姉を見習って憂さ晴らしに服でも大量に買い込むか、はたまた漫喫にこもって久しぶりに少女マンガでも読み漁ろうか、悩んだ末に前者を取った。
けれど、それは間違いだったかもしれないと視線の先を見つめながら思う。
見かけたのは偶然と言うべきなのか。
今はできれば会いたくはなかった。
しばらく見ていても、こちらに気付く気配はなくまた誰かと一緒に来ているという風でもない。
真剣に彼女が見ているものは、メンズのサングラス。
それがどういう意味か一瞬考えて、それでも関わらないという選択肢は俺にはなくて、聞こえないように大きな溜息を一つ吐いてから、その背中に声をかけた。
「なまえ」
びくりと肩を揺らした彼女は、困ったように笑顔を張り付けた。
あれから一週間以上経とうとしているのに、彼女は俺から一線を引くように不自然な自然を取り繕っている。
あの日の話にも触れては来ない。
別れたんじゃないか、というのはどうやら淡い期待のようだ…。
「伊佐敷さん…お買い物ですか?」
どうやら呼び方も話し方ももう崩さないと決めたらしい。
「別に。お前こそ、それはお前が付けるにはちょっとデカいんじゃねーの?」
彼女が手に持っていたサングラスを取り上げ、自分につけてみれば、お、けっこうイイカンジ。
「お、似合いですよ…」
「そうか?じゃあ買おうかな」
「え」
「なんだよ?問題でもあんのか?」
言おうか言うまいかおずおずとしている様子がじれったく、また溜息を吐いた。
「どーせ、彼氏にでも買ってやるんだろ?」
驚き目を見開くなまえは口をはくはくと開け閉めし、どうして、と微かに声を発した。
本当に淡い期待だったようだ。
サングラスを外して、彼女の手に返す。
「仲直りできると良いな」
素直に頷いとけばいいのに、なんでそんな悲しそうな顔するんだよ。
こういう時、他になんて言えばかっこつくんだ?
買って来い、と促せばなんとかレジへ歩みを進めた。
見送った背中に少しだけ安堵した俺は一人店を離れる。
やっぱ漫喫いこ。
他の事に意識没頭してぇわ。
「伊佐敷さん!」
息を切らしたなまえに裾を掴まれたのはモールの出口に近づいた時だった。
その行動に対して、一瞬でも込み上げる感情に無理矢理にでも蓋をしなければならない。
あの、と言いかけては言い淀んで。
「謝り、たくてっ…」
何を謝りたいのかまではわからない。
それは結局今もあの時も同じで、なんにも理解してねぇんだよ俺は。こいつの気持ちを。
「別にいい」
踵を返せばもう一度、待って、と裾を掴み直された。
「ごめん…」
「なんでお前が泣くんだよ…」
「ごめん、わたし…ずるいこと考えてたの。純とこのまま友達でいられればって、こんなの卑怯で……だから、タカヤを傷つけて…」
「それの何が卑怯なんだよ。“友達”なら問題ねぇだろ!」
なんで、なんで、そんなにあの男を大事にするんだよ?
あいつと俺で、俺の何が劣ってるって言うんだ?
