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テーマ「推しとの恋」
- ナノ -
05
 途中から見慣れた通路を進んでいる事に気付き、久しぶりに通る道程にどこへ向かっているのか自ずと理解する。その予想は外れる事無く、目の前で開かれた扉は嵐山隊の作戦室だった。
 今まで仕事をしていたんだろうか。綺麗好きが多い嵐山隊にしては珍しく机の上いっぱいに書類が広がっている。もしかしたら休憩しようとしたところに私と会ってしまったのかもしれない。だったら悪い事したな。なんて、現実逃避のような事を考えていたが、現実は待ってはくれなかった。
 パタン、と背後で閉まった扉。私たち以外誰もいない室内は私たちが口を開かなければ当たり前に無言の時間が続いて、先程と同じようにどうしようどうしようとそればかりが頭を巡る。でも、打開策は思い浮かばず、やはり何も言葉が出てこない。

「なまえ」

 沈黙を打ち破ったのは准で、まるでこっちを向けと言っているように呼ばれた名前。それを無視する事も出来ず、逃げていた視線を躊躇いがちに准へと向けた。私に向けられている真っ直ぐな視線はいつもと変わりないのに、その中の瞳が揺れているように見えるのは自分の心の迷いの所為なのだろうか。

「俺に……不満があるのか?」
「っ、ないよ!准に不満なんてない」

 辛そうに吐き出された言葉を、殆ど反射で否定した。だって今の私は、ただごちゃごちゃと難しく考えてどつぼに嵌り、藻掻いているようなものなのだ。准に何の非もなければ不満もない。私の態度が不安にさせているのは分かっているし、何か言わなきゃいけないのも分かってるけど、何かが足りないこの感じが自分でも分からなくてまだ整理出来ていないのだから、結局答えが見つからない。だからと言って、この場を落ち着かせるために取り繕ったところで准は誤魔化されてはくれないだろう。
 いつかの会話とまるで逆だ。あの時准が即座に大好きだと返してくれたのに対して、私は何を思ってどんな表情を浮かべていた? きっと今、私が大好きだよ。と告げたとしても、准はあの時の私と同じ表情を浮かべるんじゃないだろうか。疑ってはいないけど、純粋に受け取れないというような曖昧なものを。

「なら、迅と何かあるのか?」
「さっきから何? 迅とは何もないよ」
「太刀川さんとも?」
「もちろん。どうして?」
「……いや、」
「准、言って?」

 また、だ。先程も聞かれたのと同じ事。どうしてここで迅と太刀川さんが出てくるのか分からない。畳み掛けるように問いかけてきたくせに、その真意を訊ねれば途端に口を噤んでしまう。
 ここまで聞いておいて、何もないっていう事はないだろう。私だって曖昧な言葉で誤魔化されるわけにはいかない。だから追及するように言葉を重ねれば、准の顔がクシャリと歪んだ。

「俺を避けて、二人と楽しそうに笑っていたから……」

 嫉妬、したんだ。とても言い辛そうに吐露された准の心情に、目を瞠る。
 私が誰と話そうが何をしようが気にしてないと思っていた。それこそ迅や太刀川さんと居る時だっていつも明るく笑いながら声を掛けてくれていたから。でも、それは私が決めつけていただけで、本当は今までも気にしてくれていた? 他の人に何を話していたのか聞くくらい、気になっていたんだろうか。 

「こういう所がダメなんだろうな」
「え……?」
「鬱陶しくて重いって、指摘されるまで気付かなかった」
「……准、まって」
「不満があって当然だ」

 スッと准の表情に翳りが差した。微かに笑みを浮かべてはいるものの、いつもの溌剌としたものとは程遠い。まるで何かを諦めたようなその表情に肝が冷えた。ずっと私の腕を掴んだままだった准の手が、するりと力なく離れていった瞬間、咄嗟にその手を掴み返す。
 待ってよ、ねえ。私はまだ何も答えを出せていないのに、准は何の答えを出そうとしてるの? 私達の三年間ってその程度だったの? ああ、ほら、まただ。自分が全ての元凶だというのに、まためんどうな性格が首を擡げている。

