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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -

02 瞼を閉じた

 こんな私たちだが、いたって普通の日常だってある。

 教科書を開いてはいるが、ノートを取る手が気怠そうにペンを弄ぶだけでちっともすすんでいない隣の男を見てこっそりと笑う。ボーダーでイーグレットを構えている男とは似ても似つかないなぁ。
 今にも伏せってしまいそうなところへ、折り畳んだルーズリーフをひょいと投げ入れる。当真は教壇にいる先生のほうをちらりと見てから、そのルーズリーフを開いた。

『絵しりとりしよ!』

 手が動き始めたから承諾してくれたらしい。いったいなにを描いて返してくれるのか。すこしだけわくわくしながら待っていたら、ほどなくして机に投げ返される。

「ふふ」

 とても小さくはあったが思わず忍び笑いが漏れた。
 私が最初に描いたのはリスの絵だったのだけど、リスの横にはなぜかマッチの絵が描いてあった。初っ端から間違ってるし。
 先端に色のついた棒と四角い箱。箱には煙草の絵が描いてある。マッチの絵であることは思いのほか上手な絵でわかる。しかしどうして「リス」から「マッチ」になったのかさらに数秒考えた。恐らく、私の絵を当真はクマだと思ったらしい。こんなに可愛く描けているのになんでよ。

「ねぇ、これリスだよ」

「は? どう見てもクマだろ」

「リスですー。当真は狙撃手のくせにどこに目をつけてるんですかぁ〜?」

「あ?」

 こんなやりとりは日常茶飯事で、先生に「コラそこの二人うるさいですよ」と注意されるのは初めてではない。だから静かにするのも一瞬だ。携帯を取り出した私は絵文字でしりとりを再開する遊びを始めた。
 ホットドックの絵文字を送ると、栗の絵文字が送り返されてくる。意外と絵文字を探すのが大変で、画面を真剣に睨んでいたのが悪かった。

「おい」

「んー? ちょっと待っていま探し中で……」

 当真が何とも言えない渋るような声を発していたのに私は画面ばかりを見ていて、机のすぐ先の通路を見ていなかった。リスの絵文字が見当たらないのだ。それかほかに「リ」から始まる絵文字あったかなぁ。
 呑気な考えを打ち砕くのは至近距離で聞こえる咳払い。驚きすぎて飛び上がるかと思った。

「携帯を出しなさい」

 これほどまでに先生の怖い笑顔を見たことがなく、震える手で素直に渡した。あと二時間も授業があるのに携帯を取り上げられてしまったらなにをして過ごせばいいのか。勉強なんてとっくの昔に諦めてるんだこっちは。

「あなたは授業中になにをしてるんですか」

 どうやら先生は私だけだと思ったようで、横目でちらりと確認すると当真はすでに携帯をしまっていた。

「ご、ごめんなさーい。えっと、激重の彼氏がぁ、定期連絡しないとうるさくってぇ」

「そういうことを聞いているのではありません」

 授業中に携帯いじってた私が絶対に悪いから言い返さないけど、聞きたいことは明確に言って欲しい。
 教室から聞こえる忍び笑いと再開される授業。私は当真を睨む。

「なんで気づかねえんだよバカ」

「当真がもっと早く声かけてくれないからじゃん」

「かけただろ」

「聞こえてないし」

「ならお前が悪いじゃねぇか」

「だから聞こえるように言わなきゃ――」

 本日二度目の咳払いがきこえたが、まるで死の宣告のよう。教壇からは禍々しいほどの黒いオーラが見える気がした。し、たぶん気のせいなんかじゃない。隣からは深いため息が聞こえた。


 放課後、プライドの欠片もない私たちは「すみませんでしたー」と気持ちのこもってない謝罪で長い説教を乗り越える。私の携帯もなんとか返してもらえた。
 反省文やら罰則やらなくこの程度で済んだのは少なからずボーダー隊員という肩書きのおかげなのか、日頃の行いのおかげなのかはわからない。というのも、私たちは確かに勉強はできないし授業態度も褒められたものじゃないかもしれないが、きちんと補修は受けるしギリギリ赤点は免れていた。テスト前に知識を詰め込んでくれる、友人たちの涙ぐましい努力のおかげで。赤点をとろうものなら、それこそボーダー隊員としての活動ができなくなるし将来にも関わるからそれなりに私も必死。当真が将来についてどう考えてるかまではわからないけど。




