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「バカだろ…!」



行かないでと引きとめようとしたはずだったのに。

「っんで、引きとめんだよ…!せっかく突き放そうと、してんのに…」

掴もうとした背中は反転して、私の体は少し冷えた体に抱きとめられた。
一秒進む度にじわじわとお互いの熱が伝わってくる。
抱き締められてる力が全然強くなくて、振り解けてしまいそうなのが怖くなって、震える手で彼の背中にしがみついた。

「お前から、離れてくれよ…たのむから」

せつなく消え入りそうな声が胸を締め付ける。

「…っ離さないで…もう、」

純。
二度と離れたくない。
私はバカで泣き虫で、変なとこ強がりで。
いっぱい道を間違えてきたの。



「わたし、純がずっと、ずっとすきで……すきなのに、間違えてばかりで…」



見上げた顔が近くにあって、涙で滲むのにちゃんとそこにいることがわかる。

「…それが、お前の気持ちなのか?」

「純のそばに、いたいの…!お願いだから」

そばにいさせて、の言葉は紡げなかった。
押し付けられた純の唇がそれを阻んだから。
何度も角度を変えて。
その度に彼の苦しそうな視線が重なった。
深すぎて呼吸できなくて立っていられないほどクラクラする。

きちんと言わないと、ずっと純はこの苦しい顔をしたままだ。

背中に回していた右手を彼の頬に添える。
指先で拭った純の涙は温かな温度。
ゆっくりと離れた距離は、それでも近い距離。

「別れたんだろ……あの男と」

「知、ってたの…?」

伝えようと思っていたこと。
まだ誤解があるとすれば、それだと思っていた。
もう少しだけ開く距離。

「さっき、新人の吉田に聞いた。なんですぐ言わねぇんだよ…!」

ずるずるとしゃがみこんでしまった純のその反応に戸惑う。
別れたことを言わなかったことを怒ってるのだろうか、それともなんで今さら別れたんだって怒っているのだろうか…。
どのみち怒っているという風にしか取れない私は「ごめんなさい」と言うしかできなくて。

「謝んな!バカ!」

純に合わせてしゃがむと、赤く充血した鋭い目と視線が合う。



「本気でもうダメなのかと思っちまっただろーが」



低く呟いた彼の声は横を通って行った原付バイクの音に掻き消されて、正しく拾えたかどうか怪しい。
何がダメなのか聞き返そうと思ったのに、勢いよく立ち上がった純に手を引っ張られた。
すでに目の前に見える私のマンションに二人の足は向かった。

純の温かな手を握り返せば、純からも強く握られる。





「本当に、俺でいいんだな?」

ベッドに押し倒されたのは、この間熱を出していた時と同じ状況。
でもあの時のように気持ちがすれ違ったままじゃない…と思う。
真剣な瞳の奥に、お互い見え隠れする不安。

「純は?」

ちゃんと聞きたい。

「私でいいの?彼氏いたのに純と友達でいたいなんて言った狡賢い女だよ?」

もう二度とこんなことはないけれど、自分でも最低な女だなって思うのに、純に改めて好かれるだろうか?
返答を待つ時間が長く感じる。

「やっぱり、嫌だよね…」

純の真っ直ぐな目を見つめていれなくて、視線は暗闇に消した。

「ああ、そうだな」

瞼を開けた目はまた滲んだ世界に埋まってしまう。
そうか、嫌なのか…
自分の取ってきた行動に深い後悔が押し寄せる。


「自分の中に溜め込んで勝手に終わらせんのも、離れていくのも、もうやめてくれ」


鼻の上に優しく落とされるキス。
困ったように笑ってる顔も優しくて、落ち始めていた感情がどくんどくんと心音と共に上がっていく。

「夢の中で何度もお前にフラれんのはもうこりごりだ」

唇に触れるだけのキスは、次いで深くなった。
繋いだままだった手の握る力が強くなる。

「ずっと純が好きだったの」

いっぱい間違えてごめんね。
傷つけてごめん。
勝手に離れていってごめん…。
謝ったら、バカってまた言われちゃうからもう謝罪は口にしないけれど、本当の気持ちだけは、彼の目を見つめはっきりとそう言葉にする。

