02
この手は相変わらず暖かくて、すぐにでも涙が出そうになった。
この人、何やってんだ…。
噂で聞いたところによると、今は東京の青道高校で野球をしているらしい。
それがすごいことらしいと言うことしか、私にはわからないけど。
「痛い」
コンビニから少し行ったところでサイレンの音も遠くに聞こえるようになって、ようやく言葉を発したのは私。
優しく掴んでるつもりだろうけど、今の私には、なんだか痛い。
少し歩調がゆっくりになった時には先ほどのコンビニから少し離れた場所のコンビニへとたどり着いていた。
「ちょっと待ってろ」
幾分か男らしくなった声につきんつきんと心臓が騒ぎ出す。
やっとやってくる実感。
本物の、倉持洋一だ…。
見送った背中は振り向いて戻ってきた。
「いいか?面倒ごと起こすなよ?!」
青筋立てて指差される。
面倒ごと、とは?
念押しながらそう言って、私を置き中へ入っていった。
懐かしい呼び名が口からこぼれかけるけれど、私にはそう呼ぶ権利がもうない。
今は、赤の他人。
それなのに、あんな現場に現れて掻っ攫ってくなんて、本当どうかしてる。
昔からあなたはどうしてそう…
噛み締めた唇が痛む。
「おい!痛むのか?」
戻ってきて私の顔をみるなり、頬にかかる髪を避けられて、思わずその手を払った。
「…触んな」
「悪ぃ、痛かったか?」
気にする様子なんてなくもう一度髪を避けると、カップに入った冷たい氷のアイスを頬に当てられた。
こんなことされる義理なんてない。
嫌でも映りこんでくるその顔は呆れたように傷口の心配をしてくれている。
お願いだから、そんな顔で覗き込まないでよ…。
「やめろ!触んな!」
さっきより語気を強め、覗き込む顔を押し返した。
「はぁ…猫じゃねーんだから大人しくしてろバカ」
「うるせぇ!やめろっつってんだろ!」
抗う手は片手で奪われてしまう。
「あとその似合わねーしゃべりかたやめろ」
「なっ…洋一には関係…」
「年上を呼び捨てすんな」
ゴツンと頭突かれたおでこはさっきの平手より痛いんじゃないだろうか。
一瞬チカチカと星が舞ったような気さえした。
痛すぎる頭突きに抵抗するのをやめて、しかたなくその氷を受け取り頬へ当てた。
熱くなりかけた頬の熱を冷ましてくれる。
大人しくなったのを見てため息を吐き、また私の手を取り歩き出した。
「…お前何やってんだよ」
今度は手首じゃなくて、手を握ってくれる。
その手は昔から変わらないようで全然違う。
ゴツゴツとした節々に硬いマメがいくつもあって握り心地はあんまり良くない。
引かれるように後に続いて歩けば、たくましくなった背中に少し感動さえしてしまう。
二年前より、幼かった小学生の頃より、追い越せない先を行くこの背中を、私はいつまで追いかけていれば良いのだろう。
「両親心配してんじゃねえのか?女がこんな時間に一人で……あ?!おい!!なに泣いてんだよ?!痛かったんか?!怖かったとか言うんじゃねぇだろうな?!」
足を止め、腫れ具合を確認しながらまた覗き込んでくるものだから本当デリカシーない。
あのフラれた日から、一度だって泣いたことないのに、カラコン越しに見える世界はどんどん歪んだ。
「…なんでまた、わたしのまえ、あらわれるかなぁ…?」
もう二度と現れないと思っていたヒーロー。
「知らねえよ。会いたくて会ったんじゃねえ…」
それもそうか。
あれだけの嫌われようだったんだ。
できればこんな女に会いたくなんてなかっただろう。
「…さっきも聞いたけど、お前なんでこんなことになっちまってんだよ」
あの日から伸ばしブリーチで傷めた髪を掬われる。
「…よーちゃんに、なりたかったから」
「は?」
「よーちゃんみたいになったら、よーちゃんのみてた景色が、考えが、思いがわかるかと思ったの!」
私はあの日から、フラれた想いを昇華できなくて今もずっとこの人の影を追っていた。
この人みたいになれば、ヒーローになれる?それともフった理由がわかる?
それとも…私の埋まらない心を埋められる?
幼い頃、木から落ちて骨折したことを機に両親はよーちゃんたちと遊ぶことを禁止した。
それどころか、会うこともできないように習い事ばかりさせられて。
無理やり受験させられた中学はよーちゃんが通うところとは違う学校。
でも、その中学へ行けばまたよーちゃんに会うことを許してくれると約束してくれた両親を信じ、私は受験勉強を頑張った。
たくさん勉強し晴れて入学が決まれば、私は真っ先によーちゃんへ会いに行く。
その制服に袖を通す時にはもう、よーちゃんへのこの思いが恋だということに気付いていた。
満開の桜がまるで私を祝福しているようで最高の気分だったのに、その日私は地の底へ落ちる。
ヒーローに恋したヒロインは幸せになれると疑わなかったあの頃。
自分はとても幼かったらしい。
中学生になったよーちゃんは、私のヒーローじゃなくなっていた。
泣きじゃくりながら帰った私を見て両親は心無い言葉をかける。
「彼はヒールだったんだよ」
お前のヒーローなんかじゃなかったんだよ、あの男はお前とは住む世界も考えること見えることもすべて違うんだよ、だってさ。
私たちを引き裂いた両親の心ない言葉が刃物のように、今度は私の気持ちをズタズタにしていった。
笑えてくる。
なんだよそれ。
悪役になったから私のヒーローじゃないって言うの?
じゃあ私も悪役になれば、同じ世界をみて、同じ様に感じて、よーちゃんのそばにまた居られるの?
彼を貶す言葉を浴びせられるのは、もう十分だ。
その日、私は髪を染めた。
よーちゃんと同じ輝く金色に。
同時に私の人生は驚くほど一変。
今までなら絶対お近づきならなかったオトモダチができた。
化粧を教えてくれて、煙草を教えてくれて、人を傷つけることを教えてくれた。
親のいうこときくオモチャはもう卒業することにした。
なのに、彼に近づこうと思えば想うほど、虚しくなっていく心には目を背けた。
一粒の涙がこぼれ落ち彼の服を濡らすまでの回顧は、彼の手で拭われた。
「バッカじゃねーの」
私の髪を離した指が、後頭部を引き寄せた。
よーちゃんの肩口へ顔が埋まる。
背中に回された手が優しくて、なんだよ…こんなの、期待しちゃうじゃん…。
「離せ!バカって言うな!触んじゃねーよ!!」
「うっせぇバーカ!
なんのために俺がフったと思ってんだよ…」
そんなの知るわけない。
それが知りたいからこんなことになってんのに!
「なんにも…なんにもわかるわけないじゃん…」
虚しくなる心は、寂しさを埋めたいのか、怒りを埋めたいのか、自分がなにを欲しているのかさえもう見えなくて。
追いかけていた背中さえ、見えなくなって。
気がついたら失ったものの方がきっと多い。
ただ、ヒーローとヒロインのような明るく祝福される未来を望んでいただけなのに…。
それはもう、私たちには眩しい夢物語のように思えた。
AofD ヒールが憧れたヒーロー [ 02 ]