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09

ズキズキと痛む頭が薬では誤魔化しきれなかったようだ。
職場に着いても痛みが治まる気配はなくて、悪寒までし始める。
今日はいっそこのまま会社にずっと座っていても良いか、なんてことを考えるぐらいにはどうかしていた。
純に頼まれていた資料を再確認し印刷して出し直す頃には、もう一錠薬を追加した。
彼に声を掛けられ顔を見たときには、なんとか止めていた涙がまたこぼれそうになるのを食い止め、すごく見栄を張ったような笑顔を作った。
片付けなきゃいけない仕事もいつもの倍以上の時間がかかるが、それでも何もしていないよりはマシ。
気が付けばお昼をとっくに過ぎていたけれど、立ち上がる元気もないしそのまま仕事を続けた。

タカヤとの思い出の物は全て片付けたのに、あの家に帰りたいとは思えない。
あの家で、また一人で寂しい夜を迎えるのが怖かった。






雨に濡れた体を温めるわけでもなく、ただ衝動だけで動いて、お揃いのマグカップ、彼の歯ブラシや日用品、写真、全部段ボールに詰め込んだ。
夜が明ける頃には部屋の中はガランとしてしまったけど、ちっとも気持ちはスッキリしない。
片付けるならいっそ“全部”なくしてしまおう。
そう思って手にかけた学生時代のアルバムも片っ端から段ボールや紙袋に詰め込んで、本棚隅っこで眠っていた手帳にも手をかけた。
タカヤと付き合い始めてからすぐ、見えないところに仕舞い込もうと思って、大学最後の時に使っていた手帳の九月。
見なければ良いのに、そこに挟んである写真を手に取ってしまった。


「…純…」


顔を寄せ合い、少し照れくさそうな二人が幸せそうに笑っている写真は三年最後の文化祭の時に撮ったもの。
なかなか二人になれるチャンスがなくて、みんながいるにも関わらず、痺れを切らした純に手を引かれて連れて行かれたのは鮮明な思い出。
幸せだった。
何より大切だった。
信じられなくても、傷ついても、純のそばに居れば良かった…。
それは今になってようやく気付いたもの。

わがまま言って、欲張って、傷つけて、失って。
もう彼の名を呼ぶ権利なんてない。
それでも、そんなことわかっていても、自分の心が一番求めている人の名を口にせずにはいられない。


「じゅんっ…じゅん…!」


何度も繰り返し呼ぶことでようやく堰を切ったように涙が溢れ出した。
皺くちゃになんかなって欲しくない大事な一枚なのに、落ちる涙が二人の中に吸い込まれていく。

ちゃんと仲直りできなかったよ。
許してなんかもらえなかった。
そりゃそうだよね、浮気に追い詰めるまでタカヤの気持ちがわからなかったんだから。

自棄になった気持ちのまま布団に倒れ込めば、いまだ降り頻る雨の音だけが響いていた。




私、最低だな…
それでもまだ…純のことがすきだなんて…







「おい!」

純のぶっきら棒で、でもこちらを心配してる呼びかけが聞こえる。
私にかまわないで早く帰ってくれれば良いのにと思いながら、ゆるゆるとなんとか顔を上げた。
その表情は、慌てているようにも見えるし、何か言っているけれど上手く脳に入ってこないけれど、気が付けばパソコンの電源は切られてしまった。
恋愛に振り回されてバカな女だって笑って放置してくれたっていいのに。

純は、どうしてそんなに優しくするの?

気が付けばあれよあれよとタクシーを呼び彼は私を家まで送ってくれた。
こういうところは昔からちっとも変ってないお人好しなんだから。
乗り込んだ自宅アパートのエレベータの壁に背をつければ、ひんやりとしているのが服越しにも伝わってくる。
二人だけの空間に甘さなんてない。
甘えたらダメだってわかってるのに、タカヤとの関係は終わったし私だっていっぱい傷ついたんだから少しは甘えたって良いじゃないか、なんて打算的な自分の考えに吐き気がする。

「……じゅ、ん…」

呼べば、一瞬だけ合った視線もすぐに逸らされた。
抱きしめて欲しいなんて、期待してるわけじゃない。
返事がないのだから、純はもう私に見切りをつけようとしていることなんて明白で。

