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02

タカヤと出会ったのは、社会人チームの練習試合でだった。

先輩にどうしてもって頼まれ断りきれずに引き受けたマネージャー。
少し手伝ってすぐ辞めようと思っていた。
だって私には、“野球”さえ苦い思い出なのだから。
だけど、初めて行った練習試合でタカヤと出会い結局辞めることなく今に至る。

「名前、とか聞いても良い?」

少し恥ずかしそうに携帯を差し出していたタカヤ。
その時は少し暗めの茶髪で、顎髭を生やし、細い目がなんとも彼に似ていて嫌だと思った。

「ごめんなさい。今日だけの手伝いなんで…」

「鈴木〜お前女に見境なく声かけるのやめろよ〜」

同僚の先輩がタカヤの肩を小突く。
どうやらうちの先輩とお知り合いらしい。

「やめてくださいよ〜!俺、本気で可愛いって思った子にしか声かけませんって!」

なんて言うものだから少しだけドキリとしてしまったが、あきらかに遊んでそうな風貌、言動、仕草。
悪いけど相手にするつもりなんてなかった。


それなのに、後日その先輩は勝手にタカヤへ連絡先を教えていた。

『勝手に聞いてごめん。俺、どうしてもみょうじさんと仲良くなりたくて』

そのメッセージを受け取ってすぐに先輩を問い詰めれば、

「鈴木、お前のこと本気みたいだから、相手してやってよ?お前独身だろ?」

小さな親切大きなお世話だよ。
腹立たしいし無視してしまおうかとも思ったのに、その日の帰り、会社のロビーでタカヤに捕まった。

「ご飯!行こうぜ!」

まだちゃんと名前さえ知らないのに。
半ば強引に腕を引かれ、断れなかった私が悪い。

「あ、あの!せめて…ちゃんと名前伺っても良いですか?」


「俺?言ってなかったっけ?鈴木タカヤって言いマス。 よろしくな!なまえサン!」


満面の笑みで勝手に人のことを名前で呼び始めるなんて本当にチャラい。
この顔じゃなかったらきっと無視決め込んでたよ。

「…よろしく、お願いします」

私もなんでこの時こう言ってしまったのか。
社会人になって早々に彼氏と別れてから一年と少し、独り身で過ごすのも飽きていた?
こんな自分を情けなく思いながらも、その日ご飯を食べに行ったままホテルへ入ってしまったのもその理由で大丈夫?
他に理由なんてない。
私は寂しかった、ただそれだけ。
好きと言ってくれるから体を許した。
それだけ。

何にも重ねてない。


自分に何度もそう言い聞かせ、私はその日から、タカヤと付き合うことにした。








「タカヤ、今日は夕飯は…」

「今日飲み会だからいらねー」

朝、重い体を起こして適当に朝食を用意する。
純が来てから仕事が良い意味で一層忙しくなった。
まだこっちでのやり方に慣れない彼をサポートするのは大変だけど、それなりに充実している仕事。
純も少しずつ要領よく仕事をこなしていき、やっぱり引き抜かれただけのことはある。
適わないなぁ…。

「なまえ?」

「え…ん?なんだっけ?」

ぼんやりとしていたから、タカヤがなんて言ったのか聞いてもいなかったらしい。
不機嫌そうな顔がそこにあって、慌てて笑顔を取り繕った。

「お前が聞いたんだろ?夕飯の話!」

「あ、そっか…何が食べたい?」

「いらないって言っただろ?!なんで俺の話聞いてねーんだよ!」

ああ、しまった…
怒りの表情の彼に、私はただただ頭を下げるのみ。

「お前最近、俺の話聞いてないこと多いよな。何考えてんだよ」

冷ややかな声に、体が強張った。

「…なにも。本当にごめんなさい…」

彼に刃向ったり、別れようなんて考えてこなかったのは、きっと彼を好きだからだと思っている。
怒ると怖いけど、ちゃんと優しいところもあるし、何より私を好きでいてくれる。
愛されることが幸せに決まっている。