「離しちゃうの?」
「え?」
「もう……どうでもいい?」
「そんなわけないだろ!」

 強く腕を引かれ、その勢いのまま抱き締められる。いつものふわりと包み込むような抱擁じゃない。逃がさないと言わんばかりにぎゅうぎゅうと力を込められて、息が止まりそうな程だった。

「……好きだ」

 耳元にポツリと落とされた言葉。絞り出すような声音で告げられた一言は、准の口から何度も聞いた事がある言葉だ。時には嬉しく舞い上がり、時には重石に感じる事もあった。なのに今はそのどれとも違い、ストンと心の中に落ちてきてじんわりと全身に沁み渡っていく。
 付き合ってから今まで、こんな風に声を荒げる准なんて見た事がなかった。怒ったところも、悲し気に歪んだ表情だって知らなかった。私たちはいつも穏やかで凪いでいる海のような付き合い方をしてきたから。お互いに深入りせず、詮索せず、揉めそうになったら回避してやり過ごした三年間。そして今、初めて一歩踏み込んで、心の奥を露呈して、やっと足りないものが埋まった気がする。准は私の事が好きなんだって、漸く納得出来たって言ったら怒るかな?
 ねえ、迅。分かったよ。迅にはこの未来が視えていたんだね。あの時言われた言葉には深く考えず当たり前だと即答したけれど、今は胸を張って言えるよ。何も怖がる事なんてない。本音をぶつけたって、准は離れていかない。そう信じられる。

「……ずっと、不安だったの」
「うん」
「自分に自信がなくて……准に好きだって言われる度、私でいいのかって」
「なまえがいいんだ」
「っ、うん」

 ほら、答えはこんなに簡単だった。相変わらず自分に自信なんて持てないし、彼の隣に存在するだけの価値だってまだ見出せていないけど、そんな私がいいって准が言うんだから、私も私の事を少しだけ信じてみようと思える。
 トリガー解除。心の中でそう呟けば、即座にトリオン体から生身へと変わった。准も同じ事を考えていたのだろうか。驚いた様子もなく同じように解除してくれて、抱き合ったままの状態で生身に戻る。宙ぶらりんになっていた手を准の背中へと回せば、密着度が増すと同時に少し緩められていた力まで増して、再び強く抱き締められた。
 触れ合うなら、トリオン体よりもこちらの方がいい。どくんどくんと強く鳴る心音がどちらのものか分からないくらいぴたりとくっついて、心地よさと安心感がうまれる。ただ、身動きが取れないくらいの腕の強さは少し困りもので、「苦しいよ」って笑いながら告げれば、すぐに力が緩められて体が自由になる。けれど、それも束の間。するりと頬を撫でていった手に気を取られていると、視界いっぱいに准が映り、距離がゼロになった。

「んっ……准」
「なまえ」

 いくら二人きりとはいえ、ここは作戦室だ。今までこの場所で触れ合った事なんてなかった。いつ誰が戻ってくるかも分からないのに、ここでこんな事をしてはいけない。頭ではそう思っていても、押し付けられる柔らかな唇から逃げる事はしなかった。むしろ、絡められる舌に応えてより深く求め合う。合間に吐く小さな吐息すらも奪われて、まるで行為の最中に交わすような容赦のないキスに夢中になった。
 一頻り口内を舐めあった後、微かな温度だけを残して離れていった唇。ゆっくりと目蓋を開くと綺麗な色の瞳が私を映しているのが見えて、逃げるように准の胸へと額を付けた。恥ずかしくて、擽ったい。そんな今更な感情が顔を出して、准の視線から隠れながら口元を緩ませる。

「色々心配かけてごめんね……?」
「ははっ、もういいよ」
「……本当、めんどうな女でごめん」
「いや、俺も重くて鬱陶しいらしいから、お互い様じゃないか?」
「さっきもそれ言ってたけど、誰に言われたの?」
「……木虎に」
「えっ?」

