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10 距離を詰めて


 想像以上のダメージ。フラれたわけではないと自分に何度言い聞かせても拭えないほど、なんかやっぱ痛い。

『米屋くんとはずっと友達でいたいから』

 オレの行動があからさま過ぎてウザかった? なまえが事故りかけた、雨の日に相合傘をしたあの日以降の自分の行動を思い返して恥ずかしさに唸りたくなった。いや唸ってる。だって好きなんだもん。しかたねーじゃん。
 ずっと可愛いなぁ程度だったのに、少し距離を縮めたら、もう一歩、もう一歩、って止まんなくなっていた。気が付いたら手を掴めるほどの距離にいたのに、なんでかなまえのほうから離れていく。
 好きだと確信するために他の女子と比べてみてもなまえは違った。髪切ってイメチェンしたクラスの女子に「可愛いね」って言ってみたけど、その子の照れ笑いも確かに可愛いとは思ったのにそれだけだった。なまえの時みたいに、言うのに一瞬戸惑う気持ちもなければ、返された笑顔に胸がギュッとなることもない。雨に濡れた色っぽさを思い出して熱が湧くようなこともない。なにより、他のクラスの女子と個人戦したいとか斬ってみたいとか思わねーもん。なまえとなら、いくら弱っちくてもいじめたいと思っちゃうし、手加減しねーし一勝もさせてやれないって思ってんのに、換装体で転落しかけただけで助けようとしちゃう自分の意味不明さ……。

(ヤベー、これって相当好きじゃね?)



「槍バカ〜お前今日数学の時なに考えてたんだよ。教科書開いて頭抱えてるお前を、先生がめっちゃ怪しんでたの笑えたんだけど」

 気が付いたら終わっていた数学の授業。休憩時間に出水がわざわざやってきて人を嘲笑う。笑えねーよ。こっちは真剣に考えてんのに「米屋くん、質問があるなら聞きますよ?」なんてバカなこと聞いてくれんなと思った。「好きな子に友達宣言されたらどうしたらいいんすか?」なんて聞けねーじゃん。多感な時期の男子高校生の悩み甘くみねーでよ。
 オレの真剣さは出水にも伝わったのか、「え、マジでどした?」と焦りの色を浮かべた。

「なまえに……ずっと友達でいたいって言われっちゃった」

「は!? ってことは告ったのかよ?!」

「うんにゃ。なんか知んねーけど突然」

「いや、まさか……そんなわけ……」

 このタイミングで言われたってことは牽制されてるって思っちゃう。付き合う気はありませんよ、抱いている好意はそういうことじゃありませんよ、と。そうだとしたらオレはこれ以上すすんで距離を縮めることはできなくなるわけだ。
 出水はしばらく考え込んだ後「偶然だし、それに意味はない」という。そうだろうか。

「可哀想なオレを個人戦で慰めてね」

「告ってもねーのに可哀想もなにもないだろ」

 それはごもっとも。まだフラれたわけじゃない。なまえは、告白を断るのが面倒で前もって“友達でいよう”と言えるような計算高い人間ではない。少しずつ崩していけばこちらに転がってきてくれるような、優しい人間。
 そんでオレは、物事をハッキリとさせたくなる人間。





「米屋、お前プリント終わってないだろ。それ終わらせて提出してから帰れよ」

「げ! 先生、なんでオレだけ?!」

 放課後の特別補習が終わり急いで帰ろう(といっても本部へ個人戦しにいくだけだけど)としていたのに、先生に呼び止められる。特別でありがたーい授業と教科担任お手製教科プリントを、六限まで授業を受けた後に取り組まなければならないオレたちは並みの学生より勉強させられてる気分。
 他の奴らはさっさと荷物をまとめて帰っていく。こんな面倒な数学のプリントあんな短時間でみんな終わらせてんの? 出水がいれば答え(正解不正解問わず)聞けるのに、今日に限って防衛任務で不在。
恨みがましい目で見たところで、ダメなものはダメらしい。この間の日本史の先生に「うるせー」って言っちゃったの絶対尾を引いてんじゃん。他の先生にまで影響出てんじゃん。

