君と写るインカメラ
お店に入ると甘くて美味しそうな良い香り。
パステルカラーで彩られた店内はとってもオシャレ。
昼前で人も多く、女の子同士かカップルばかりが仲睦まじく席を埋めている。
今日が特別な日でなければ、きっと一也は一緒には来てくれなかっただろう。
普段野球してる時なんかは極めてかっこいいのに、今は不機嫌そうにその眼鏡を曇らせている。
マスクをしてるから、その表情まではよく見えないけど。
「浮いてるよ、一也」
その様子があまりにも可笑しくて笑いを堪えきれない。
目深にキャップをかぶり直して「ソンナコトナイ」と恥ずかしそうに言う一也を連れて、店員さんに案内された席へと進む。
一番奥の窓際の席に二人掛けのソファー。
小さなラウンドテーブルにはパンケーキとドリンクを置くぐらいしかできないだろう。
二人並んで柔らかなソファーへ腰かければ、少しだけ肩が当たる距離感になんだか嬉しささえ感じるほど私はご機嫌だ。
「誕生日、どこか行きたいとこない?」
誕生日の三日前、試合から帰ってきた一也は単刀直入に聞いてきた。
「それとも欲しい物とか。色々考えたけどわかんなくて…」
プロ野球選手の一也は家を空けることも多いが、幸いにも明後日の誕生日はオフらしい。
忙しい一也に誕生日を祝って欲しいなんて願望抱いてなくて、休みで一緒にいられるというだけで気持ちは舞い上がり、それ以上に欲しいものなんて考えられそうもなかった。
「良いよ。一也がいてくれれば」
それに、変なところ金銭感覚の悪い一也は、よく高価な贈り物をくれる。
アクセサリーや服も、時には先輩が美味しいと言っていたからという理由だけで突然ドレスコードのレストランへ連れていかれたり。
プロ一軍入りしてから、普通では考えられない額を稼ぐ一也は「他に使うとこないから良いよ」と言って欲しがるものを何でも買い与えてくれるから怖い。
お財布の紐をしっかり締めて下さい。
「えぇ…?」
「あ!なら、一緒に行きたいお店があるの!」
この時はどこだとは伝えなかった。
二つ返事で良いよと言ってくれた一也は、お店の前に来て冒頭の表情へと変化した。
「食べたかったんだ〜ここのパンケーキ!」
「あ、そう」
どうでも良さそうな返事で、メニューに視線を落としている。
フワフワしてそうな厚めのパンケーキにタワーのような生クリーム。
かけるのは甘いシロップか黒い魅惑のチョコレート。
「…俺、アイスコーヒー」
「食べないの?なら私の一口あげるね」
「遠慮しとく。お前が食べてるの見るだけでコーヒーブラックで飲めるから」
「あ、誕生日ですって言ったら文字書いてくれるらしいよ」
「はは、子どもじゃあるまいし。そんなことで嬉しいの?」
「べ、べつに?普通のでも良いもん」
声を堪えて困ったように一也が笑うから、少しだけ恥ずかしくて顔が熱くなった。
パンケーキとアイスコーヒーを頼んだら、トイレに立ち上がった一也の後ろ姿を見送る。
野球でだけじゃなくテレビにも時々出るものだから今や有名人で、街中歩いてればやっぱり何人かは気付くし声を掛けてくる人もいる。
二人でデートしてると、人に囲まれてしまった一也を遠巻きに見守って別の場所で再集合したり、結局そのままデートにならなかった日だってある。
広い心で見ているつもりだけど…
そこまで考えて頭を振った。
何も不安に思うことはない。
それに、そういう面倒ごとに痺れを切らした一也が同棲しようって言ってくれて、一緒に住み始めたのは今年の春の出来事。
「何考えてんの?」
戻ってきた一也はどかりと私の横へ座って眉をひそめる。
今どんな顔してるんだっけ?
