11 気持ちを聞かせて
※この回からモブの小川くんが出てきます。
彼がどういうつもりで「友達で」と言ったのかわからない。だって、こんなのどうやったってもう友達へは戻れないのに。
部屋のベッドから起き上がれないでいる。お風呂から上がって、髪も乾かさずご飯も食べずに潜り込んだまま。お母さんが心配して覗きにきてくれたけど「大丈夫、なんでもない」としか言えなかった。
「ちっとも大丈夫なんかじゃない……」
ぽたぽたと枕へ水滴は吸い込まれていく。涙なのか髪から落ちた水なのか。自分の唇を噛みしめたって、触れた時の感触が残っていて苦しい。
「特別じゃないってわかっている」と言った私の言葉を少しでも否定してほしかった。私はやっぱり米屋くんの特別ではなかったのだと改めて思い知らされてしまったらしい。他の誰とも変わらない友達なのだと。
それならどうしてキスなんてしたの……?
酷い私は自分の中で何度もそうやって米屋くんを責めて、でもそうじゃないと違う声もさせている。加古さんや黒江ちゃんやクラスメイトの友達にもあんな風に簡単に触れたり手を繋いだりキスしたりするのだろうかと、勝手な妄想で嫉妬しているだけだ。米屋くんは誰にでも優しいけど、そんな不誠実な人じゃない。
突然のことに驚いて、特別だと言ってもらえなくて、明確な言葉をもらえなくて、自分の気持ちを“友達”だと偽って。そうやって全部私の中の都合を米屋くんに押し付けているだけ。
友達でいようって言ったのに友達でいられなかったのは私で、友達から崩れたら怖くて逃げ出したのも、最低な私だ。
一睡もできないまま浴びる朝日はいつも以上に眩しく頭に響いた。今日は午後から防衛任務が入っているというのに最悪だ。昨夜、髪を乾かして寝なかったからだろう。
お母さんに頼んで学校は休ませてもらった。お昼まで寝ていれば大丈夫だからと言って防衛任務には行くことを伝える。自分の不手際で休んでいいほど防衛任務に責任を感じないわけない。私が言葉にしない多くの事を察して、無理しないようにと心配してくれる母は優しいなと改めて思った。
家を出る時間はぼんやりとしていたらあっという間にやってきていて結局また一時間も寝られていない。体温は微熱程度、任務に出られないほどではないなと判断した私は緩慢な動作で着替えた。全ては自己管理のなっていない自分が悪い。
換装体になれば風邪なんて関係なく動けるだろうと思っていたのに、痛みはなくとも思考は鈍っている気持ちの悪い感覚に苛まれる。周りにはそれを悟られないように精一杯集中していた。
しかし目の前のトリオン兵が、そんなこちらの様子を察して引いてくれるはずもなく迫りくる。シールドを張り遅れた私の右肩から下はきれいに消し炭にされ、体勢を崩している隙に、あんぐりと開いた口が降りてきていた。オペの子やリーダーの東さんが何か言っているが、脳へは届かない。動けず宙を見上げているだけ。車に轢かれそうになったあの時と同じように、声も出せないほどの恐怖だった。
真っ白になっていく思考の片隅で、助けてほしいと一人の人物を思い描く。どうして今、思っちゃうんだよ。涙の流れない換装体の目頭を押さえた。
「みょうじさん大丈夫?!」
口の中へ放り込まれず、巨大な頭は私を避けて地面へ落ちる。旋空弧月で真っ二つに斬られたバムスターを私は呆然と見つめる。一瞬本当に彼がきたのかと錯覚してしまっていた。……そんな夢物語みたいなこと、あるわけないか。
動けない私を抱えるようにして立たせてくれたのは、この前個人戦しようと声をかけてくれた小川くんだった。あの時は出水くんに引っ張られて雑に断ったのに、彼はそれを気にせず親切だ。
「っあ、りがと、ごめん……」
「大丈夫か、みょうじ!」
混成チームの他の子と、遠くの狙撃位置にいるはずの東さんさえ私の所へ駆けつけた。何があったのかとか、どうしたのかと聞かれる。それもそうだ。普通のB級隊員なら手間取るはずがない。自分の非は明らかで、足を引っ張ってしまってごめんなさいと謝ることしかできなかった。
東さんと一緒になるのは三回目で、色々とアドバイスをくれたり声をかけてもらったりしていたのに、今回はさすがに呆れられたかもしれない。
「みょうじさんさ、いつも米屋とばかり戦ってるから。あいつの癖には強くなってても実際の敵は違う、っての忘れてるんじゃない?」