「陽介、先に行ってるぞ」

「え〜オレ一人じゃこれ無理だろ」

 秀次までさっさと片付けてやんの。お願い見捨てないで。不貞腐れるオレを呆れた顔で見たあと、チラリと視線を目の前の席にやった。

「聞け」

「わお……秀次ってそんな無茶な命令してくるような隊長だった?」

 まさか秀次にまでそんな風にされると思わなくて驚く。オレの前の席に座って、片付けしながらオペ組や熊谷と話しているなまえを秀次は視線で指している。出水より無茶振りひどいんですけど。
 元から秀次が教えてくれるとは思ってはいなかったが、自分で取り組むには待ってくれると思っていた。しかしどうやら今日は待つ気もないらしい。
 そういうアシストあんまり望んでねーんだけど……。溜め息ひとつして前向き思考へ切り替える。これはチャンスじゃん。

「なまえちゃん」

「ひやぁッ!?」

「勉強教えてください」

「わかった! わかったから! スカート掴まないで!」

 机に伏したまま手を伸ばし、目の前で揺れていたものを掴んだ。勢いよく払われてちょっと残念。熊谷に「セクハラ成敗」と頭にチョップを食らう。いてぇよ。お尻には触ってねーし。たぶん。



 そうこうして、また教室はオレとなまえだけの世界。夕方なのに外はまだ明るい。時計の針が時々カチと鳴って分が過ぎたことを知らせる。
 頭の中には半分数学の公式と、半分別のこと。後者のが半分以上割合多かったりして。

「んん〜、ここわかんねーです」

「ここ難しいよね。教科書に載ってる数式の応用なんだけど」

 オレは戦い方も戦闘のコツも丁寧には教えてやれねーのに、なまえは数学の公式をわかりやすく教えてくれる。なまえはおバカなんだけど頭はいいんだよなー。勉強できる子。
 教えてもらっている身分なんだからちゃんと聞いとかなきゃなんないけど、今は右から左に抜けていってしまう。この間もそうだけど、なまえの匂いとか、柔らかそうな唇に目がいくばかり。すっげぇうまそーとしか思えないから。
 広い教室なのに、この狭い机の上だけ人口密度がギチギチで圧迫感さえある。苦しさの原因はなに?

「なまえ」

「ん?」

 たくさん並ぶ数式の話を割って、名前を呼ぶとなーんにも疑わない表情で顔を上げた。我慢ならないオレはその距離を詰める。唇に触れたか掠ったかした感触は一瞬のことなのに体の中の熱が一気に沸騰したみたい。
 可愛い、なんて感情の比じゃない。足りなくなる。

「奪っちゃった〜、……なんつって」

 なのに自分の昇っていた感情はすぐに萎れていく気がした。口元を押え、まっすぐにこちらを見る大きな瞳にはじわっと涙の膜が張る。この状況で好きだと言えるはずもなく、でも謝るのも違う気がして言葉を探す。

「どうして」

 眉を寄せた彼女の目尻から涙が流れる。反対に手を退けた口元は笑おうとしているように見えた。

「……ごめん。私、こういうの勘違いしちゃうから。特別じゃないってちゃんと、わかってる、から」

 嗚咽の漏れる声。こぼれる大粒の滴の意味をオレは急いで考えなきゃならないのに、ポンコツな頭ではちっともわからなかった。自分の中では一番特別な存在だけど。そう思ってねーのはなまえじゃねえの?
 ごめん、ってことは友達でいたかったってことだよな?

「ごめん。んじゃあ忘れて。わりぃ」

 泣き顔を見続けることもできない。立ち上がった彼女がカバンを掴んで、横を風が通り抜けた。自分の中を支配し始める絶望から少しでも逃げ出したくて、名前を呼んで引きとめるが、彼女の足は止まっても振り向きはしてもらえない。

「あのさ、今まで通り友達でいてくんね?」

 聞いてくれただけで返事はなかった。オレ自身視線も向けらんねえから頷いたかどうかもわかんない。
遠のいていく足音を聞きながら、生身を斬られたみたいに死ぬほど痛む胸を押えて机へ伏した。

 初めてオレがなまえに一敗した日。





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