06
これは前向きに進展していると信じて良いんですよね?
お友達宣言から過ぎていく日々。
伊佐敷くんは、空いた時間があれば私と話してくれる。
野球のことも前よりもっとわかるようになった!
お前、全然わかってねーじゃん…って最初の頃は本当に呆れられていた。
けれど、伊佐敷くんは懲りることなく丁寧に教えてくれる。
メッセージのやり取りも日に数回。
電話は毎週土曜の夜に、1時間。
なんだこれ、幸せか?!
「はぁぁああ…」
「なにその大きなため息は」
「ん?幸せだなぁと思って、えへへ」
友達には心底ウザそうな顔をされるけど、今はそれさえ気にならない。
名前を呼んでくれる伊佐敷くんを思い返せばもう私のニヤニヤはマックスだ。
「あんたさー…幸せなのはわかるけど、このままで良いの?進展しないの?」
「…このまま?進展?」
「カレカノに!ならないの?!」
「かっ、かれかの?!ちょっとやだぁ〜まだ早いよぉ〜」
「キモい」
選択授業での帰り、友達に言われたことをよく噛み砕き考えながら教室へ戻る。
キモいじゃない。
カレカノ
その響きだけで胸の中に熱いものが溢れる。
手を繋いだり、キス、したり…まさか自分たちがそんな関係になるなんて、今はまだ妄想のレベル。
理想にするにも現実にするにも、ふふ、まだ早いよね。
伊佐敷くんも部活で忙しいし。
このだらしのない顔を引き締められないまま教室に入って、聞こえてくる話し声に足を止めた。
「ねぇ!純!行こうよカラオケ!今日の午後オフなんでしょ?」
数人の男女が、伊佐敷くんを取り囲んでいる。
中でも女の子は、私の席に座って伊佐敷くんと膝を突き合わせていた。
少し触れ合ってるような気もする。
すごく近い距離。
教室に入り込んだけれど、自分の席には戻れなくて淀む足。
まだこちらには気づいていない。
「あー?オフつっても自主練してぇからなぁ…。夕方には部活あるし」
「良いじゃん!たまには行こうよ!気晴らしも大事でしょ?」
女の子はギュッと伊佐敷くんの袖を掴む。
「こいつ、お前に絶対来て欲しいんだってよ〜。な?行こうぜ?伊佐敷〜!」
「部活までの2時間で良いからさ!」
今日は午後から職員会議で、4限後休校。
休みの少ない野球部も同様にお休みらしく。
聞かなかったことにしてこの教室から出ようと、入ったばかりの教室の出口へ振り向くと、ピンクの髪とぶつかった。
「なまえ、邪魔」
「あ、はは、ごめん…」
立ち止まりたくはなかった。
できるだけ小さな声で謝罪したのに
「あ!なぁ!なまえと亮介も一緒に行こうぜ!カラオケ!」
こちらに気付いてしまったようで、後ろからかかる声に控えめに振り向くと、伊佐敷くんの嬉しそうな顔の横に冷めた顔した女の子。
それが意味することを理解できないほど鈍くはない。
後ろから亮介に小突かれて何か言わなくてはと思う。
「ごめん、…私、用があるから…」
一瞬で曇る伊佐敷くんとは逆に、満面の笑みを浮かべるあの子。
「今日じゃなきゃダメな用か?せっかくだし…」
「ごめん、なさいっ!楽しんできて、ください」
取り繕うように笑って彼の横を抜ける。
そうすれば女の子も私の席から退けてくれた。
「アリガト」
小さく呟かれたその言葉は私の耳にだけ届く。
「じゃあ、純!授業終わったら下駄箱で待っててね?