そう冷たく言ったのは、他でもない親切なはずの小川くん。自分たちボーダーは個々の技術を磨くのは勿論だが、戦う相手は近界民なのだと彼は主張する。その言葉はいやにぐさりと胸へ刺さった。東さんが小川くんへ言いすぎだと制しているが、小川くんの言うとおり。私は米屋くんに固執しすぎていたんだ。だから、悪いのは私であって、米屋くんたちが悪いわけじゃないんだよ。
そう言葉にする前に、私の体温が異常値を示しているとオペの子から東さんへ連絡が入る。熱が出ていることがバレて下がるように強めに言われてしまっては引かないわけにはいかない。なにより片腕からトリオンが漏れ出る状況はベイルアウト間近だった。
逃げの言葉を呟いて、目を開ければあっという間に簡易ベッドの上へ体は落ちていた。吐きだす息も体も熱いのに、寒くて身震いする。酷いほど頭は痛み立ち上がるのがやっとだった。
『あとは俺たちに任せてみょうじさんは休んでて。……それから、米屋たちのこと少し考え直した方がいいよ』
小川くんからの最後の通信は耳に入るだけで返事はできなかった。こんなにたくさん考えているのに、これ以上なにを考え直せばいいのか一つも見当付かない。でもこんな風に言われる自分の未熟さにたまらなく苛立った。
親へ連絡して、医務室で休ませてもらって、頭の中でやることを思い描くのに、心には悔しさばかりが込み上げてくる。重い身体を引きずって部屋の外へ出れば大きな声で呼ばれた。今は一番会いたくなかったのに。それともこれは自分がまた都合よく思い浮かべているだけなのかもしれない。
「なまえ、なまえっ? ……やべぇ熱いんだけど、どした?!」
「ごめ、ちがうの……よねやくん、ごめん」
息を吸うと米屋くんの匂いが体に入って、どっと感情が溢れかえってしまう。
ごめんね。私のせいで悪く言われた。私が弱いから。
助けてと、米屋くんの顔を思い浮かべなくて済むぐらいに強くなりたい。
「つよく、なりたい」
痛みが響く頭は平衡感覚もなにもなく、視界はまるでプールの中。誰になにを言っているのかもよくわからなかった。
目が覚めた時には家のベッドの上だった。高熱だったが、医務室で点滴を受けた翌日にはある程度落ち着いたみたい。薬が効いてぼんやりとした頭で下の部屋へ降りるとお母さんに「ちゃんと髪を乾かして寝ないから」とお説教をいただく。
沈んだ心は変わらないけれど、迷惑をかけた東さんには連絡を入れておかなければと思い立ちメッセージを送った。すぐに既読が付いていくつか言葉を交わした終えようと思っていた時にもう一通届く。
『小川がお前に謝りたいって。連絡先を教えてもいいか?』
謝られるどころか私が謝らなくてはならないし、誤解も解きたい。東さんからは『ダメなら断るぞ』と続けてきたが、教えてくださいとこちらから頼んだ。
それからしばらくして小川くんから連絡がきて、『会って謝りたいんだけど、明日は本部に来れそう?』と丁寧な対応に少し驚く。比べるわけではないが、米屋くんや出水くんとは接し方が違うなと思ってこぼれた笑み。でもすぐに後悔やどうにもならない遣る瀬無さに苛まれてしまうのだけど。
「お待たせ、小川くん」
どちらかといえばいつも待たされることが多いから、待ち合わせ場所にすでに相手がいて驚いた。待ってないよ、と笑われることにも。
昨日一日休んですっかり良くなりはしたが今日も一日学校は休ませてもらっていた。小心者の私は背徳感から、待ち合わせ場所が個人戦ラウンジではなく戦闘訓練室で、人目の少なさに安心する。とはいえ、個人戦以外のところでも励んでいる隊員がいることに改めて驚いて周囲を見回した。個人戦にこもっていたから知らなかったが、仮想のトリオン兵相手に訓練している隊員も当然ながらたくさんいる。
「体調、大丈夫?」
「今日も学校は休んだけど、この通り。大丈夫だよ。この間はご迷惑をおかけしました」
「ううん。俺のほうこそ酷いこと言ってごめん。この間、個人戦断られちゃったからイライラしてたんだ。ただのヤキモチ」
「え?」
へらりと表情を崩して笑う彼のヤキモチとは? すぐに聞き流せば良かったのに、その単語に固まってしまった私を見て小川くんは頬を掻く。
「わっかんないかなー。俺、みょうじさんのこと好きなんだよね」
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