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私が迅悠一に恋しない理由

他支部の人間は、本部へはあまりこない。彼は目立つ風貌だし、本部に来ると周りの空気も賑やかになる。だからつい見ちゃうのだと思っていた。
最初は、面白半分。「エリート」なんてどの口がいうのかと思っていたのに、自他ともに認めるほどの才能を見せつけられてはいうことない。副作用を最大限良い方向へ生かそうとしている姿は、飄々とした影に隠れている並々ならぬ彼の努力の上に成り立つのだろうとぼんやりと考えていたことがある。まあ彼は暗躍しているから、私達はほとんど知る由もないことだけれど。

「……それを努力、なんて言ったら怒りそう」

「誰のこと?」

肩をポンと叩かれ「ひゃ」と大きな声が出たのと同時に口から心臓も飛び出たんじゃないだろうか。思わず口からこぼれてしまうほどに彼のことを考えていたらしいし。背後から近付く気配にさえ気付けないとは……事務とはいえ、ボーダー職員失格かも。

「ぼんやりして、なまえさんはだーれのこと考えてたのかな?」

にっと少し意地悪げに笑った彼の顔はすぐ背後、やや高いところ。飛びのきたい一心だったが、ここであからさまに避けてもきっとからかわれてしまうだけだろう。私の当たらない勘がそう言っている。

「なんでもない」

当たり障りのない笑顔を浮かべて振り向きそっと一歩距離を取る。

「そう?」

「そう。迅くんこそどうしたの?」

「おれのサイドエフェクトが、なまえさんとここで会えるって教えてくれた〜」

今いるこちらの通路の先にはランク戦ブースも対策室もない。大人たちの働くボーダーの事務オフィスがあるだけ。普通ならば戦闘員である彼がこんなところへ来る用はないだろう。
私は元々隊員で、自分のトリオン量の少なさに見限りを付けて自らこちら側へまわった。迅くんと出会ったのはそんな隊員だった頃。何度かランク戦も戦ったことがある。でも彼はすぐにブラックトリガー使いになってランク戦からは外れちゃったのだけれど。
玉狛支部の彼とは、それからはほとんど顔を合わせることなんてなくなるだろうと思っていたのに、彼はちょくちょく本部へ顔を出すし、私ともこうして“遭遇”する。いつも驚かされてばかりで悔しいが、それは彼のサイドエフェクトを考えると私に覆せるものでもないし、やり返すこともできない。

「私に何か用なの?実力派エリートの迅くん」

「ん?ちょっと確認にきただけだから」

なにを?とは聞き返すより先に「揚げせん食う?」が先行して、差し出された袋におずおずと手を突っ込む。いつもどこから出てくるのか疑問に思うがズボンの大きなサイドポケットへ入っているのかもと考えて声を潜めて笑った。
彼はいつも私を驚かせるときに「確認しにきた」と言うが、何を確認しているのかはよくわからない。もしかしたら私が気付いていないだけで、彼は遭遇するいたる所で設備なんかの確認や未来予知をしているのかも?
考えれば考えるほど、未来予知の能力のせいで彼は大変な思いをしている気がして、手を伸ばして頭を撫でてさえあげたくなった。

「……」

「…………なぁに?」

「困ってる顔もかわいーなーと思っただけ」

「は?!」

へらりと笑った彼が確かにそう言ったかどうか理解しきれない頭は「かわいーなー」だけが響く。今、私、困った顔してた?
脳内に響く言葉を受けて急激に体温が上昇しているのは嫌でもわかるわけで。それを表面上出さないようにする努力の仕方は、師匠の忍田さんも教えてくれなかった気がする。

「からかわないで、くれるかな」

だから私は真面目スカした顔してそう可愛げを失くして言う他なかった。真に受けたくないと思っている時点で、ほとんど真に受けているようなものなのに、私は抵抗することに決めている。
キョトンとする彼にそれ以上見つめられたら穴があきそうだよ。背を向けてオフィスに向けて歩き出したら、中身を聞き取れない声が後から聞こえた。

「まだ、か……」






それからは、避けられる時はできるだけ彼を避けた。声をかけられれば「要件がないならまた今度ね」とかわし、出くわせば「急ぎの用があるから」と手を振った。さすがに何度か続くと避けられていることに気付いたのか、食堂で会ってもわざわざ声をかけてはこなくなって。
遠巻きに交わらない視線で居ることを“確認”するだけ。
面白半分だったのに、気づけばこうして彼の存在を確認しようとする自分がいる。でもどうしてか、それを本人に伝えるつもりもなくて。だって、彼の抱えているものを私は理解できないし、頭を撫でてあげたいと思うぐらいしかできないのだもの。
あまり本部へ来ない玉狛の彼とのこんな関係は三ヶ月も続いた。
こんなにも自己意識で逃げているのに、どうして彼から逃げるのか、自分の中での議題は片付かない。感じ悪い女だと自己嫌悪。

からかわれるのがいや
先を視越して自分の気持ちを知られるのがいや
そしてその結末を知るのがいや

いやなことばかりで、離れられた距離ぶん彼との心の距離を開くことができたのに、自分の中では一つも感情が沸かないのはどうしてなのか。知られたくない気持ちの部分に正解は詰まっている。


紙コップをぐしゃりと潰して午後の仕事へと気合を入れ直したところ、少しだけ残っていたジュースの液体が手についてしまった。踏んだり蹴ったりだ……。
もやもやしてばかりの気持ちを抑えつけるように深く深く吐き出した息で席を立ち、お手洗いに寄って手を洗うついでに口紅を直す。事務部門へ転課することが決まってから買ったのローズ色のルージュは、身が引き締まる気がして好き。仕事をする時にコーラルピンクはいまいちゆるふわすぎて……