男の俺が、どうしようもない怒りと嫉妬をぶつけるのは醜くてみっともない。
しかも、俺は“元彼”なんだから。
それでもお前のそばにいたいって思ってしまう俺も卑怯。
そして、そのそばにいたいって思う気持ちにはヤマシイ気持ちしかないから問題なんだよな。
急激に昇る熱を下げるのは、なまえの冷たい涙。
ほんと、泣き虫。
「わかった。もう必要以上に話しかけたりしねぇから。じゃあな」
―――
滲む世界で彼の背中を探したけれど、たくさんの行き交う人の波に消えてしまった。
まるで何もかも失ってしまったかのような世界だけど、私は手元に唯一残っているもう一つ大事なものを失ってはいけない。
今度こそきちんと大切にしなければならない。
自分の身勝手で、純もタカヤもたくさん傷つけた。
もう学習しろ自分。
ショップバックの紐を握って涙を拭った。
もう、あの人に涙を拭ってもらう日はきっと来ないから。
先ほどまで良いお天気だったのに、空は厚い雲に覆われた。
降り出す前に帰るか、もし上手くいけば泊めてもらえれば良いなぁなんて考えながら合鍵を探す。
あの日からどれだけ連絡をとっても返事は来なかった。
でもそれは、いつもそうだから。
喧嘩をすれば私がどれだけ謝ってもなかなか許してはもらえない。
それでも、「…許す」ってちょっと不貞腐れた顔で恥ずかしそうに言う彼の顔や態度はすごく可愛いものだと私は思っていた。
きっとタカヤも素直になれないのだ。
そういうところを私がちゃんとみてあげよう。
ご機嫌取りのつもりで買ったサングラスは彼のお気に入りのブランドの品。
今日はお休みだから、きっと寝ているか仲間と野球の練習に行ってるかだろう。
そう思って見つけた合鍵で静かに扉を開いた。
「タカヤ」
一応玄関先で声をかける。
中で話し声が聞こえるから、今日は友達呼んで遊んでいるのだろうか。
邪魔するべきじゃないのかもしれないけれど、どうしても早く仲直りがしたい。
せめてひとこと言って渡すだけでも良い。
そう思って適当にパンプスを脱いで部屋へと上がった。
聞こえる声が少しずつ判別がついて、女性がいることがわかる。
(マネージャーさん?)
聞き覚えのあるその声は、いつものハキハキとした様子じゃなく……甘い、嬌声。
「タ、カヤ?」
目の前の光景に思考が揺れる。
ソファーに座るタカヤに、彼の所属チームのマネージャーさんが跨るように座り、抱き締めあってキスをしていた。
耳に響くのは二人が息を飲む音より心音の方がうるさくて。
次の行動を一切考えられずに、ただの身動き一つとれず、二人が肌蹴た身なりを正すのを見守った。
「おま…なんで、勝手に…!!」
どうしてこんなことに、なんて今は考えられそうもなくて、突き付けられた現実に沸くのは私の自分勝手な怒り。
タカヤの手を握るマネージャーさんが少し震えていて、二人の関係は疑いようもないことなのだろう。
それに、マネージャーさんを庇うようにして立つタカヤは、つまり、そういうこと。
「……ごめん。でも、ちょっと、これはひどすぎるんじゃない…?」
何がダメだったんだろう。
純の影を彼の中に追っていたこと?
純と再会してしまったこと?
空白になった頭でも、話さなきゃ、という意思だけは存在していた。
「タカヤがいるのに浮気をしたのはあんたでしょ!?」
「浮気、してない…私は、ちゃんと、タカヤのことが…好きだったよ」
確かに私は純を重ねていた。
でもそんなの外見だけにすぎないことなんて、本当はずっとわかってた。
一緒にお金貯めて旅行いったり、家でポップコーンメーカーでポップコーン作って映画観たり、お風呂洗って二人で入って、それは全部タカヤとの思い出。
鈴木タカヤと私の過ごしてきた思い出。
それを純とすり替えて考えたりなんてしていないよ…。
沸いた怒りも外の雨音が響く度に、冷たいものへと変わっていった。
「…お前の会社の伊佐敷ってやつ、お前の元彼なんだろ?しかもお前、業務サポートしたり、社会人チームに誘ったのもお前なんだろ?!なんで俺に言わなかったんだよ!!」
「タカヤが大事だったからだよ!!」
突然現れた純に動揺していた。
それでも、もう彼とは戻れないことなんてわかっていた。
声を荒げたって、感情はもう熱くはならない。
「純には確かに寄りを戻したいとは言われたけど、私はタカヤが好きだから…断って、距離も置いた…。それなのに…!」
それなのに、この仕打ちなのか。
何も言い返してこない二人が今はひどく幸せそうにさえ見えた。
「…ごめん。もう、なにもかも遅すぎだよね。」
お互いを信じられない終わりを、私はまた迎えたらしい。
「さようなら」
空は真っ暗になって、やみそうにない雨がしとしとと降り続く。
誰も居ない真っ暗な自分の家に帰って鍵を探す。
ふと見えた足元に水溜りができていて、初めて濡れてふやけた紙のショップバックや自分の服から水が滴り落ちていることに気付いた。
水溜りの中に、思い出を閉じ込めた温かな水滴も一緒に沈んでいった。
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