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私が影浦雅人に恋しない理由

幼馴染の影浦雅人くんは一緒に登下校する仲だ。でも、互いにそれ以上でもそれ以下でもない。それが習慣づいているだけ。
友人がいないわけではないが多くはない、というのも理由の一つかもしれない。“感情受信体質”という副作用持ちの彼は、人に向けられる負の感情に敏感だ。そのせいで喧嘩っ早すぎて友人が少ないし、不登校なこともままあるためか学校のほとんどの生徒に恐れられている。不良少年に見えているわけだ。
そんな彼と仲が良いという理由だけで、私にもあらぬ噂が立つことがあるのも否めない。でもそれを雅人くんのせいにしようとは思わないのは、彼のことをよく知っているから。彼はとても優しくていい子なのでみんなにも仲良くなって欲しいという気持ちはあるような、ないような。


「なまえ。今日、鋼が一緒に帰るって」

お前はどうする?と聞きたいのだろう。
高校生の、しかも三年生にもなって恋仲でもない男女が一緒に登下校する姿は、そういう関係を疑われて然るべきなのに、どういうわけか誰にも聞かれたことがない。唯一、私たちに面と向かって聞いてきたのが鋼くんだった。きちんと否定したら「そうか」と言っただけで、深い追及も訝しむ様子もなにもない。なるほど彼のこういうところが雅人くんは気に入っているのかもしれない。
結果、鋼くんはボーダー関係者でもあり雅人くんと打ち解けるのは一瞬で、私とも会話してくれる数少ない男友達だ。

「わかった。私は図書館に寄って帰るから」

「別に図書館ぐらいついてってやるけど」

「ううん、先に帰ってて。鋼くんまで待たせるのは気が引けるし」

この時、少しだけほっとしたことは悟られなかっただろうか。じっと見下ろしてくる彼に、それ以外の他意ははないと笑って見せた。
ほっとした理由は二つ。
一つは、鋼くんと雅人くんの男の友情タイムを邪魔したくない。何度か一緒に帰ったことがあるが、彼らは私の前でボーダーでの話を一切しない。ボーダー内のほとんどのことが極秘だからという理由もあるが、私が会話に加われないからという理由もあるらしい。一度どうしてボーダーでのことを話さないのかと聞いたら「お前がつまんねぇだろ」と言われた。鋼くんもそれを肯定するように笑ってくれて。こういうところが……。
二つ目の理由は、その“こういうところが”。それ以上は思うことも口にすることもできない。できない、というよりしないように心掛けている。言葉よりも先に、彼へ変なものが刺さるのは私の本意ではない。

「今日も親遅えんだろ。夕飯食いに来いってババアが言ってた」

「ありがとう。宿題片付けたら行くね」

「……今日は帰り遅くなんねえから」

「ハイハイ。宿題は手伝ってあげるだけだからね」

含みのある言い方の狙いはわかっている。舌打ちついでに軽く睨んできたが、そういうのは可愛いという部類。怖くなんてない。
口元を隠すようにマスクを上げた彼が人の頭をぐしゃりと乱して「また後でな」と言って背を向ける。
頭の中には「無」という言葉をたくさん並べおいた。



うちの両親の帰りが遅いせいで、ご近所で家族同士の仲も良い影浦家にはよくお夕飯を食べさせてもらうことがある。
お好み焼きだけでなく、焼きそばだったり炒飯だったりおばさんが作るまかない料理は美味しくていつも食べすぎてしまう。それに雅人くんが焼いてくれるお好み焼きは中でもとびきり美味しい。いつもダイエットは明日から考えようってなるのが辛いところ。
夕飯を食べさせてもらうお礼に雅人くんが帰ってくるまではお店のお手伝いをさせてもらい、帰ってきた彼の宿題を少し手伝うまでがほぼ日課だ。