「今日、迎えに来て」

怒った彼の言葉は唐突すぎて理解し兼ねた。

「今日俺たちのチームの飲み会。そんなに遅くなんねーし、みんなに紹介したいから今日仕事終わったらこっち合流して」

「…ごめん、今日は私も飲み会があって…」

今日は純の歓迎会を野球チームでやることになっている。
チームにもすぐに馴染んだ純は、先輩たちのお気に入りだ。
マネとして彼の歓迎会の幹事を任されている。

「は?俺とどっちが大事なんだよ!」

すぐにタカヤだよって言えば彼は怒らずにいてくれるのだろうか?
私は笑顔を作った。

「ごめんね。じゃあ、早めに抜けさせてもらってそっちに行くね」

舌打ち一つでようやく解放してもらえて、安堵のため息を本当に小さく吐いた。
これ以上彼の機嫌が悪くならないように。


「いってらっしゃい、タカヤ」

彼の方が少し早く先に出る。
扉に手を掛けた彼にそう声をかけるが、一つも反応を見せずにそのまま開けた扉を閉じられた。

いってきます、ぐらい言えないかな?
小さな憤りと虚しさと現状からの逃避は、自分の心を守る一つの手段。
彼のあんな態度を一々気にかけたくはないが、ずしりと心が重くなった。






「飲み会行けない?」

「悪ぃ…どうしてもミウラ商事の社長さん接待しなくちゃなんなくて…」

朝の挨拶もそこそこに、幻覚で見える耳と尻尾を下げて申し訳なさそうに頭を下げる純。
同時に差し出された熱めのコーヒーにはミルクで割ってあった。
さすがエリート営業マン、謝罪もタダじゃ来ないよね。
純の歓迎会なのに純が来ないなんて…でも、ミウラ商事はうちのお得意様だし断りきれないのもわかる。

「それはしかたないわね。私からキャプテンにそう言っておくけど、もし良かったら遅くなっても顔出してあげて。きっと主役がいなくてもあの人たちは飲んでると思うから」

「わかった。せっかく準備してくれたのにすまねぇ…」

純が来ないとなると先輩たちの機嫌が悪くなるのは目に見えているが、まぁでも仕事優先なのはわかりきったこと。

「大丈夫。どうせ私も行けそうになかったし」

「…そうなのか?」

気まずそうな顔をされるが、完全に私情だから純には関係ない。
集合だけ確認したら抜けようと決めていたのは、タカヤへの申し訳なさから。

「彼氏の機嫌、損ねちゃったみたいで…」

こんなこと友達にでさえあまり話さないのに、ポロリとそう純にこぼしてしまったのは、自分でも意外だった。
昔はなんでも純に話していたから…つい癖で、なんて今更するぎる言い訳だな。

「彼氏、いんのか?」

「何よ、その意外そうな顔は。恋愛ぐらい人並みにしてますー。悪い?」

少しふざけて言ったのは、変な空気になりたくなかったから。
いつまでもお前を好きだった私じゃないんだぞ。
私の空気を察したのか、驚いた顔をしていた純もブハッと大きく息を吐いて笑った。

「はは、物好きがいるんだな」

「失礼だなー。そういうエリート営業マンの伊佐敷サンは彼女の二、三人いるんじゃないの?こっちでも給湯室で人気だよ」

「へぇ、ありがてぇな。彼女とはこっち来る前に別れたよ」

始業の時間になり、ヒラリと手を振って席へ戻っていった。
みんなが席についたり、書類を広げたり、キーボードを叩く音が雑音として耳に入ってくるのに、彼の言葉が何度かリフレインする。


「彼女…いたんだ…」


ぽつりと自分の口から出た言葉。
別にだからって私には関係のないこと。
仕事を普通にこなしながらも、自分の心がいつも以上に重くどんよりとしていく。
タカヤの事を考えてもモヤモヤするのに。


口に入れたコーヒーが、ミルクと砂糖が入って甘いことに驚いた。
会社ではいつもブラックを飲むのに…。
コーヒーをブラックで飲めるようになったのは社会人になってからで、それまではこうやって甘くて優しい味のコーヒーしか飲めなかった。

ふと紙コップを見て、これを渡してきた人をちらりと盗み見る。
真面目に仕事している横顔はようやく見慣れた。
高校時代のそれと重なるけど、大人になった顔は以前より随分頼もしい。
こちらの視線に気付いたのか、“飲めたか?”なんて意地悪く笑いながら送られてくるショートメッセージ。
“美味しい”とだけ返せば、彼はもう一度ニヤリと笑って仕事に戻った。

いつもより少しだけ早く動く心臓に、心はどんよりとはしていないような気がした。

うん、大丈夫。
きっとタカヤとも話せそうだし、仲直りをきちんとしようと前向きに気持ちを切り替えられた。





まだ、覚えていてくれたんだね。

私はこんなにも純のこと忘れようとしているのにね。




[ 02 ]

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