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私が当真勇に恋しない理由
平凡な帰り道だった。学校が終わって夕方シフトのバイトさえも終えて、早くお夕飯食べたいな〜なんて呑気に家へと帰宅していただけなのに。目の前を小学生ぐらいの男の子が横切り、入っていはいけない警戒区域に入って行ってしまったではないか。
嘘でしょ?三門市の子だよね?ここは入ってはいけない心霊スポットよりも怖い場所だって知らないの?
選択肢は三つ。ボーダーへ通報するか、追いかけるか、見て見ぬふりをするか。最後の選択肢はありえないとして、携帯を見ると電池は赤色点滅。……私は不本意ながらも少年を追いかけた。

「ねえ、きみ!ここは入っちゃダメなんだよ!」

辺りを警戒しながら進み行き、見つけた男の子は一軒の家の前へ立っていた。悲しそうな顔でその場に佇む彼は、きっとこの子の家だったのだろう。そうだったとしても、ここ警戒区域へは入っていけないってルールがあるんだよ。
少年へ声をかけたその時、こちらを振り向いた少年の向こうに浮かぶ黒い靄。その中から我先にと漏れ出てくる化け物。この光景を見るのは二度目だった。四年前のあの日も、私はこんな化け物たちを前にできることなく座り込んでしまっていた。あの時と同じ。また、逃げることもできずに対峙するのか。

フラッシュバックするあの日の出来事が、目の前で同じように動けなくなってしまっている少年を助けろと訴えた。あの日私を助けた父のように。

「早くっ!逃げるよ!!」

後から持ち上げたところで石のように硬くなった少年はぎこちなく足を動かす。迫りくる白色の化け物は口を開いた状態。おそらくあの口からビーム的なものを撃つのだということは説明されなくても想像できた。
目の前まで来ているというのに。少年、動きなさいよ!自分の後へ少年を隠したところで次の一手があるわけでもない。
あの日父さんが助けてくれた大事な命なのに。死にたくなくても殺されてしまうのだと、嫌でも悟らされた。

「え……!?」

その時、視界の端から光る閃光が見えたのは一瞬。化け物はぐらりと倒れて動かなくなる。
その閃光の筋が消える前に、先を追ったがはるか遠く先に、その閃光の正体を知らしめる情報は何一つない。
この間は一分にも満たなかったと思う。

自分たちを助けた閃光は幻だったかのように消えていた。遠くのほうでひゅっと空気を切る音がするから、誰かがこちらへ来るようだ。未だ私の後ろで震えている少年を無理矢理抱き起して塀の影へ身を潜めた。
先ほどの化け物も怖かったが、一般人の立ち入りが禁止されているこの警戒区域へ入ってしまったことで咎められることも怖い。

「当真さんさすがだよな」

「A級は伊達じゃねえよな」

幸いこちらには気付いていない様子。潜んでいるため姿は見えないが、声だけで大して歳の差があるようには感じなかった。ボーダー隊員はそのほとんどが学生で成り立っているというのは、どうやら都市伝説ではないようだ。それから、あの化け物から助けてくれた閃光の先は“とうま”という人らしい。

「――え、民間人?いや……この辺には確認できませんけど」

しまった。こちらへ向かってくる足音に、背中へ冷や汗が垂れ落ちる。落ち切る前に私は静かに立ち上がり、少年を抱えたまま急ぎ逃げるように裏口へと向かった。



命からがら一般人が住める居住区域に戻ってから、見知らぬ少年を叱り飛ばしてやった。悪いがお姉さんも怖かったんだぞ。文字通り命がけだった。
散々泣かせた後に、安堵と過ぎ去った恐怖に震えて、結局二人で泣きながら家に戻ったが誰も追っては来なかった。

「とうま、とうま、とうま……」

現国の教諭から各学年の名簿をこっそりと拝借し(もちろん後で返す気持ちはある)その名前を探す。
あれから数日経った私はその名前の人物を探していた。探すといっても、ほとんど好奇心的なもので、見つけて遠目で見たいだけ。あの閃光を放ったのはどんな人なのか。なんとなく知りたくなった。
どういう漢字を書くのかもわからず、ただ音だけでそう読めそうな名前の持ち主を探してみたが、全学年の中にも見つからないところをみると同じ学校の生徒である可能性は希薄らしい。せめて苗字がわかればもう少し探しやすいのに。

「どこの誰なんだよー!とーまー!」

昼休みならまだしも、五限が始まった屋上に人なんていないのをいいことに声へ出して叫んでみる。人探しのためであって、天気がいいからサボっているわけではない。


「お前こそ誰だよ。さっきから人のこと呼びまくってるけど」


びくんと体は飛び跳ねて、声の主を見上げた。背凭れにしていた搭屋の上を見上げれば、真上の太陽で逆行のため表情は見えずとも不可思議な形の頭だけは確認できた。

「だれ、おまえ?」

声の低い男は訝しむようにもう一度問うが、上を向き驚きのまま答えられずにパクパクと口を開閉するだけの私に「鯉かよ」と笑いをこぼす。

「っあの!あなた、ボーダーの人、ですか?」

探していた。探してはいたけれど、本当に出会った後どうするかなんて考えていなかった。むしろ本人だったら、あの日あの現場にいた私を咎めて警察とかに突き出すのでは、などというのは後にやってくるから後悔という。

「なに?ボーダーに恨みでもあんの?」

「ち、違います!そうじゃなくて」

すとん、と舞い降りるように軽く私の前へと着地をした。長身細身でリーゼントのような髪型に思わず目を見張る。ヤンキーだ。やばい。やばい人に声をかけてしまった。蛇に睨まれた蛙はこんな気持ちなのね。じっとこちらを見る“とうま”から一歩ずつ後退していくのに視線だけは逸らせない。