そして今も、明日の授業の宿題兼予習中なわけだけど、気になった話題をひとつだけ振る。隣へ座る彼との距離の近さに、「無」を浮かべ続けるのにも限界があったから。

「っま、雅人くんは、荒船くんって知ってる?」

「荒船ぇ?……ああ」

「今日図書館で知り合ったの。高い所にあった本を偶然取ってもらって。少しだけ話したんだけど、ボーダー隊員だって聞いたから」

他校の制服を着ていたから戸惑いはしたけれどとても親切な男の子だった。いくつかの会話のなかでも、きっと彼なら雅人くんの友達になれるのではないかと思ったほど。
荒船くんの話をいくつも並べていれば、思考から距離のことは薄れていく。そして気付けば、相槌は返ってこなくなっていた。あれ?どうかした?

「……!」

教科書の英語の羅列を無意味になぞっていた視線を雅人くんへ向けて、思わず息を飲む。ま、ま、雅人くん……さっきよりももっと距離が近いんですが。慌てて手を出すと、指先に彼のシャツが触れる距離。

無だ。巨大な無を考えろ。

白でも黒でもいい。できれば明朝体がいい。ポップ体はちょっとやめて。ピンクのネオンで光らないで。
脳内はこれ以上無を考えられそうもないし心臓の音は次第にうるさくなるばかり。こちらをじっと見つめる瞳から逃れたかった。何よりこの距離では、ボーダーでシャワーでも浴びてきたのか雅人くんから石鹸のとても良い匂いがする。甘いようなくすぐるような、香水だろうか?幼馴染はいつのまにかそんな洒落たものをつける男になっていたらしい。

「ちょ、っと離れて?私、今、すごくお店の匂いしてて……」

比べて私は雅人くんが帰ってくるまでお店の手伝いをしていたから、ソースの焼けた匂いが自分でもわかるほどだ。自分ちの店の匂いだから嫌ではないかも知れないけど、女として色気がないと思われるのは好ましくない。


「お前なぁ……いい加減、くっちまうぞ」


金糸雀色の瞳に動揺した自分の姿が映っているのが見える。
たん、と彼の手が逃さないとでも言うように床へついて、私との距離はさらに縮んで十センチにも満たない。息を吸いたいのに、吸った息の吐出し場所を探すほどには困惑していた。
くっちまう?……たべる?

「あ……え、お、おなかすいた?下からご飯もらってくるね、」

なんだお好み焼きの匂いに空腹がそそられただけか……。安心した。思わず勘違いするところだった。まだ心臓とびでそう。
急いで腕の間から抜け出して部屋を出る。階段を降りる前に何度深呼吸すれば、おじさんとおばさんに怪しまれない程度に落ち着くだろうか。


「ったく……そのやわけぇやつは俺にだけ向けてりゃいーんだよ」


私が雅人くんに恋しない理由は、自分の中でまだ言葉にして関係を崩せるほどの勇気がないから。
ああ、手に持ったお好み焼きが冷めないうちに彼の部屋にもう一度入ることができるだろうか……。



二人分のお好み焼きを持って上がる。

「なんで二個もあんだよ」

「え、今日雅人くん遅くならないって言ったから、一緒に食べようと思って待ってた」

「……あそ」

「雅人くんのは、今日はイカ明太だって」

「おう」

「私のはエビー!」

「おう」

「あわせたら海鮮スペシャルだねー」

「なんだ?食いてえのか?……ほら」

「わ!じゃあ、雅人くんにもあげる、はい!」

「あ?てめ、これエビ入ってねえじゃねえか」

「入ってる、入ってるって!はじっこに……ダメ?えー……エヘ?」

「エビ寄越せ」

「ひ、ぎぇ!!」

エビをとったぐらいで文句言うなと明太子の塊をくれたけれど、そういうことじゃない。私が箸で持っていたのを食べなくても良いじゃん!なんで気にしないんだよ!
私の中の無は相変わらず派手なピンクネオンで主張を繰り返していた……。




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