土曜日。
一日練という辛く長かった部活がようやく終わった。
朝の九時から夜の九時。
みんなはへとへとになりながら、急いで着替えて帰って行った。
もちろん私だってくたびれてはいるけど、その日使ったビブスやらを洗濯機のお急ぎコースで回し、水道横に並べられたスクイズを丁寧に洗って片付けなければならない。
まだお昼に書いた部日誌の続きも書かなきゃだ。
洗い終わったスクイズをカゴに入れて部室へ戻る。
きっともう誰もいないだろうと思っていた部室から、変な笑い声が聞こえた。
この特徴ある笑い方はおそらく…
「クロ先輩まだ残ってたんですか?」
「ブヒャヒャヒャッ!辛っー!!…お、なまえ、終わったか?」
呼吸もままならない状態で笑い過ぎによる涙を拭きながらこちらを見た。
まったく人がこんなにも頑張ってるっていうのに、一体何考えてるんだ。
呆れを込めた溜め息を思い切り吐いて、スクイズの入ったカゴを棚に入れ、小さなローテーブルに部日誌を広げた。
どうやら先ほどから動画を見ていたようで、先輩は帰る気はないらしく畳に寝転がって引き続き動画を見ながら笑い声響かせていた。
「…うるさい」
「悪い悪い、この“笑える動画”がめっちゃ面白くて!」
なんなんだこの人は。
こんな疲れてんのに普通今それ見て笑うか?
よくわからない思考は無視して今日の部活での出来事を思い出す。
「…そういえば、クロ先輩なんか今日ボロボロでしたね」
サーブミスにトスミス、まさかのブロックミスも目立ってた。
「雑念が多いんじゃないですかー」
「はは、そうかも」
「は?」
普段なら言い返される言葉も珍しく肯定。
どういう現象だ?
そう思って振り返れば相変わらず動画を見ながら笑っているクロ先輩。
わけがわからない。
まぁクロ先輩の思考回路なんてわけがわかったこともないけれど。
「落ち込んでんのー」
本当かよ。
めっちゃ笑ってますけど。
「そーですか。じゃあお家帰ってメソメソしてください」
「お前なー…もうちょいなぐさめてくれても良くない?」
「そういうのは得意じゃないんで」
求める相手が違うだろ。
彼女とかちやほやしてくれる女の人にお願いするべき。
少なくとも私はそういうキャラじゃないんだから。
なのに先輩は私の背中もたれるように背中を預けてきた。
「クロ先輩、重たい」
「なー」
「なんですか」
「俺ってキャプテン向いてなくね?」
「…どうして?」
「今日なんか、くだんねーことで頭ん中支配されてて、全然バレー集中できねーし。夜久とか海のほうが頼もしーし、バレーも上手いし。」
正直、結構驚いている。
クロ先輩が弱音吐くなんて。
こういうの、本当苦手なんだけど…。
だってなんて言ってあげたら良いのか、わからない。
「私と比べたら全然上手ですよ?」
「バーカ。比べんな。みょうじは下手すぎな」
「はいはい、すみませんねぇ」
「…そーだ!みょうじ!ちょっとバレーしようぜ!」
「は?!何考えてるんですか?!早く帰って寝ろ。明日も9時からですよ?」
バカみたいに目を輝かせてる先輩は、冷静で食えないやつでおちょくり上手の先輩ではなく、ただバレーが大好きないちショーネン。
嬉しそうに部室にあった古いバレーボールを小脇に抱えて、行くぞ!と部室の扉を開けた。
まるで梟谷のキャプテンさんが乗り移ってるみたいだ。
落ち込んでる先輩も、こんなテンション上がった先輩もなかなか稀だけど、落ち込んでるよりは良いか…。
しかたなく部日誌を閉じて外に出た。
クロ先輩のレシーブはとても綺麗。
何が上手くないだ。
下手くそな私でも返しやすいとこに返ってくる。
「お前さ」
部室の前で部室から漏れる窓の光だけを頼りに、おもむろに始まるパス。
「三年の、二組の」
器用にレシーブしながら話しかけてくれるけど、私は相槌を返す余裕もない。
「吉田に」
誰だっけ?
聞き覚えがある気がするけど…
「連絡先聞かれたろ?」
「……だれ?」
ほら、言葉を発した途端、ボールは私の手なんかじゃなく足に当たって変なところへ転がって行った。
草むらへ拾いに行きながら、吉田、吉田…と思い出す。
「あー…あー!!あーーー!!」
「なんだよ」
いつの間にか真後ろに立っていた先輩が見下ろしていた。
暗がりで表情まではよく見えない。
「いや…連絡…してないなーと思って…」
そういえばそんな感じの名前の人から連絡先の書かれた紙をもらったのは一週間と少し前だった気がする。
ポケットに手を入れれば、恐らくその紙であっただろうものが指先に当たった。
なにせ一週間も前だ…。
このジャージ何回洗濯したっけ?
「あちゃー…」
ポケットの中でぎゅっと圧縮されもはや開くこともできなくなった紙を手のひら乗せた。
「ブッ、ヒャヒャッ!お前、最高!」
それをみたクロ先輩は今日一番の爆笑。
「ちょっと!笑ってないで!これどうしよ!!」
「あー?知らね。捨てとけ捨てとけ!」
手のひらからちっちゃくなった紙を奪うと、先輩は茂みの中へ投げ捨てた。
そんな…絶対見つけられない…。
まぁ、でもいっか…今から探すとか面倒くさいし。
「はぁ…人の恋のチャンスをなんてことを…」
「そもそも自分がやる気ねーからだろ?」
「先輩、ビブス干すの手伝ってくださいね。無駄な悪ノリに付き合ってあげたんだから」
「ハイハイ」
それから洗濯干す間も始終ご機嫌そうに笑っていたクロ先輩。
そんなに人の恋路が洗濯機の泡となったのがおかしいのか…。
でも、次の日先輩は調子を取り戻したようで、昨日の落ち込んだ先輩はもういなかった。
「今日は調子が良いじゃないですか」
「別に?気になってたことが、良い方向で解決したからな。フツーだよフツー」
そう言ってニッと無邪気に笑うクロ先輩は、やっぱりバレーが大好きなショーネン。
「昨日の落ち込んでた先輩ちょっと可愛かったのに」
「ソウ?じゃあ、次はもっと優しくなぐさめてネ」
元通りだわ。
めんどくさ。
でもおかしくて、知らないうちに笑っていた。