 まさか、木虎ちゃんが? 嵐山先輩、と呼ぶ凛とした声からは尊敬の念が見えるのに。それとこれとは別なんだろうか。はっきりと自分の意見を言える所が彼女の美点だけれど、自分の隊の隊長であっても容赦はないらしい。

「カッコ悪いな……」
「ううん。准はカッコいいよ」
「そうか?」
「うん。大好き」
「俺も、なまえが大好きだ」

 ニコッと太陽のような眩しい笑顔を浮かべた准。久しぶりに見るその顔に、私もとびきりの笑顔で返した。もう気遣っているかもだなんて思わない。純粋にその気持ちを受け止められるし、心からの言葉で返せる。
 お互い惹かれ合うように顔を寄せて唇を重ねるだけのキスを交わすと、漸くくっ付いていた体を離した。
 傍から見て恋人っぽく見えなくても、熟年夫婦のようだと言われても気にする事なんてないのかもしれない。だって、大事なのはお互いの気持ちなんだから。私は准が好きで、准は私が好き。周りにもそれが浸透しているくらいなのだから、充分じゃないか。
 それで、もし恋人らしくいちゃいちゃしたくなったら准に言えばいい。どうした? なんて首を傾げながらも受け入れてくれるのは分かっているんだから。誰に見られなくとも、二人きりの時に気の済むまですればいいんだ。

「あのね、恋って三年で冷めるんだって」
「うん?」

 机の上に散らばった書類を片付け始めた准を見て、私も定位置のソファへと腰掛ける。最近の会話の少なさから話したい事は山ほど思い浮かんだけれど、ふと頭を過ぎったのはあの日疑問に思った事だった。

「恋愛の脳内ホルモンが三年しか作用しないから、恋を持続するためにはまた同じ相手に恋に落ちて、脳内ホルモンを分泌し続けなきゃいけないらしいの」
「へえ、そうなのか」
「うん。私たち付き合ってもうすぐ三年でしょ? でも私は全然冷めないなあと思って」
「俺もだな」
「えっ?」

 もしかしたら答えてくれるかも。そう思って出した話題だったけど、あまりにも平然と告げられた言葉にカウンターをくらってしまった。「何だ?」と不思議そうな顔で見られても、驚きすぎてすぐに次の言葉が出てこない。
 准を疑うわけじゃないけど、ボーダーの顔と称されるような准に一度ならず二度までも恋に落ちてもらえるとは考え難くて。自分にそこまでの魅力があるなんて思えないし、驚きでしかない。

「だって、私だよ? 普通のオペだし……そんな、恋に落ちるところなんて」
「あるぞ?」
「ど、どこらへんに?」

 何かを言うために開かれた口。けれど何も言葉が出る事はなく、そのまま閉ざされてしまった。不自然に会話が途切れて、でも内容が内容なだけにそれ以上追及も出来なくて、ただその姿をジッと見つめる。いざ言おうとしたら具体的にどこかなんて思い浮かばなかったとか? ありえる話だけど、舞い上がってしまった分ショックが大きい。
 突き刺すような私の視線を受け流した准は、手にしていた書類をトンッ、と一纏めにして揃えると、束になっている山の上へと重ね置いた。

「帰ろう」
「えっ……うん」

 ああ、これは本当に流されてしまったんだろうか。図々しく聞かなければ良かったと後悔してももう遅い。差し出された手を握る動作が乱雑になってしまう辺り不満に思う気持ちが表れてしまっているが、少しくらいいいだろう。だって、何て言ってくれるのかちょっと期待してたのに。

「今日はどうする? 泊まっていくか?」
「うーん、どうしようかな」
「さっきの話」
「え?」
「泊まってくれたら、なまえが音を上げるくらい教えるよ」

 爽やかな声で、幼さを残した笑顔を浮かべながら言われた不穏な言葉。さすがA級五位、とでも言うべきだろうか。きっとここまで考えて、わざと言葉を切ったに違いない。だってそんな事を言われたら、頷く選択肢しか私にはないのだから。
 多分この後、私はまた彼に恋をするんだろう。なんとなく、そんな予感がした。


担当:神無さん


WT liebe refrain [ 05 ]