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09 広げることはしないで


 余計なことを考えすぎて寝坊してしまった。今日は上手く髪もまとまらないし、目の下に薄らクマもできてしまって酷い顔だと鏡を覗き込んで余計にテンションは下がる。
 遅刻はしないだろうがいつもより遅い朝。最近登下校の際には気を付けている例の道で、米屋くんの後ろ姿を見つけて弾むような一歩を踏み出す。三輪くんや出水くんと一緒のようだ。いつもより大きな歩幅で近づきながら声をかけようと思ったけれど、こんなに離れた距離で見ることなんてとても久しぶりなことに気付く。まだ米屋くんのことをクラスのチャラ男としか認識していなかった頃ぶりだ。
 少しだけ速度を落として出水くんたちと話している彼の横顔をじっと見つめてみる。トクトクと早まる脈拍は、心地良いものからもどかしいものへと変わっていく。

 その時、一人の女子が彼らへと話しかけた。一瞬誰だか気付かなかったけれど、ばっさりと切られた髪から覗く横顔はよく知ったクラスメイトのもの。先週まではロングだった黒髪がショートボブへと変わって首元で涼しそうに揺れている。もちろん米屋くんたちもそれに気付いたようで、たぶん「おはよう」の言葉の次に驚いた表情で何やら会話をしている。
 似合うね、とか、いいじゃん、とかそんなことを米屋くんは言ったのだと思う。それから彼は鞄を持っていない右手で、その子の首元で揺れる髪をするりと撫でた。その子はわっと顔を染め米屋くんの肩へパンチを投げつけて、彼らの隣りを笑いながら歩き始める。

 その後どんな話をしたかとかは知らない。私の視線は足元へ落ちてしまったから。
 学校はもうすぐ目の前なのに、全然辿りつけそうな気がしない。さっきまで弾んでいた歩みも鈍足に変わっていった。いっそ家に帰っちゃおうかな。



 この間の黒江ちゃんの頭を遠慮なく撫でていたことや、途中までしか聞かなかったけれど加古さんとの話。今朝のこと。胸がやたらとヒリヒリと痛む。この間までは嬉しかった遠足のことも今では余計に痛みを増させるだけ。
 考えないように頭を切り替えようとして、わざと後ろから入った教室で彼と鉢合わせる。

「なまえ、おはよ」

「お、……おはよう」

 一瞬だけ目を合わせた後はすぐに逸らした。早く教室へ入りたい。一限目は英語だから小テストの勉強をしなきゃ、と自分へ理由をつける。

「なまえは」

 情けないことに名を呼ばれれば素直に顔をあげてしまう。いつもと変わらない彼が飄々とした表情でそこにいて、こんなにも色々と意識しているのは自分だけだと改めて実感する。

「なまえは髪切らねえの?」

 いつになく柔らかに微笑む彼の真っ黒な瞳の向こうには、朝のあの子が映っていたんじゃないだろうか。
 その言葉を聞いて自分がどんな顔をしたのかわからない。でもすごい速さで彼の横はすり抜けた。

「……絶対切らない」

 こんなの八つ当たりだってわかっていなが、どうしようもない意地の塊を呟いて。




 ぼんやりとしていたら、箸から卵焼きを落としてしまった。お母さんの作ってくれた卵焼き甘くて美味しいのになんて失礼なことを。慌てて拾って口に入れれば、周りからの視線にようやく気付いた。

「ねえ、どうかしたの?」

 そう言われる理由がわからず首を傾げたら、友人たちはすでにお昼のお弁当を食べ終えているではないか。あれ、今日みんな早すぎないか。慌てて口の中へお弁当を詰め込むが今日はなんだかお腹いっぱいで、トマトとブロッコリーだけ放り込んであとは心の中で「ごめん」と言って蓋を閉じた。

「米屋となんかあった?」

「……なんで?」

「「わっかりやすー」」

 待って待ってと制するが、二人の友人たちは気にした様子もなく頬杖をついてこちらを見る。賑わっている教室の中に、先ほど友人が声に出してしまった人物はいないことをこっそり確認した。

「米屋さ、最近なまえのとこよく来るよね」

「ぶっちゃけもう付き合ってたりして」

「そんなわけないでしょ! ボーダーのことで、ちょっと……」

「「ボーダーねぇー」」

 さっきから声を揃えてなんだと言うのか。

「てか、この間の遠足の時、手繋いでててっきりもう上手くいったあとなのかと思ってたよ」

 その件は誤解だと何度も何度も否定しているのに、出水くんも友人たちもちっとも聞いてくれない。尋問するみたいに「好きなんでしょ?」とか「告白されたんでしょ?」とか言われても、「ただの友達です」ときっぱり答えられる。私たちはそんな関係ではない。