来てくれないと昨日みたいに電話しちゃうから!」
自分のクラスに戻って行った彼女の最後の言葉は、今日一番私を地の底へ落とし込んだ。
昨日、私とのメッセージのやり取りはいつもより早い時間で返って来なくなった。
朝にはまた「おはよ」が来てて、嬉しくなったのはもう何時間も前のこと。
時々寝落ちしちゃうこともあるから、それかなとも思ったけど…。
彼女と電話していたのか、と思うと返ってこない返事に納得するのと同時にひどく落胆している自分がいた。
今日最後の授業が始まっても、私は一度も伊佐敷くんの方をみることはできなかった。
違うんだ。
私は、特別じゃない…。
友達。
あの時は天にも昇る気持ちだったのに、今は“友達”という言葉が現実的すぎて辛い。
あの子、可愛かったな。
お化粧も上手だ。
去り際にいい匂いもした。
優劣は明らか、だよね。
自然に触れ合う二人だけがくり抜かれ、脳裏に焼きつくのは時間の問題。
授業が終わると何人かの男子と教室を出ていった。
伊佐敷くんは、人相悪いけど、面白いし明るいし実は優しいから男女ともに人気あって、友達多いよなぁなんてぼんやりとその背中を見送った。
私もその一人だもんね…。
本当は、用なんてあるわけない。
「お前さ、戦う前から負け認めんの?」
カバンを持った亮介は私の席まで来てくれた。
「亮介はいかないの?」
「別にどっちでも良いけど、泣きつくのだけはやめてよ?ウザいから」
「あー…亮介さん?キャッチボールしませんか?久しぶりに」
成り立たない会話は、従兄弟だから成立しているようなもの。
亮介の言いたいことはわかる。
でも、今それと向き合えるほど私は強くない。
「バーカ。甲子園目指してる人間がウンチとキャッチボールなんかして遊べるかよ」
「甲子園…目指してても、カラオケには…」
行くんだよね。
どうにもならない真っ黒い感情が溢れ出そう。
行かないで、とか彼女なら言えたのに。
私はただの“友達”だ。
「…わかったから。ご飯食べたら寮の前集合。ちょっとだけだから」
「うん、ありがとう。亮介」
購買で買って食べたパンの味は、何味なのかもわからなくて食べるんじゃなかったと後悔しながら、亮介の待つ寮へ向かった。
「で?諦めるの?」
寮のすぐ隣にある室内練習場。
みんなたまの休暇を楽しんでいるのか、自主練をしている人はいない。
亮介から借りたグローブははめ方さえあやふや。
とりあえず手を突っ込んだ。
そして相変わらず亮介のボールはちゃんとミットに収まるけれど痛い。
「…好きを諦められるなら、恋愛はもっと簡単だよ」
「なにそれ、お前の迷言?」
人が真面目に言ってるのに、なんてことを言うんだ。
でもこうやってボールを投げてると少しだけ留まっていた黒い感情が晴れてくような気がした。
全力で投げても、亮介は軽々とキャッチする。
あ、変なとこに飛んだ。
「…ねえ、お前下手くそすぎて嫌なんだけど」
ここが室内で良かった。
もし外なら草むらで行方不明にして怒られていたことだろう。
渋々取りに行ってくれるあたり、今日の亮介は甘い。
昔は例え亮介の後ろに逸れたボールであっても、取りに行かされていた。
「違う女とカラオケ行って嫌いになった?」
ずいぶん遠くに転がったボールをその場から返球してくる。
「す、好きだよ!」
ひぃ!さすがに怖くて避けてしまった。
ギュンっと音を立てて飛んでくボールはさすが野球部。
「好きだから…ヤキモチ妬くし…行って欲しくなかったし。同じ女の子としても劣等感とか…」
座り込んでしまえば、爪先に落ちた視線。
亮介に呆れられるから、こぼさないようにきつく目をつむる。
噛みしめるのは唇。
いつまでたってもボールが壁に当たる音は聞こえず、代わりに鈍い音がしたような気がした。
「だってさ」
だってさ?
だってさ、とは?
誰に投げかけられた言葉なんだろう。
怖くて振り向くことはできなかった。
「じゃ、俺戻るからあと相手してやってよ」
「ああ」
たった一言、たった一音だけどわかる。
「…キャッチボールしようぜ、なまえ」
ゆっくりと上げた視線の先には、ニッと笑った伊佐敷くんがいた。
素手でキャッチしたのか、その手には先ほど亮介が投げたボール。
少しずつ縮む距離に、先ほどの女の子の匂いが近づくような気がした。
ぎゅうと音を立てて胸が締め付けられる。
私、伊佐敷くんがやっぱり好きだ。
AofD 伊佐敷くんと付き合うまで [ 06 ]