04 見えない景色
いまさらつまらない報告を受けた。そんなのあの席替えの日からわかっていたことだ。なにを話していたかまでは知らないけど、色付いた頬と戸惑うような視線を見ていればこいつの考えなんてだいたい予想がつく。それだけ近くにいるっていうのに。
「さっきまでなに考えながらヤッてたんだよ」
「誰かさんが激しすぎて、今のいままでほとんど何も考えられてませんでしたけど」
「あーそー」
さっき不安そうに俺を追いかけてきたのは嘘だったのか。こいつの彼氏という立場でこそないが、自分は特別な立ち位置にいるとは思っていた。そもそも彼氏と今の俺の立場はどう違うのか。
「田中くんのことみてると、すごくドキドキするの。私やっと恋できたのかも」
自分の顔を隠すようになまえの胸元に顔を埋める。聞きたくもない話を聞いているのだから、見られたくもない表情を隠すくらいは許されたい。
俺が気づくよりも遅く自分の恋心とかいう胡散臭いものに気づいたのなら、きっとこの関係も終わってしまうのだろう。ずっとピュアに恋することをなまえは待ち望んでいた。
こいつにとっての特別は、心も体も許した俺ではなく、セックスしていない田中。
「初めて男の人に“可愛い”って言われた! ……ねぇ、当真聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
溜息吐きたい気持ちを精一杯抑えて聞いているつーの。そんな単純な言葉で特別になれるのならもっと早く言えば良かったのか? いつからか軽薄には言えなくなった、この女を表現するための言葉の色々。
俺を呼びながら俺に触れられながら濡れた声を上げながら、ドクドクと鳴っている心臓のこの音は恋じゃねーのか。
関係を終わらせる言葉があったわけでもなく、翌日から距離をとるわけでもなく。だとしたら、いまはまだ単純な“好き”だから、きっと本気にまではならないだろうと思っていた。
その予想は外れ、向こうからセックスを誘う回数が減る。合わせて自分からも減らしていけばなまえがどうにもならない恋に夢中になってしまったことを実感せざるを得なかった。はっきりした言葉はないのに、事実ははっきりとしていた。
擦り寄ると前はくすぐったそうに笑っていたのに、最近はちらりと周囲を確認する。ふとした時に合わなくなる視線。教室の端から聞こえる楽しそうな声。そうして開いていく距離に多少なり虚しさが苛むがいまはどうにもできない。
「……当真、なんで最近あんまり学校こないの?」
そのセリフはいったいどの口から出てくるのか。換装体で崩れないとはいえ触られている感触ぐらいはわかる。気怠く瞬きを繰り返せば、こちらを覗き込む顔が自隊の作戦室をバックに映った。
虚しいことが面倒になって作戦室に入り浸っている。それに対して説教する大人はいるが無理強いする大人はいないのをいいことに、数日授業をサボっていた。なにをするでもなく寝ていただけ。
「なんだよ。俺がいないと寂しいのか?」
「…………うん」
ひとの脇腹に顔を寄せて、その表情までは見えない。それだけのことで簡単に気持ちが浮上する。素直すぎる反応なのか、あざとさなのか。
「なんかあった?」
「……ねぇ、抱きしめて?」
疑問を疑問で返すし、答えなんて一つもわからない。なんかあったかと聞かれるべきは俺のほうなのに、様子が違うのはこの女のほう。でも俺は心の中でほくそ笑む。
抱きしめるもなにも座った俺の腰に床へ膝をついたなまえが勝手に抱きついてくる。
「どしたの」
「恋って、むずかしいよ……」
「そうだな」
自分の中にある、こいつに対する感情を“恋”というなら、同意できる。ひどく難しい。ひとこと言葉にすれば済む話なのに、その言葉を上手く伝えられない。態度では示しているつもり。
なまえが夢中になっている田中は、最近違う女子と仲がいいらしい。自分とは交わらないその男の視線の先にいる女子に嫉妬してしまうのだとか。
「今からでも好かれるように頑張れば?」
「頑張ってるし」
「好きな男振り向かせたくて頑張ってる女が、他の男のチンコに頬ずりすんのかよ」
「これはっ……久しぶりだし、元気かなって思って」
「元気だわ」
もう表情から暗いものは消え笑っている。しょせんあの男の価値はその程度なのだ。
あの日、昇降口まで俺を追いかけてきた日、なまえは気づいていなかったが、抱きしめキスをしていたところをあの男は見ていた。あれを見ておいてまだなまえにちょっかいを出すようなら考えなければならなかったが、どうやら田中は普通の良識ある男子だったよう。
嬉しそうに「当真」と呼ぶ声が久しぶりのキスの合間に艶っぽいものへ変わっていく。
開いた距離を埋めるように、田中のことでなにかあるたび俺のところへくるようになった。セックスすることもあれば、ただキスして抱き合っているだけで満足することもあったり。
「なんで私じゃないんだろ……」
ついに田中には彼女ができたらしい。それを本人から報告され、ぐずぐずと泣きながら俺のところへやってきて「抱いて」とねだった。だから当然のように甘やかす。
いつも以上に丁寧に愛撫して、いつも以上に深く奥を抉る。そんなことこの女にはひとつも響いていないとわかっていたとしても。
「いっそ俺にしといたら? 幸せにするぜ」
こんなことを言うのは、自分たちの関係が始まって以来、初めてのことだった。雰囲気もなにもあったものじゃない誘導にも似た告白。見切り発車で言った言葉ではあるが、想っていてももう実らないとわかったのだから、こちらに少しぐらい靡くと思っていた。
「あー……それはいいや。当真とは付き合えない」
「ひっでぇなぁ」
それはとんだ思い上がり。
俺がなまえを好きなのと、なまえが俺を好きなのは違う。ずっと曖昧だったその境目に引かれた一本の拒絶線。
いまお前もこんな気分なのか?
好きなやつに見込みはないと言われ、心を慰めるために目の前にいる奴を抱く。
俺の首へ擦り寄った女は、きっと俺の顔なんかみちゃいない。感情を表情に出さないことは得意だ。それでもいまは――
きっとこの関係はダメなのだと本当はずっと前からわかっていただろ。いまさら告白してどうにかなるなんて高望みしねえよ。俺たちは一番近くて一番遠い道のりを選んでんだから。