 そもそも当真勇とはゆるゆるふわふわ人間で何を考えてどう思っているかなんて私には到底計り知れない。
 当真のことはボーダーにいればいやでも目や耳に入った。圧倒的な狙撃の腕。A級二位という肩書き。関わるようになったのは二年で同じクラスになった時だ。学校でも変わった髪型と長身と気だるげな態度がよくも悪くも目立っていた。

「なまえ、これ当真くん。当真くんこちらなまえ」

「おい国近。なんで俺は“これ”なんだ?」

「え〜当真くんだし〜」

「あそ。まあいいけどよ」

 いいんかい。と心の中でツッコミを入れてしまえば、声に出して笑っていた。当真もそれを咎めることはないし気にした様子もない。柚宇ちゃんも割とぞんざいに扱っている。
 なんか猫みたいな男だなぁ。ふわふわしてゆるゆるで。そのくせ爪は鋭い、みたいな。
 その印象は未だに変わってはいない。いまもゆるふわ男だと思っている。

「よろしく、なまえチャン?」

「こちらこそよろしくね。呼び捨てでいいよ。私も当真って呼ぶし」

 体の相性の話はもう少し先のこと。出会ったばかりの頃は、話題や趣味が合うとかそんなことではなく、なんとなく居心地のいい男だと思った。 
 いつも一緒にいるわけではないけど、タイミングが合えば一緒に帰ったり、みんなで勉強会したり、影浦んちにお好み焼き食べに行ったり。
 普通に友だちだった。


「あれ、なまえまだ残ってんの? 俺のこと待ってたとか?」

「あ、当真……どうしたの? また先生のお説教?」

「俺が聞いてんのにお前は自由人だな……。担任が俺ごときの進路のことでえらく心配してくれてんの。話ぐらい聞いてあげねーと可哀想かと思ってたらこんな時間」

「あはは! やさしいじゃん」

 自分の席のカバンを掴んで私の隣りの席に座った。「帰んねーの?」と聞かれ、二人だけの教室で小さく息を吐いた。

「恋っていいなぁって思ってたの」

「は?」

「さっきね、偶然柚宇ちゃんと彼氏が昇降口でこっそりハグしてるとこ見ちゃってさ。幸せそうだなぁって思ってたら帰りそこなっちゃった」

 柚宇ちゃん恋する乙女って感じでとっても可愛い顔してた。嬉しそうで幸せそうに笑っているのを見て羨ましくなった。柚宇ちゃんが彼氏のことを大好きで、彼氏も柚宇ちゃんが大好きで。だからあんなに幸せそうな顔ができるのだろう。彼氏がいたこともない私はどんな気持ちなんだろうって想像するばかり。

「男の人の大きな体に包まれる安心感ってやっぱり特別なんだろうね。私もいつか柚宇ちゃんみたいに幸せなハグしてもらえるような恋したいなぁって考えてたらこんな時間」

「ふーん」

「ここ笑うとこなんだけど〜」

「ハグ、してやろうか?」

 この男はまた突飛でもないこと言い出して。にやけた顔で両手を広げている。なに言ってんだと思っているのに、彼の腕の中はとても魅力的に見えた。誰かに見られるかもとか付き合ってもないのにとか道徳的な考えが邪魔をしているのに、魅入られるように立ち上がった私は「うん」と返事をしていた。
 ハグってどうやってやるんだっけ、なんてバカみたいなことを考えていた一瞬の間にはもう当真の腕に囲まれていた。頬が胸に当たり、呼吸をすれば当真の甘い甘い香水の匂いが体へ入ってくる。相手の鼓動が聞こえるなんてよく言うけれど、今は自分の感情が煩くてそれどころではない。

「……あったかい」

 想像なんかでこれは知りえなかった。自分の両手を恐る恐る当真の背中へまわす。密着した体のいたるところから当真の熱を感じる気がした。

「ここに恋心が入ったらどれほど幸せなのかな。私、いますごく満たされてるんだけど」

「そりゃよかったな」

 ありがとうと言って離れたけれど、すごく名残惜しい。それが顔に出ていたのか、当真はケラケラと笑って「もう一回しとく?」と言うのだ。そんなの頷くに決まっている。
 その後は何事もなかったように二人でボーダーまで行って、何事もなかったように次の日も友だちの私たちがいた。こんなことで入るような亀裂なんかなくて、でもこんなことから私たちの境界線は甘くなった。
 当真がなにを考えているかはわからないけれど、それでも私は当真のことが好きだと思った。これは、恋愛的な意味ではない。