沈黙に胸がぎゅっと締め付けられて苦しくなって、呼吸することさえ辛い。



着替えてこいと言われ寝室に追いやられれば、片付けすぎて殺風景になった部屋。
ジャケットを脱いで、スカートのホックを外す。
緩慢な動作でストッキングを脱げば、ベッド脇のサイドテーブルの下に置いたままの雨でふやけたショップバックが目に入った。
これだけ捨て忘れるなんて…。
持ち上げてサイドテーブルに置けば、ショップバックの下に一枚の写真。

なにも今このタイミングで…

「薬とポカリ置いとく…」

隣りの部屋で純が呼びかけている声が聞こえるけれど、それに答えることはできなかった。

自分の嗚咽と一緒に小さく漏れる、彼の名前。
響くように痛む頭と、苛むように痛む胸が思考も理性も欠落させた。

もう終わりにしよう。

もう、終わりにするから…。



純の唇を奪って、彼の優しさに付け入って。
本当に私は狡猾で、ずるい女だ。
こんな女が愛される資格なんてあるわけない。
私の手を握る力が強いのはきっと、こんな私に対して怒っているのだろう。
怒ってくれて良いよ。
優しくなんてしなくて良いから。


それなのに、私に触れる唇も指先もあつい熱も全部優しくて、まるでそこになにかの感情があるように。
そんなの…純だって卑怯だよ…。


「純っ……本当はずっとずっと、っ…」




熱にも欲にも浮かされた私は自分がそれを言ってしまったのかさえ曖昧。
ただ、起きればそこに彼の姿はなく一人でベッドに寝ていた。
仕事に行かなきゃ、そう思って勢いよく重い体を起こせば、時計はすでにお昼休みの時間。
慌てて周りを見渡せば、サイドテーブルに薬と少しだけ減ったスポーツ飲料。
さらに重石代わりに置かれたボトルの下には一枚のメモがあり、『今日は休むと上司に伝えておく』と純の文字で書かれているのが見えて少しだけ安堵の溜息を吐いた。
昨日よりはクリアになった頭。
ぐちゃぐちゃだった心の中も少しだけ落ち着いた。
けれど昨夜の情事のさなか、純が時折見せていた切ない表情を思い出してはまた胸が疼く様に痛くなる。



私はすぐに携帯電話を握りしめ、電話を鳴らした。
出てもらえないかと思ったけれど三コールもしないうちに待機音は切れて「もしもし」と繋がった先の声が聞こえた。

「仕事中にごめんなさい。それから、昨日は突然行ってごめんなさい…いっぱい気付いてあげられなくて、ごめんなさい」

謝りたいことはたくさんある。
タカヤのことをすべて踏みにじっていたわけじゃないことを伝えたかった。
涙を堪えれば早口になる謝罪を、タカヤは「うん」と相槌をうちながらただ聞いてくれていた。

『お前休み?俺も。…なんかさすがに色々堪えてさ』

疲れた声で笑うタカヤに罪悪感が募っていく。

『お前さ、俺にあの伊佐敷を重ねてたんだろ』

「…うん」

『だと思った。付き合っててもお前が見てるの俺じゃねぇって気付いてた』

私の部屋を訪れたときに、手帳に挟んであったあの写真をたまたま見つけたらしい。
写真に私と写る純があまりにも自分にそっくりで驚いたが、納得もした。
でも、それでも今愛されているのは自分だと思いたくて髪型を変え、髭も剃った。
自分と伊佐敷純は別人なのだと主張したくて。


『俺もお前の気持ちから逃げてた。
ちゃんと俺を好きになろうとしてくれてるのが、敵わないことを思い知らされてるみたいで歯痒くて、冷たく当たった。ごめんな』


タカヤも私をちゃんと思ってくれていた。
元彼に対して葛藤し、悩んで、でも好きで、自分を好きになって欲しくて、追いかけて欲しくて。
どんどん拗れていくお互いの感情に見て見ぬふりをしていた。

「ごっめん…!」

『泣くなって。俺たちもっとちゃんと話しとくべきだったな、自分の気持ちを』



向こうのマネージャーさんと付き合うことにしたから、もう戻ってくんなよとタカヤは電話越しに優しく笑っていた。
泣かないようにありがとうとさよならを告げたけれど、電話を切ってからはやっぱり零れた涙が一つ一つタカヤとの思い出を浄化していった。







こんな馬鹿な私でごめんね、それからありがとう




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