「ん?パンケーキまだ来ないのかなって」
「どんだけ楽しみだよ」
笑った一也を見て、私の頬も自然と緩んだ。
「何考えてんのか知んねーけど、せっかくの誕生日なんだから笑ってろよ」
髪切ったって、お財布変えたって、枕カバー変えたって気付かない一也だけど、変なとこ気付くんもんだから、時々ドキリとさせられてしまう。
大丈夫、楽しいよ。
そう伝えたら間もなくパンケーキは店員さんと共にやって来た。
甘い香りに素直に笑みがこぼれたのを見て呆れた溜息を吐かれる。
甘い物には敵わないよ、なんて思いながら店員さんのお盆の上のお皿に私は自分の眼を疑った。
「お待たせしました」
テーブルに置かれたふわふわのパンケーキは私が頼んだシンプルなものではなく、色とりどりの果物と真っ白な生クリームで飾られ、お皿にはチョコレートでお祝いの言葉が綴られていた。
“Happy Birthday!”
何度もそのお皿に書かれた文字と一也を交互に見て思わず笑ってしまった。
さっきトイレに行った時、こっそり頼んでくれていたらしい。
「恥ずかしかった」
恥ずかしそうに店員さんにお願いする一也を想像してまた笑ってしまい、一也は口を尖らせた。
「ありがとう、一也!」
「はは、声でけーよ」
こんなサプライズがあるなんて思いもしなかったものだから、嬉しすぎて思わず大きな声になっていたようだ。
パンケーキにフォークとナイフを刺しかけて、もったいないな、なんて思って躊躇う。
「あ、そうだ!一也これ持って!」
「は?」
インカメラを構えると理解したのか、お皿を突き返される。
「えー…一緒に写真撮ろうよー」
「お前が持てよ。俺が撮るから」
「………このね、ここを持って真ん中のこの白いボタンを押すんだよ?」
「わかってるっつーの!」
説明しながらおずおずと渡すと、不慣れな感じで「こうだろ?」と言いながらカメラを構えてくれる。
それ反対だよ…。
アウトカメラをこちらに向ける一也は例え誰しもが持ってる携帯と言えど、流行機器に弱い。
「ほら、こっちだよ」
ディスプレイ側をこちらに向ければ二人が並んで写っている。
こんな写真あんまり撮ったことないから、画面に映る二人を見て、なんだか少し気恥ずかしくも思う。
パンケーキもきちんと収まるようにカメラ位置の調整に手間取ってる一也はそんなこと思いもしてないんだろうけど。
「入らないからもっと寄って」
肩や腕が触れ合っていて、顔の距離も近くて、公共の場にも関わらず詰められるパーソナルスペースは変な緊張を煽った。
それでも、向けられるカメラに笑顔を作ると「撮るよ」という合図とともに画面越しの一也が動いて頬に当たる感触。
「え?」
「これ後で俺にも送っとけよ?」
呆然と聞いたシャッター音。
投げて寄越される携帯の画面に映っている私は驚きで間抜けな顔してる。
一也はちゃっかりカメラ目線のニンマリ顔で頬にキスをくれていた。
「か、ずや!」
「たまには良いだろ?」
ずれた眼鏡を直しコーヒーを啜る一也は深くソファーへ腰かけた。
今日は一也に翻弄されっぱなしで敵わない。
熱くなった頬を誤魔化すように膨らまして不貞腐れをアピール。
嬉しい翻弄だけど、すこし歯痒い思いで一口サイズに切り分けたパンケーキを口に運んだ。
「〜っ!美味しい!」
果物の甘酸っぱさとクリームの優しい甘さがふわふわのパンケーキと共に口に幸福が広がる。
みんなが並んで食べたがる意味も納得がいくよ。
思わず笑いがこぼれる私に「単純」って呟く一也は本当に意地悪だけどパンケーキと写真に免じて許そう。
その代り…
「一也、はい!」
満面の笑みでフォークに刺したそれを差し出せば、眉間に皺寄せてマスクを上げられる。
「いらない」
「そう言わず」
やり返してやりたい気持ちで、近い距離のマスクを下げてもう一度差し出すと、抵抗するように手を捕まれた。
「お前が食え」
