- ナノ -
04
 習慣で足を運んでしまうものの、本部でできることなんて限られている。嵐山隊の作戦室には行けないとなれば余計にそうだ。
 あの日も来たばかりではあったが、すぐに帰ってしまおうと思っていた。気分は落ち込んでいたし、居場所も見つからず、なにより准にもああ言った手前いつまでも本部にいては怪しまれてしまうだろうから。まさか玄関に向かって歩いていたところを迅と太刀川さんに絡まれるとは思わなかったけど、元S級の迅と個人総合一位の太刀川さんの個人戦なんて見ないわけにはいかない。「なまえも見てけよ。俺が勝つところ」と言う太刀川さんの圧にも負け、流れるようにフロアについていく。至極楽しげな笑顔の太刀川さんに肩を組まれた迅が、困ったように眉を下げた気がした。

 一人でいると嫌なことばかり考えてしまう。それもついつい本部にやってきてしまう理由だった。タイミングが良いのか悪いのか、嵐山隊は広報の方で忙しいみたいだったので、顔を合わすことも連絡を取ることもなく過ごすことができていたのは不幸中の幸いか。
 なんとなくラウンジに居座ってみたり個人戦フロアを覗いてみたりしていると、誰かしら知り合いには会うし、時間も潰れる。オペレーターとはいえ今後のランク戦に向けて解説における研究にもなり、それなりに有意義な時間と言えるだろう。
 今日もまた個人戦フロアに足を踏み入れると、太刀川さんに捕まった。ポイントを取られるだけだからと他の隊員に個人戦を嫌がられ、暇を持て余していたところらしい。隣の席をポンポンと叩かれる。座れ、ということだろう。言われるがままに腰掛ける。

「そういやなまえ、おまえ何で最近このへんうろついてんだ? 嵐山隊は?」
「……私、嵐山隊のオペレーターじゃないんですけど」
「知ってるっつーの」

 自分で聞いておきながら「なんだ、喧嘩か」とつまらなそうに結論付ける太刀川さん。喧嘩というほどのことではないのだが、すぐに否定しなかった私を見て勝手に肯定と受け取ったらしい。

「嵐山が怒るとことか想像つかねーな」

 喧嘩していると思い込んでいる太刀川さんの中では、私が准を怒らせたことになっているらしい。確かに、三年に及ぶ付き合いの中で、准が怒ったところは見たことがない。つまり今も怒られてなんかいないけど、下手に喋るとボロが出そうなので黙っておく方が得策だろう。

「何したんだ? 浮気でもしたか?」
「しませんよ!」
「それ以外で嵐山が怒るようなことってなんだ?」

 そんなの私が教えてほしい。そもそも浮気したところで怒るのだろうか。怒りなんて見せずに、手放されてしまいそうな気がする。だって、私なんか――

「嵐山ってなまえのこと大っっ好きだろ」
「……え?」

 続けようとした言葉は何だったか。太刀川さんの嫌味混じりな言葉に、それまで考えていたことがきれいに消えてしまった。
 准が私のことを好き――というのは、疑いようのない事実だと、自分でも認識している。それは准が言葉でも態度でもきちんと示してくれるからだ。だから安心して准に寄り添っていられたし、嵐山隊の皆にも熟年夫婦だなんだと言われるのだと思っていた。

「ちょっと話してただけでなまえと何の話してたんですか?≠ニかなんとか、爽やかな顔してしつけーのなんのって」
「准が……ですか?」
「お前よくあの重い男と付き合えるよな」

 それなのにどうだ。太刀川さんの評価は、あまりにも私の中の嵐山准像と結びつかない。
 准は優しくて、穏やかで、一緒にいると安心もするけど、眩しくて未だにドキドキもする。そんな准に対して、ことあるごとに好きが増してしまって、一人しんどくなるくらいだ。考えれば考えるほど、私の方がよっぽど重くて面倒くさい。なのに、太刀川さんは准を「重い男」と言う。意味が分からない。

「つーわけだ。なまえが謝りゃ丸く収まるって」
「そう……そうですかね……」
「おー頑張れ頑張れ」

 返事は適当だが、太刀川さんは私を心配して声をかけてくれたのかもしれない。ありがたいのだが、余計に混乱してしまった。的外れなアドバイスはスルーできるのに、どうしてもその前の言葉が胸に引っかかる。なのに当の本人は、フロア入り口近くに米屋くんを見つけ、「お、カモが現れた!」とそちらに向かってしまった。