「……“仲が良い”だけ、じゃだめ?」

「ダメ」

「少なくとも米屋はそうは思てないと思うけど」

 そう言われると困ってしまう。どう思っているかなんて明確な答えは本人にしかわからないこと。確かに最近とても距離が近いように思っていた。でも、米屋陽介という男はたぶん誰に対しても同じ。誰に対しても分け隔てない。意外かもしれないが戦闘でないところではフェミニストな一面だってある。
 私に関してはたまたま同じ学校で同じクラスにいるから頻繁に目に当たるだけ。そそっかしさが目に余って思わず“反射”で助けているだけ。私に限らない。特別ではない。

「絶対あんたのこと好きだよ〜」

 ドキッと胸は跳ねる。本人に言われたわけではない。友人にから見てそう見えるというだけの話。それなのにどうしようもなく私の胸の内にはまた熱が溢れて溺れてしまいそうになる。でも今は同時に沸く黒い感情のほうが目について放せなくなっていた。

「そんなわけないよ」

 ……これを恋だと気付いていいのだろうか。

 三輪くんを引っ張り、出水くんと談笑しながら教室へ戻ってきた彼を、燻る心のせいで今日はまだ見ることもできないというのに。




 一日中気分の晴れなかったその日の夜。ベッドへ入る前に米屋くんからメッセージが送られてきた。

『明日の放課後ボーダー行く?』

 どうしてこんなこと聞くんだろう。こんなメッセージの一つや二つ、今までは全然気にしたりしていなかった。認めてしまえば、嬉しいとかワクワクとかそんな気持ちだった。勝てないけど強い米屋くんと戦うのが楽しかったから、きっと少し前の私なら二つ返事で「対戦してくれる?」と聞き返していただろう。でも今日はそうもできず、画面を見つめて返信に時間がかかる。

『明日はごめん』

 できるだけいつも通りを装って、ごめんと頭を下げる茶目っ気たっぷりのスタンプと一緒に送れば、不貞腐れた表情をしたキャラクターのスタンプがすぐに返ってきた。
 用は無いけれど、暇だから相手して欲しかったのだろうか。暇だからと言っても今日も課題は出されていたし、きっと明日も数学やら古文やら英語の課題は出るはずだ。彼はそんなこと眼中にないか、また小首を傾げて「勝ったから宿題教えて」って言いたかったのかもしれない。米屋くんにとって、私ってその程度だ。
 それ以上返事のしようがなくて携帯をベッドへ投げ捨て、自分も倒れ込む。頭の中の占領の仕方はもはや普通ではない。私はそう気付きかけて……
 突然震える始める携帯。こんな夜中に誰だろうと画面表示を見て息を飲む。

「もしもし」

『おー。もう寝るとこだった?』

 出るべきか、無視をするか。散々悩んで出した答えは、普通でいるということを条件に自分の欲求へ素直に答えたもの。米屋くんの声が聞きたいと思った。
 いつもより低くゆったりとした声に聞こえるのは、米屋くんも寝る直前だからだろうか。まだ初夏だというのに熱くてたまらなくなる。気持ちがうずうずとして、いっそ泣きたくなりもする。

『あのさー、今日なんか元気なかった?』

「そんなことないよ」

『じゃあオレなんかした?』

「……ううん、なにも」

『なら良いんだけどさ。朝も様子変だったし、なんかしたかなーと思って。嫌われたかと思っちゃった』

 冗談っぽく聞こえる言葉をどこまで本気で捉えたらいいのか。ううん。きっと本気で捉えたらダメだ。米屋くんは様子の違った私を心配してくれただけ。
 すぐに「宿題やった?」と別の話へ切り替える。もちろんそんなの彼がしているわけないって、わかっていながら。それから明後日の混成チームは東さんと一緒なのだとか、そんな話をした。できるだけ区切らないように会話を振って、いつも通りを装いたくて。それでも不自然な会話に沈黙の時間はやってくる。

「『あのさ』」

 重なった二人の声に小さく笑って『なに? そっちのから聞きたい』と譲られる。最初からずっとどうにかなりそうな心臓に気合を入れた。

「あのさ、……朝の事。私、変な態度とっちゃったならごめん。寝坊してさ。ちょっと機嫌が悪かっただけだから」

『いいよ。なんでもねーんなら』

「ごめんね。ちゃんと謝ろうと思って。米屋くんとはずっと友達でいたいから」

『…………え?』

「学校で話すのもボーダーで競い合うのも、私すごく楽しくて。ずっと友達でいたいなって。ダメかな?」

『ダメじゃねーけど……なんで今言うかなァ』

「えっ、ごめん! なんか眠たくて変なこと言ったかも。ごめん気にしないで! ……米屋くんは? なんの話だった?」

『あー、……やっぱいいや。眠いんだろ? 遅くまで悪ぃ。また明日学校でな』

 おやすみと言い合って切った電話。終わった時にはどっと疲れのようなものが込み上げてきた。きちんと普通を装えていたよね。
 自己反省会もしないまま、私は脳でリフレインする「おやすみ」という米屋くんの温かな声に耳を傾けながら目を閉じた。晴れない一日だったけれど、終わりはすごく幸せな気持ちだ。
 私たちは今まで通りで大丈夫だと心の中で確信めいたものさえあった。

 こんなにも近付いていたのに、離してしまったとは気付かずに。






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