「…………ああ!お前この間の!」

「人違いです」

「絶対お前。スコープから見えてたっつの。警戒区域に入ったガキ庇ってた一般人だろ」

「ち、ち、ちがいます。ちがいまう」

「今噛んだ。絶対お前じゃねぇかよ。お前が逃げたせいで、上司からすっげぇ叱られたんだけど?逃げるより保護されてろよ一般人」

「……ぐ、ちがい…………ません、ごめんなさい」

「ハァー、めんどくせえ。記憶措置しなきゃなんねぇからボーダーに出頭な」

きおく、そち?彼は不機嫌そうに顔を歪める。ボーダーに、出頭?嘘でしょう?いっきに体から血の気が引いた。

「そそそそれだけはご勘弁を……なんでも言うこと聞きますから!財布出せ以外ならパシリでもなんでもしますから!!」

私の家は、父が四年前の近界民による進行で亡くなっていて、母親が一人で私たち三姉妹を育ててくれているのに、賠償金なんて言われたらとても払えるわけない。学校やめて、人生をバイトに明け暮れ償わなければならなくなるなんてあまりにも絶望的。
そう言うと彼は吹きだして笑った。こっちは真剣なのに、ヤバいだけでなく失礼な人だ。

「記憶消すだけだっつーの。痛いわけでも金がいるわけでもねぇよ。怖い出来事を覚えている方が嫌だろ?」

怖い、というとすごく胸につっかかるような気がした。泣くほど怖かったことに変わりはないが、必死だったし何よりそんな怖いものを考えるより、あの日の閃光のことの方が気になっていた自分がいる。だからこそあの光の主である“とうま”を探していた。

「あの!」

後退したことで離れていた距離を自分から一歩詰める。すると彼は切れ長の目を少しだけ見開いた。

「あの日、私たちを助けてくれたのはあなただったんですよね?すごく遠くから、化け物を打ち抜いて……光が抜けていくようで……こんなこと言ったら不謹慎なんですけど――きれい、だった」

私は、あの鋭い閃光に心を射抜かれたらしい。今すとんと心に落ちた。だから私はこんなにも“とうま”を探していたんだ。

「おい、まてまて、泣くほどか!?」

自分でも制御できないほど、ぽろぽろと涙がこぼれ始めたが、言い出した言葉は止められない。
四年前のあの日、この人がいればもしかしたら私たち家族は父さんを亡くさなかったし、思い出の詰まった家を失くさなかったかもしれない。そんなことどうにもならないことはわかっているが、“IF”という過去への気持ちはどうしたって溢れ出る。別に四年前に父親を助けてもらえなかったことを彼らの責任にするつもりはない。それでもあの日、ボーダーの彼がいたら、と考えずにはいられなかった。
突然こんなことを語りだし泣き出す女は面倒くさいだろう。彼は私から視線を外して頭を掻いた。
一度口に溜まった唾を飲み込んで、もう一度強く彼を見た。

「あなたはこれからたくさんの人を守ってくれるんですね!助けてくれて、ありがとうございました!」

深く頭を下げた。彼にとっては当たり前のことをしただけかもしれないけれど、私にとってはあの日父に守ってもらった大切な命だから。良かった、記憶を消される前にちゃんとお礼を、しかも助けてくれた人に直接言えて。
頭を上げれば彼は呆れたように笑っていて、なぜかつられるようにへらりと笑ってしまう。「汚ぇ顔」と言われてしまったが、自分の制服の袖でその汚い顔を拭ってくれる。外見からしてかなりヤバそうな人だけれど、思ったほどではないのかも知れない。

「うぅ……失礼なことおもってました、ごめんなさい、」

「なんだそれ。変な奴だなお前」

「あと苗字はなんというんですか?仲良くもない男の人、しかもたぶん先輩な人を名前で呼ぶのは気兼ねします」

「散々連呼しといて今さら!?苗字が当真だよ。名前は勇。三年A組」

「あ、聞いたところで記憶無くなるんでしたね」

「……おいおい、自己紹介し損かよ」

「私はみょうじなまえです。私が自分の名前まで忘れてたら教えてください」

「抹消しねえよ。数日の記憶が曖昧になるだけだって」

しばらく笑いあった彼と、記憶措置を取るためという理由で今日の放課後学校の玄関口で待ち合わせた。
私は彼のことを忘れなくてはならないから。残念だけど、また出会えたら友達になってくれると約束してくれたので今はそれを信じておく。

「ただの一発をきれいなんて言われたの、初めてだわ」

私をまじまじと見ながら、彼が苦笑いを浮かべてそう言ったことに首を傾げた。「なんでもねえよ」と笑って頭をくしゃりと撫でられる。吃驚した。今ので記憶全部消えたかと思った。



「当真先輩、ボーダーから離れてません?」

「あー。あっちのゲーセンにボーダーまでの隠し通路があんのよ」

「そうなんですね!ボーダーってすごい!」

「てかその“先輩”やめね?昼までは呼び捨てだったじゃん」

「無知というのは怖いですね。じゃあ当真様にします?記憶が消されるので今日限定になりますけど……」

「ホントなまえは考え方ぶっとんでんなー」

「当真様、私十八時からバイト入ってるんですけどすぐ終わりますかね?それも忘れてたら困るから、終わるまでそばにいてくれません?」

「悪くねーけど、……そうだな、勇って呼んでくれたらそばにいてやる」

「えーーー……先輩で命の恩人を名前で呼び捨てって無理くないですか?」

「お、あそこのアイス食うか?」

「はい!勇!食べたいです!」

ふはっと笑った当真先輩に結局ジェラートを奢ってもらって、ゲーセンでぬいぐるみまで取ってもらって、よくわからないままバイト先へ送られて結局ボーダーへはこの日行かなかった。




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