無理やり方向転換させられたフォークは私の口に抑え込まれた。
「おいひーのに…」
「なまえが食ってるのみてるだけで十分甘ぇよ。ゴチソウサマ」
口の端に付いたクリームを指先で掬われて、ペロリと舐め取られる。
その行動にさえドキリとさせられて、今日は本当に一也に敵わない。
敵う日なんてないんだけど。
「…誕生日にこんなにしてもらわなくても、大好きなんですけど」
恥ずかしくて手元のパンケーキに視線を落としながらそう呟くと、アイスコーヒーを飲み終えた一也にくしゃりと頭を撫でられる。
「大好きだから、こんなにしてるんですー」
もうやだ。
パンケーキの味がちっともわからなくなってしまっている。
それに頭を撫でていた手は離れることなく私の髪を弄ぶものだから、急いでパンケーキを口へ運んで片付けた。
「帰る」
「は?なんで?買い物とか行きたいんじゃねーの?」
口の中で咀嚼しながらの私の呟きに一也は訝しむような目でこちらを見る。
本当はまだ行きたいところをいくつか予定していたけれど、私が望んでいるのは最初からただ一つ。
「…家で、くつろぎたくなっただけ」
素直には言えないけれど、優しく笑った一也はきっとすべてお見通し。
「そのお願いが一番わがまま」
言うや否やパンケーキのお皿は奪われ音を立ててテーブルに戻された。
全部食べ切れてはいないのに、一也に手を引っ張られ絡まる足をなんとか進めればカードでさっさと会計を済ませ、手を繋ぎ直される。
ぎゅっと握る一也の手は熱くて、意識がそこに集中してしまってお店を出てすぐに足を止めたことにも気づかず思い切り一也の胸に鼻をぶつけた。
引っ張ったり止まったりどういうつもりなのかと思って見上げると、マスク越しにもわかる一也の笑った顔。
「誕生日おめでとう。 今日はいっぱい甘やかしてやるからな?」
恥ずかしさから顔を押えてる私の手を引いた一也の写真が、週刊誌に載ったのは次の日、朝よりも昼に近い時間に沢村君からの電話で知った。
ベッドサイドに落ちた服を適当に着て、テレビを点ければワイドショーでも取り上げられている話題。
私の顔はモザイクで隠れているけれど、一也だけははっきりとわかる。
出かける時は気を付けているつもりでも、昨日だけは気が抜けていたのだろう。
パンケーキ屋で並んでいるところやパンケーキを食べてるとこまで全部撮られている。
ひっきりなしに鳴るのは一也の携帯。
「はっはっは、俺って人気者〜」
テレビの前で青ざめる私の横にくっつくように座ってくる一也は驚くほど呑気。
「どうしよ…ごめん…」
「何謝ってんの?」
「だって、困るでしょ…私なんかと…」
前住んでいたアパートは引き払ったし、実家にも帰れないからしばらくはホテルに…
そしたら一也、どうやってご飯食べるだろう…
お風呂の沸かし方も知らないしゴミの日も知らないよね…
自分に対する不安はもちろんだけど、一也の日常がしばらくごたつくんじゃないかとそっちのほうが心配で気が気じゃない。
「なまえ」
思案すればするほど不安になる思考を遮るように一也に抱き締められる。
「謝る必要もねーし、心配もいらねーよ」
「っでも…」
「結婚するんだから」
「…へ?」
自分の耳を疑いたいのに、見上げた一也の顔が近づいて優しくキスをされる。
顔を持ち上げられるように両耳を塞がれてしまえば、ワイドショーの音も入ってこない。
ちゅっちゅと啄んでいたそれは、ゆるく開いた口内へ舌が侵入し、唾液の絡まる音が思考を奪った。
このキスはどういうキスなの?
「まって、ねぇ…かずや…」
それでもなんとか抵抗すれば、耳を塞いでいた手も離れ、優しく笑ってる一也の顔だけが良く見える。
「結婚しよ、なまえ」
聞こえてくるワイドショーは次の話題へ切り替わっていた。
Happy Birthday for My Friend!
2017/08/11
AofD short [ 君と写るインカメラ ]