「――っうぁ!?」

「コンニチハー。素敵な色の口紅だねえ」

だからこうして距離が開いていたら、彼が神出鬼没だということを忘れかけて悲鳴を上げた。さすがにトイレ内にあるメイクルームではなくて、トイレから出てすぐのところだけれど。

「そんなに驚くなよ。迅さん傷ついちゃう」

「驚かすようなところから出てくるからでしょ!」

未だ心臓はばくばくと鳴って驚きを鎮められない。相変わらずプライベートゾーンが狭くとても至近距離なせいで、むしろ違う意味で早鐘を鳴らす。


「先に言っとくけど、おれが理由を問い詰めるのも、なまえさんからきりだすのも、結末は同じだよ」


思わず肩が跳ねた。久しぶりに見る彼の表情はいつもよりも自信あり気に笑っている。何を言っているのかわからない。理解してしまいたくない。
「なんの話?」と笑って誤魔化しながら、一歩下がれば壁へと背中をつける。癖みたいなもので、彼の伸ばした手が壁をついて退路を塞ぐのを見て、視線はその先へやっていた。願ったってどうしたって私はもうテレポーターを使える戦闘員ではない。
迅くんの瞳がこの先の私のすべてを視透かしているのだと思うと顔なんてあげられそうもなかった。

「……せめて私にも、最善の未来を選ばせて、くれないかな?」

迅悠一のことは、友人として長い付き合いだとしても理解できないことの方が現状多い。救える未来は全部こっそり救おうとするなんて、とんだヒーローだ。狭い心の持ち主だから私はそんなのに付き合ってられないよ。迅くんをみているだけで精一杯だったぐらいだ。

私の最善は最悪で、でも考え得るネガテイブの中でもまだマシなほう。

「いーよー。良いと思う方を選んで」

なんてお気楽な返事なんだ。
噛み締めた奥歯をゆっくりと離して声を震わせる。

「迅くんが、すき……です。たぶん、ずっと前から。でも、わかってるから。言ってスッキリなんて子供じみてるけど、それだけだから。偶然会うのも、優しい言葉かけてもらえるのも、自分だけだなんて勘違いしたくないの。だから、これ以上――」

「え、え、……待って!ストッープ!なんでソッチ選ぶの?!」

んぐ。突然私の口塞ぐ彼の手が邪魔で言葉の続きは吐き出せない。ソッチもコッチも、私には元から一つしかなかったように思うが、彼には違ったらしい。驚いた顔でターコイズに見つめられる。

「悪いけど、結末はどれも同じだよ?だから何もソッチ選ぶことないでしょ。おれとしては上目遣いのやつが」

「んんーー!!」

視えている予測図など知るか!私の精一杯の告白を邪魔した挙句にダメ出しとか信じられない。ひどい男だと睨みつけると、たじろぐのは彼。

「あ、悪ぃ…………続ける?一応最後まで聞いてあげてもいいよ」

離れた手には私の唇から剥がれた色が付いていた。あれだけ強く押さえられていたから、きっとよれてしまっているだろうと慌てて自分の口元を手の甲で隠す。恥ずかしくて、じゃないからね。勘違いしないでよ。

「なんでっ、そんな上から目線なの?言いたいことはもう言いました!思い残すことないから……早く振るなり笑って誤魔化すなり、してよ」

優しい彼はきっと一刀両断するなんてできないと思う。こっちの気持ちを汲んだうえで笑って誤魔化すに決まっている。でも、同じ傷つけるなら痛みを感じる間もなく終わらせて。

「絶対に上目づかいだと期待してたのに……」

「しない!」

「……わー、かわいくなーい」

「なっ、」

「うそ。可愛いよ」

こうやって人をおちょくって。弄んで。ちゃんと好きだって言ったのに……。それでも翻弄されている自分がいて、好きになんてなりたくなかった。この男に恋なんてしたくなかった。

「結末はどれも同じだって言ったろ?」

口元を隠していた自分の手がたやすく奪われた。その手にも赤い口紅のあとがついてしまっていたのを横目で確認する。こんなこと二度もないとは思うけれど今度からはヌーディな色合いのものにしよう。

「なまえさん」

迅くんにいつもより低く甘い声で名前を呼ばれて、誘われるように振り向いてしまった自分が憎い。綺麗な色の瞳で私のまだ知らない、なにを視ているの?


「おれも好き」


唇に触れるか触れないかの距離で囁くのは、私をどうしても恋へ引きずり落とす男の甘い誘惑。こんな瞬間を想像さえできなかった私は、たまらなく唇が赤く熱くなったような気がした。





あとで聞いた話だが、一緒にいる未来は視えているのに全然なびかないし、私の反応は鈍いしで視誤っているんじゃないかと頻繁に確認していたらしい。

「何度も確かめなきゃ不安なほど好きってこと」

それは迅くんにしては珍しくほんのり頬に色を差し、斜め上に視線を逸らしたものだった。
……さすが常に最善を尽くす実力派エリートくんだ。

「迅くん、ちょっとかがんでくれる?」

「いいよ?」

「……いつも頑張っててすごいね。ありがとう。頑張り過ぎてるのみてると頭撫でてあげたくて……ダメだった?」

「あのさー、…………まあいいけど」

「照れてる?」

「素直に照れてるって言ったら、ハグしてくれる?」

「それはちょっ……!」

「残念。もう素直に言ったようなもんだから」

もっと頭を撫でたかったのに、ぎゅっと抱きしめられてしまえば届かなくなってしまった。こうなることも彼には視えていた未来?



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