熱で浮かれていた時には気付かなかったけれど、厚い肩や引き締まった筋肉が精悍な体つきへと変わっていることを教えてくれる。
高校生の時の戸惑いなんてなくなって、感度のいい場所を迷いなく触れてきた。
気持ち良いと思えるセックスなんてろくにしてこなかったせいで、純が優しく丁寧に触れてくるたび、余計にも翻弄されてしまう。

「っふ、ぁ…!」

それなのにナカを侵食する質量は全然優しくなく、逃げ腰になるのを抑え込まれる。
同じ様に純も堪えるように何度も息を吐いていた。

「なまえ」

視線が合えば求めるように名を口遊む。




「後悔すんなよ……もう、離さねぇから」




うん、と頷けばにっと口角を上げて笑う顔が私を見降ろした。
熱い思考の中ではもう純の事以外なんて考えられなくて。

「泣くなよ」

彼の優しい手が私の涙を拭った。
込み上げる幸せを感じ、また泣いてしまう。

すきだと何度も言葉にした。



「俺も好きだ、なまえ」









ーーー

「みょうじさん、たぶん鈴木と別れてますよ」

「「は?!」」

なまえが帰った背中をこっそり見送ったとき、今年入社したやつがポツリと呟いた。
その場にいた全員の声が合わさって、声を出した新人のほうへ向く。

「ひっ…いや、この前SNSで…向こうのマネと付き合うって報告してて…」

向こうの会社に友達がいるらしく、その繋がりで知ったとか。
そういうことじゃなくて!!

「いつ?!いつ別れたんだよ!」

「ひぃっ……いや、別れた日までは…でも結構前に、鈴木さん『落ち込むわ〜』とか呟いてたから、もしかしたら…」

落ち込むわ〜じゃねぇよ。
なまえがお前のせいであんなボロボロになってたのに、落ち込むわ〜とかどういう神経してんだ!?

「ぶっ殺す…」

「いっいっ伊佐敷せんぱ、それだけは…!!」

「おい、伊佐敷〜。気持ちはわかるが、それはうちの大事なショートだ。殺意ギラギラの目で睨むんじゃないよ」

副キャプテンに肩を叩かれ、ふと我に返る。
いや、まだ確実に別れたわけじゃねぇし、俺がとやかく言うのはまた…
それでも握りしめたままの拳は力が抜けなくて。


「あいつどういうつもりだァ?!」


今度はキャプテンが新人に詰め寄る。

「散々みょうじのこと傷つけといて…!!」

「…どういうことっすか?」

「伊佐敷ィ!お前もお前だよ!奪えよ!俺たちはそれを期待してたのに!!」

「は?!」

今度の矛先が自分へ向くとは思わなかった。
なまえがあのクソ男から酷い扱いを受けていることは、周知だったらしい。
二人だけの時ならいざ知らず、公衆でもその悪態を貫いたクソ男にキャプテンたちは何度も別れるように勧めていた。
それでもなまえが「大丈夫です。私は愛してます」って言うものだからみんなもそれ以上は口出せなくて。

あのバカ…。

キャプテンたちの言うこときいてろよ。
仮にも仕事上では上司だぞ。
高校の同期だということは知られていたが、付き合っていたことまでは知られていなかった。
会社で仲が良い雰囲気だったから、と勘違いされていたらしい。
そこはまぁ…一方的に俺の態度がそうだったのだから、否めない…。

はたと今日までのなまえへの自分の態度を思い出し、血の気が引いた。
そういえば、あの無理矢理抱いた日、なまえは泣きながら何度も謝って「わからない」と言っていた。
意味も聞かず犯した自分の行動に絶望せざるを得ない。
挙句、勝手に怒って突き放す態度を取り続け、少しずつ開いていく距離にこれで良いんだって何度も言い聞かせていた。

…俺のとこには戻っては来ないつもりなのかもしれない。


「絶対週末の試合でぶっ潰してやる!」

「そうだな。みょうじの仇は必ず討とう」

キャプテンの唸る声で我に返る。
なまえの預かり知らぬところで円陣が組まれていたことを本人が知るのはこの週末の試合が終わってから。


幼かった高校生の頃の自分に何度も後悔してきたじゃねぇか。
俺はもう一度あの後悔をしてぇのか?

未練がましいのはわかっていても、独りで帰してしまった背中を急いで追いかけた。






END




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