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03 暗闇に浮かぶ幻想

 当真の家で勉強会をしていた日のことだった。一日かけて教えてくれていたメンバーは一人また一人と帰り、頑張ってるのに私の課題は終わらなくて当真の家に居残っていた。家族はまだ帰ってこないと言うから甘えさせてもらっているのだが、さすがにどう頑張っても教えてくれる人もいないのに今日中に課題が終わる気がしない。
 あっという間に集中力の切れた私は「疲れた!」と当真のベッドへ寝転がる。スカートがめくれないよう配慮はしたが、それ以上は考えられない。

「お前なぁ……」

「だって当真のベッドが私を呼んでる」

 これ以上頭を使ったら爆発してしまう。すでに何回目になるかわからない休憩だが、それだけ集中力は切れているということ。
 ごろごろと転がるベッドの上で、ふと視線をやった先の本棚にどうみても卑猥なDVDや本が立てかけてある。隠す気ゼロ。意外なようで、あって当然のようで。

「友だち呼ぶ時もエロ本は隠そうよ」

「なんで? こっちは健全な男子高校生なんだよ」

 まったく悪びれた様子もない。だがここは当真の部屋で、エロ本が散らかっていようが額に入れて飾ってあろうが彼の自由だ。私の指摘がお節介というもの。
 表紙を飾る女の人は気持ちよさそうに裸体をさらしているが、視線の先は愛する人ではなくカメラだし他人だろう。それでも気持ちがいいのだろうか?
 むずりとする感情は疲れた私に毒。

「当真、ハグしよ?」

「……この話の流れでなんで、んな発言ができんだお前は」

 つまらない参考書から顔を上げた当真が苦笑いを浮かべている。

「疲れたから、当真にハグしてほしいなぁと思って」

「ふーん。ベッドの上で?」

「――うん」

 興味本位。本当にただそれだけ。疲れた思考で深く考えられなくて、当真はどんなセックスするんだろうって思った。ここから先の行為を期待していたし、深く考えてもいなかった。
 お互い寝転がっているせいで、はるか頭上にあるはずの当真の頭が私の肩口に埋まる。流れた髪が無防備にした首へ柔らかいものが触れ、それだけで声を詰まらせた。

「いいの?」

 上から見下ろす当真は、彼にしては不安そうにも見えるし優しい男の顔にも見える。どっちであったって私は頷いて当真を見つめて微笑んだ。
 私だって不安がないわけではない。初めては痛いし気持ちよさなんてないと聞く。それでも唇同士が触れ合うキスだけで理解できないほど心地良くて、体を撫でる当真の指先が私の感情を昂ぶらせた。
 確かに挿入時は痛かったけれど、当真に優しく触れられるのは悪くない。それどころか当真の指にほぐされながら、せり上がるものとの葛藤が得も言えぬほど恐ろしく快感だった。
 素肌を感じながら微睡む。
 自分が好き、相手が好き、どっちの好きが大きい。そんな煩わしいことを考えなくていい当真が好きだ。
 こんな関係がアリだということを、今日この時まで知らなかった。知ってしまえば、こんなにも幸福なことをどうしてみんなは知らないのだろうという疑問でしかない。とはいえ、声を大にして言ってはいけないという倫理観は持ち合わせている。
 誰にも言えない秘密ができたこともこの時は高揚感の餌でしかなかった。



 席替えがおこなわれ、当真との席は遠くなってしまった。どうせならバカ二人は並べておいてほしいものだ。そのほうがみんなの授業を邪魔しなくてすむのに。
 今日の夕方は当真の家へ行って、その後本部へ行くことになっている。この前のセックスはとても良かった。少しずつ私の体も慣れてきたようで快感を愉しむ余裕がある。それに当真の大きな手に触れられたり、薄い唇にキスされるのもたまらなく気持ちがいい。
 あれほどの癒しはないなと考えながらほうと溜息を吐いていた。カタンッと前の席が揺れて人が座ったことを知る。誰だろうと見るとぱちっと目が合った。一年の時に同じクラスだった田中くんだ。

「あ。みょうじさんじゃん」

「あー田中くんだ。一年の時ぶりだね」

「だな! みょうじさんなんか雰囲気変わったな」

「え? 賢そうに見えるようになった?」

 自分ではさっぱり実感はないが、二年の時を経れば多少なり頭もよくなってると思うんだよ。あれだけ毎日勉強詰め込んでるんだから。
 実感がないとおり、田中くんは大げさに笑って首を振る。

「じゃあどう変わったっていうの?」

「ええー……言葉にするのはちょっとなぁ」

 そうまで言っておいて渋られると気になるじゃないか。不服の目を向ける。
 移動を済ませた生徒たちが思い思いに隣人や前後の人と話している。あとちょっともすれば騒がしさも納まるだろう。

