月ぐらい何匹のモールモッドやバムスターを倒しても強くなったかなんて一つも実感は沸いていなかった。淡々とこなしていくだけ。自身の強さやトリオン兵のタイプに合わせてセットトリガーを変えてみたところでそれは変わらない。ラービットだけはまだ上手く倒せないけれど。
米屋くんたちと戦っている時みたいにワクワクしないなー、なんて。防衛任務にワクワクなんて必要ないし、思ってはいけないことなのだろう。米屋くんはトリオン兵と戦う時どう思ってるのかなぁ、なんてもっと考えてはいけないこと。
「米屋たちも実践じゃ結構手こずるみたいだし。案外みょうじさんのほうが強くなってたり」
「――バカにしないでくれないかな」
自分が出そうと思っていた以上に冷めた声だった。小川くんのことは嫌いではない。けれどこうやってわざと煽るようなこと言ってくるのはどうかと思う。
「ごめんごめん、きみの師匠を貶すつもりじゃないんだよ」
表情を崩さない彼はたぶん本気で謝ってない。師匠じゃないとも貶しているじゃないかとも言葉にするのは億劫だった。
彼は米屋くんたちが実際に防衛任務で戦っているところを見たことがないから、本当に強いかなんてわからないと言う。A級というのも三輪くんの名前があるからで、三輪くんのことも城戸司令のお気に入りだからとかなんとか言って。言い返したところで、私は彼より弱い。小川くんに敵わない私がどれだけ言い返したところで意味はないのだ。
強く、もっと強くなりたい。せめて“彼”へ届くぐらいに。
まさか午後から雨が降るなんて天気予報でも言っていなかった。お母さんが「傘持って行ったら」と言っていた予報のほうがよっぽど当たるなぁ。しかたなく持ってきていたタオルを頭に被って意を決するタイミングを見計らっていた放課後の昇降口。
「みょうじさん、本部行くなら傘入れてあげようか?」
「小川くん……ううん、大丈夫だよ。今日はまっすぐ家に帰る」
一瞬だけどきっとしてしまったのは、あの日から雨の日は気を付けるようにしているからかな。今思えば笑えてくる出来事も回想するばかりの思い出。話を逸らすように「そういえば」と切り出した。
「ずっとお礼を言い損なってたんだけど、医務室に運んでくれたのって小川くん? 家にも電話してくれたみたいで……お母さんがお礼言ってた」
ベイルアウトしてからの記憶がなくて、お礼を言う相手を探していた。けれどお母さんってば誰からの電話だったか名前も聞いてないし、医務室の人に聞いても「男の子だったけどなぁ」とあやふやな記憶で、はっきりとしないから忘れかけていた。
「……あ、うん……どうってことないよ」
小川くんの返答には少し間があって、視線も逸らされる。え、もしかして重かったとか、暴れたとかしたのだろうか?
「へぇ、それってあんたがやったことだったっけ?」
びくっと肩が震える。ずっと雨の降る外を見ていた視線をゆっくりと後ろへ向けた。声で誰かなんてわかっていた。わかっていたから心臓は加速する。彼らしからぬ威圧的な声音に、横へ並んでいた小川くんの空気も変わる。
「人の手柄も自分のもんってか?」
「っな、なんのことかな……みょうじさんまた」
小川くんは一度だけ取って付けたように笑って雨の中へ傘を差し行ってしまった。「おー、逃げたな」とにやっと笑う彼に釘付けの私は思わずタオルで口元を隠す。
今のやり取りはどういうことだろうと考えて、あの日のことを思い出す。彼の腕の中にいたような気がしていたのは、ずっと自分の都合の良い夢だと思っていた。もし夢じゃなかったのだとしたら……。一瞬で体中の熱が沸騰したような気がした。
「ご、ごめんっ……米屋くんだったって知らなくて……!」
「いいよ。熱、すぐ下がって良かったじゃん」
お礼を言わなければと思うのに上手く言葉を発せない。今まで米屋くんとどうやって話していたか思い出せないでいたら、他クラスの女子が昇降口へやってきた。
「あ、米屋〜! あんた傘持ってんなら貸してよ」
「ダーメ。他に先約があんの」
「気をつけて帰れよ〜」と気楽な声で手を振っている。……女の子と仲良いね。さっきまで上がっていた熱も今では虚しさのほうが広がって、やっぱり話すことなんてないやと思い直す。雨の降る空の下へ足を踏み出した。心の中にあるわだかまりも、嫌な自分も洗い流してしまいたい。
「なぁ」
呼び止める声は雨音に掻き消されたことにして無視してもよかった。よかったのに、私は足を止めてしまう。
「さっきのやつと付き合ってるって、ホント?」
「え?」
「オガワ、っていったっけ。あいつ。付き合ってんの?」
「……えっ? つきあう?」
「だからぁー……好きかってこと!」
もう一度彼へ向き直ると、被っているタオルが視界を狭め、彼だけが視界に入る。いつもの飄々とした様子ではない。眉間に皺を寄せていて顔も少し赤いような。私の考察を遮るようにもう一度「どうなの?」と急かすから、ゆっくりと首を横へ振った。
確かに最近本部では一緒にいるけれど、それはトリオン兵と戦う訓練のためであって他の気持ちはない。どちらかといえば冷めた感情さえむけているくらいだ。付き合うなんてそんなこと絶対にありえない。
でも米屋くんはどうしてそんなことを聞くのか。
「あそ。そんならいー。ハイ」
差し出される米屋くんの傘。雨足は弱まる気配がないし、彼がもう一本傘を持っているようには思えない。それにさっき先約があるって言ってたじゃないか。
「待って! ……なんで」
「また濡れて帰んの?」
「違う! そうじゃなくて」
そうじゃない。あの日から私は、ごちゃごちゃしたカバンの中に折り畳み傘を入れるスペースはないけれど、タオルは必ず入れている。最悪濡れて帰っても大丈夫なように。傘なんてなくたって平気だよ。
でも聞きたいのはそういうことではなくて。
「特別だからじゃん」
戸惑う私へ近寄った彼は、押し付けるようにして傘を渡してきた。
「あんなことして簡単には友達に戻れねーよな。ごめん。もう少しでいーからさ、……ちゃんと諦められるまで、オレの中でなまえを特別にさせといてよ」
近くで私にだけ聞こえるよう「また明日な」と言って、にっと笑う米屋くんは雲間へ射す太陽にも見えるほど眩しくて。固まってしまった足は離れていく背中を見つめる。走り出した彼を、私はどうしてか追いかけられない。
好きだと気付いているのに、米屋くんはとても遠くにいた。
[ 13 寂しくないように ]