06 そこにはいない、はず
能天気だとか鈍感だとかなんだとか。そんなことを言われてもひとつも心に響いてきませーん。適当に無視を決め込んでぼんやりと教室を、自分の席から斜め向こうの席を見る。あいにく今日は朝から誰も座っていない。
当真の話もきちんと聞かず自分勝手なことをしたとわかってはいる。けれど、あんなことがあった次の日に休まれては、いっそう自分が悪いのだと思い知らされているようでさらに胸が痛んだ。とはいえ健康優良児で熱もなければ体調が悪いわけでもない私は早退もできずに、当真のいない日常を過ごす。
自分たちにどれだけそんなつもりはなくても、他人から見た私たちの関係はいわゆるセフレ。友だちに戻ろうなんて言ってしまったけれど、友だちじゃなかったことなんてない。当真がどうだったかはわからないけど、私の中では大事な友だちであることはいまだって変わっていない。でも当真の中で私との関係はセックスありきの友情だったのかもしれないと思うと今日はよりいっそう惨めったらしくなった。
携帯の画面を光らせては暗くなるまで睨みつける。爪がガラス画面に当たってカツカツと音を立てるけれど文字を打っているわけではない。当真とのやりとりの画面が更新されることもない。意味もないふざけた過去のやりとりが並ぶように、ふざけたやり取りを追加すればいいだけ。じぶんが友だちやめてないと思っているなら他愛もなく「大丈夫? 今日のノート任せといて」とか頼りない言葉を送ればいいのに、そうすることもできなかった。
友だちに戻ろうと言ったら当真は好きにしろと言った。だから私がメールを送るか送らないかで悩む必要なんてない。当真の中ではどうかわからないけど私の中では大事な友だちだ。
そう自分に何度も言い聞かせ、授業中にメールを送って一時間、二時間、三時間……放課後まで待っても返事はなかった。
「……バーカ。当真のバカ」
いないから言える悪口も、バカはどっちだと諭されているみたいだ。
こんなことでいつまでもモヤモヤとしているのは性に合わない。でもどうやっても切りかえられない頭で晴れない気持ちでボーダー本部へやってくる。任務があるからではあるが、もしかしたら当真に出会えるかもと思っていた。
その予感は見事的中。わざわざ探していたわけではない。急ぎじゃないけど小さな用があって冬島隊の作戦室の前を通っただけ。こういう行為ももしかしたら「好きにしろ」と言った当真の言葉に甘えているのではないかと思うと気持ちは落ち込んでくる。だから会えるわけないって思っていたのに、少しも待たずに作戦室から当真が出てきてしまった。
会いたいとか会えないとか話したいとか話せないとか。今日一日こんなにも悩んでいたのに、こうも簡単に対面できるとは思っていなくて、「当真」と呼びかけたはいいがなんの用事があったのか自分の中は空っぽだ。
「どした?」
こちらへ気づき歩み寄ってくれる当真をじっと見つめていたけれど、いつもとの違いなんてわからない。気だるげな目、態度、物言い。髪型には不釣り合いな人当たりの良さそうな薄い笑み。昨日や一昨日や一年前や、出会った頃と何一つ変わっていない。ように見える。少なくとも昨日の冷たさは感じない。
「……今日、どうして休んだの?」
「久しぶりに帰ってきてた姉ちゃんの買い物付き合わされてたんだよ」
呆れたように笑っているし、「後で国近たちと食えよ」と突然渡されたクッキーは可愛いラッピングをされていて、当真が一人で買ったとは思えない代物だった。
なんだ。本当にお姉さんと買い物へ行っていて学校を休んだだけなんだ。
それならと胸をなでおろす。なでおろした矢先、今度は妙な不安感に似た落ち着きがなくなるようなモヤが積る。私はいったいどうしたというのか。当真が傷ついて学校休んだわけじゃないなら良かったって思って、でもそこにどんよりとした気持ちもあって。自分が多少なり傷ついたように、当真に傷ついていて欲しかったの?
ますます自分がわからない。当真がいつも通りなんだから私もいつも通りでいようって思うのに、私のいつも通りってどんなだった?
「なーんだ。心配して損した」
「俺がいなくて寂しかったんだろ」
「そんなんじゃないし」
「おーおー、この間は素直に“寂しかった”って言ってくれたのに。つれねーなぁ」
「あの時はっ――」
ぐっと強く腕を引かれたかと思えば次の瞬間には鼻をぶつける。突然のことに驚いて言いかけていた言葉は「わっ」という情けない単音に変わった。
そういえば、あの時私は勝手に当真のこと避けてた。田中くんに当真といるところを見られたくなくて、そのくせ田中くんの気持ちが他へ向いたら裏切られた気持ちになって当真のところへ行って……ああ、本当に最低な人間だな私は。それでいていま当真の腕の中で庇われていることに、嬉しかったり安心したりしているのだから、こんな自分にうんざりする。
抱き合っているよりは離れている。普段話すよりは近すぎる距離。こんな微妙な距離は変な緊張しかしないよ。
「こいつが道塞いで悪いね」
「いっ、いえ!」
どうやら私が道を塞いでいたらしく、見知らぬ隊員の子たちにぶつかったらしい。すぐ「ごめんね!」と謝罪したのに、こちらをチラチラと見ながらぶつかった子たちは去っていった。中学生ぐらいだろうか。まだすこしばかり幼そうな顔を赤くしていた。どこから話を聞いていたのかわからないが、あの表情は絶対勘違いしてるじゃん。
「はぁ……いまの子たちこの状況見て勘違いしたよ」
「そうかもな」
「そうかもなって……いいの?」
「面倒なら追いかけて否定しとけよ」
勘違いなんてどうでもよさそうに「疲れた」と言って換装体を解く。呑気にあくびまでして。猫が伸びをするようなその仕草を見守りながら私がひとりおろおろとしていた。
「帰るの?」
「ああ。隊長に呼ばれてただけだし今日は狙撃手の訓練もねぇし。んじゃ」
私の頭を軽く撫でた手はひらりとをゆるく振られ、向けられた背中はこちらの気も知らない。一歩ずつ遠ざかっていく。私にしたら一歩半ぐらい広い歩幅で。
ここで追いかけても友だち? それとも追いかけなくても友だち? さっきの子たちがした誤解は解くのが正解? それとも?
悩んでいる間にもう当真の姿はエレベーターホールへ向かって曲がってしまった。取り残された私は、撫でられた場所を確認するように頭へ手を置く。
「……やっぱりいつも通りじゃん」
当真はまるで昨日のことなどなかったかのようにいつも通りだ。いつも通り友だちとしては近い距離。さっきの子たちにも否定しないとあらぬ噂が広がって、またお互い恋愛しにくくなるのに。それは当真にとって面倒なことじゃないの?
どうしようと口先で呟くばかりで、私は両手に持ちなおした可愛いクッキーの包みに視線を落とす。
その日の夜、自分が見た夢に呆れかえるしかなかった。触れる時の癖や表情の細部まで鮮明に再現されるほどリアリティのある夢に起こされる。まるでさっきまで自分の呼吸は乱れていたのではないかというほど苦しくて、下腹部の奥がきゅうと締まるような気がした。
振り払っても消えない脳内の残像。溜息のつもりで吐き出したものは甘い音に変わり、眠れない夜を過ごした。