 話し相手がいなくなった後もしばらくは呆然と観戦モニターを眺めていたのだが、一向に混乱が収まらず、気分転換に飲み物でも買いに行こうと個人戦フロアを後にする。
 ラウンジにでも行こうか、いや自動販売機でいいか、いっそもう帰ろうか。まとまらない頭でぐるぐる考えながら、本部の廊下を玄関ロビーに向かって歩く。
 数歩先の床を睨みつけながらずんずん進んでいたせいで、前方の角から曲がってきた人物に気づくのが遅れた。

「……なまえ」

 名前を呼ばれてから気づく。床から足元、腰、胸、首と視線を上げていき、最後に顔を見てから「あっ、」と情けない声を上げた。准、と確かめるように口にした名前は、ちゃんと発声できていただろうか。目が合った瞬間から周囲の音が消え、自分の声が出ているかどうかも分からない。
 思いがけぬところで出くわしてしまった。ここは本部なんだから准がいても何もおかしくないのだけど、まだ心の準備どころか頭の整理もできていない今はまだ会いたくなかった。
 ガチッと固まる私とは対照的に、いつも通りの凛々しい表情の准。何日ぶりの対面だろう。ここ数日は連絡すらまともにとっていなかったから、何を喋ればいいか分からない。

「なんだか、久しぶりだな」
「そう……かな? ……そうかも」

 たったそれだけの会話を一往復して、通路には静寂が戻る。どうしよう。いつも何話してたっけ。一人焦って、視線を泳がせる。何か話題になるようなものはないか。誰か通りかからないか。しかし誰も何も現れず、気まずい時間だけが過ぎる。二人でいるときにこんな空気になったことなんてないのに、全部自業自得だ。どうしようどうしよう。そればっかり脳内を巡る。だめだ。やっぱりちゃんと整理して言葉にできるようになってから出直そう。

「あの、私、ちょっと呼ばれてて……えーと、迅に」

 喋りながら無理やり考えた苦しすぎる言い訳を口にしながら、ゆっくり足を引き、体を反転させる。来た道を戻ったところで迅なんていないけど、とにかくここから逃げたかった。

「じゃあ、」
「迅と何するんだ?」

 じゃあまたねって言えば、きっと准は詮索せずに手を振ってくれる。そう思っていたのに、最後の最後に振り返ったところで准に引き留められた。予想外の行動に、ぱちくり瞬きを繰り返す。「准……?」と今度こそちゃんと声に出して様子を窺うも、准の顔色は変わらずまっすぐ私を見据えたままだ。しかしその声にはほんの少し怒りが混ざっているようにも聞こえる。

「俺に言えないようなことか?」

 気のせいかと思ったけど、間違いじゃない。表情こそいつもと同じで人好きのする凛々しく爽やかな雰囲気だが、遠慮なく近づいてくる様子と、有無を言わさず奪われた手首に、いつもとは違う何かを感じた。
 怒っている、のかもしれない。
 それもそうだ。何も言わずに避けられ、連絡も絶っていたのだから、普通なら怒る。だけど准ならってどこかで思っていた。
 ――嵐山が怒るとことか想像つかねーな。
 太刀川さんの言葉を思い出す。あの時は同調していたけど、准も怒ることはあるみたいだ。怒っている原因は、太刀川さんの予想していた理由とは違う。私の理不尽な態度のせいだけど。

「何考えてる?」

 掴まれた手首にさらに力が加わったかと思えば、今日初めて准の表情が崩れた。眉間に寄せられた皺。吊り上がった眉。どちらも、初めて見る顔だ。

「迅のこと? それとも太刀川さんか」

 どうして今、太刀川さんの名前が出るのか。全てに理解が追い付かない私は、間抜けにも口を開けたまま、准を見上げることしかできない。

「今までだって別に我慢してたわけじゃないけど」
「……どういう、こと?」
「俺たちはもっと話し合う必要があると思う」

 サイドエフェクトがなくても分かる。きっと今が、迅の言っていた分岐点だ。だけど何をどう信じてあげればいいのか分からない。これまでのこと? これからのこと? それとも、今の、苦しそうな顔をした准のこと?

「物分かりのいい男はやめるよ」

 来た道を引き返す准に腕を引かれ、通路を進む。どうしたの、どこに行くの、何を考えているの。どれも声にはならず、空を切っては地面に沈んでいく。
 やっぱりあの時、迅のアドバイスをちゃんと聞いておけばよかった。



担当:斎藤さん


WT liebe refrain [ 04 ]