「みょうじさんさ、なんかいいことでもあったの?」

「あー、ちょっとあったかも」

 はっきりとは言えないけれど、気持ちの浮き沈みが確かに減っている。彼氏でもない猫みたいなゆるふわ男の顔が浮かんでふふっと笑ってしまっていた。

「そういう顔。雰囲気変わったって思う」

「ええ? どんな顔してる?」

「あー、もうっ、……可愛くなったって言ってんだよ!」

「――へっ?」

「そんな“ちょっと”のことでニコニコしてんの可愛いなって思っただけ!」

 言われたことを理解するのに時間がかかるのは自分がバカだからだろうか。頬を赤く染めて「恥ずかしいこと言わすなよな」とか言っている田中くんの顔のほうがよっぽど可愛いと思うの。
 それから遅れてじわっと自分の中で熱くなる。田中くんの様子を思い返しながら、自分が「可愛い」と言われた事実を受け止めて、ようやく田中くんから視線を逸らした。

「なに言ってんのよ」

「だから言葉にするのはちょっとって言ったじゃん」

 自分が恥ずかしがるなら言わなきゃいいのに。こっちまでその恥ずかしさ感染しちゃったじゃない。
 ドキドキと心臓が鳴っている。煩くても止めようがない。可愛いなんて男子に言われたの初めてだ。当真にだって言われたことはない。
 それからも、他愛もない会話をしている時に目が合うとドキドキとしてしまう。当真とは違ってからかってきたり弄ってきたりするけど、でも結局「可愛い」と言われると「バカじゃないの」と言って許してしまう。
 こんなおかしなことって、恋以外にある? 私は知らない。



「なまえ」

「ん?」

 その日の放課後、柚宇ちゃんと今ちゃんと勉強会を開いていた。当真も誘おうかと思っていたのに、どこかへフラッと行ってしまったこの男を探すのは難しい。
 突然ずしりと自分の肩に当真の腕の重しが乗ってバランスを崩すが、彼の腹部に後頭部がもたれるだけ。

「まだ帰んねぇの? 最近勉強熱心じゃねぇか」

「私は当真と違って進学するのにボーダー推薦もらえるかわからないの。だから今のうちにちゃんと勉強しとかないとね」

「ふーん」

 つまんなそうに返事して「俺帰るわ」と離れていった。できることなら来年もこのメンバーと一緒にいたい。だから勉強しているのに、あいつの態度はなに?
 本当に帰っていった男の背中を見つめながら首を傾げる。前なら形だけでも一緒に勉強するか、隣で漫画でも読みながら待っていたのに。

「あーあ。当真くん拗ねちゃったよ。いいの?」

「ダメなの?」

「なまえって彼氏に淡泊なタイプ?」

「いや彼氏じゃないし」

 この瞬間の二人のぎょっとした顔ったら一生忘れられなさそう。どうしてそう誤解されるのかわからない。当真とは友だちだし二人が当真に接するのと同じように私も彼と接している。秘め事はあるけど。
 しかし確かにさっきの態度はなんだか変だ。二人には、彼氏じゃないけど友だちとして心配だから追いかけてくるね、と丁寧に断って帰ることにした。勉強をするには集中も切れたし丁度いい。二人にこれ以上あれこれ聞かれて口を割らないでいられる自信もない。

 小走りで追いかけて、下駄箱の前で当真に追いつくことができた。

「当真!」

「どした?」

 ゆっくりと振り向いた彼に違和感は感じない。だとしたらどうして追いかけてきてしまったのか。変な違和感は私の気のせいだっただけ。じっと見つめることでこの男の気持ちや考えがわかるくらいならこうして追いかけてはこなかった。

「なあ、なまえ」

 私がどう返事しようか悩んでいたら、当真のほうが会話を始めてしまう。

「――たまにはお前からハグしてよ」

 細められた目が私を見る。不安なのか優しさなのかわからない表情で。
 ああそうか。きっと当真も私と同じように寂しくなる時があるのだ。恋とか愛とかそういうのに振り回されるのではなく、ただ誰かの温もりが欲しいと。私がそういう時に当真が温もりをくれるのだから、当真が欲しているのなら私が与えるべきだ。
 少しの戸惑いもなく私は当真を抱きしめた。

「なんならキスもする?」

 返事はないが、唇が触れ合えば「する」と言ったも同じこと。夕方で人通りが少ないからこんな大胆なこともできる。周囲に人がいれば当真もこんなことはしないだろう。
 執拗なまでに舌を追いかけまわし唾液を送り込まれる。いつもならまだキスが上手ではない私を気遣って呼吸ができるタイミングぐらいはくれるのに、今日はそうさせてもらえないほど激しい。飲み込めない唾液が口の端から顎へと伝い落ちる感覚がえっちで、思わず太腿を擦り合わせてしまう。それを察したのか当真の口角が上がったような気がした。
 いつの間にか持っていたカバンは足元へ落ち、膝から崩れ落ちそうな私を当真の腕が支えてくれている。

「っふ、ぁ、とっうま……」

 当真らしくないといえば、当真らしくない。それでも満ち足りたのか、唇を離した男は表情を緩めて「大丈夫か?」と見ればわかるようなことを聞いてきた。
 こんなところで、こんな風にされて大丈夫なわけないじゃないの。疼いてしまう体の奥の鎮め方はひとつしか知らないのに。