- ナノ -
果報は焦らして待て
懐かしい夢を見た。

なまえが俺のことを「とーくん」と呼んでいたあの頃。
連れていく先々で「可愛いでしょ!」と自慢して、そのたびに嬉しそうに笑うなまえ。

「とーくんだーいすき」

そう言ってぎゅっと俺に抱き着くなまえを抱きしめ返す。
幼少期独特の匂いと、ふにふにとした抱き心地が俺を和ませた。

「徹くん、好きだよ」

その言葉とともに香ってきた甘いフレグランスの匂いに驚いて体を離せば、さっきまでの小さななまえはいなくて。
かわりに女性へと変わりつつあるなまえが少し色気のある顔でほほ笑んでいた。

「結婚しよ」

そう言いながらゆっくりとなまえの顔が近づいてきて、唇が触れる直前、俺は現実へと引き戻された。




枕もとで無機質なアラートを繰り返すスマホを乱暴に操作し時間を見れば、もう出勤の準備をしなくてはいけない時間だ。
だが、いつものようにすんなりと起き上がる事が出来ず、枕に顔をうずめた。


夢のはずなのに。
まして、直前で目覚めたはずなのに。

俺の唇に確かに残る感触。

「夢に見るとか・・・どんだけだよ俺」


なまえとの再会があまりにも衝撃的だったんだと、改めて自覚させられる。

再会の仕方も、成長した姿も、発せられた言葉も、キスも。
全てが俺を悩ませる要素でしかない。

思い返せば昔から好きだと言ってくれていた。
だが、幼き日の好きをそのままに大人になるなんて、誰が想像できただろうか。


「あいつ・・・マジで反則」

可愛がっていたなまえと再会できたことは素直に嬉しいし、好意を持たれること自体も悪い気はしない。
だが、俺の中でのなまえは、あの「とーくん」と呼んでいた頃のままで止まっていて、目の前に現れた女を素直に受け入れられないのが現状だ。
だからなまえともっとちゃんと話して、離れていた分の距離を縮められたら何か変わるのではないかと思っていた。

なのに

あの日、連絡するねと俺にキスまでしていったくせに、何日経っても俺のスマホが着信を知らせることはなかった。




『ということで行くよ岩ちゃん!』

向こうの連絡先を知らない俺は、なまえに会う手段としてはバイトしているであろうあの居酒屋に行く他ない。
そう思って岩ちゃんに誘いのメールを入れてみるも、親友からの返答はとても冷たいものだった。

『テメェ1人で行ってこい』

素っ気なさ過ぎるメールに涙が出そうだ。
気が変わらないかと何度かお誘いメールを送り続けてみるが、岩ちゃんの返答が変わることはなく、ダメ元で誘ってみた他のメンバーからも断りの返信が返ってきた。

もう皆して何なの?
そんなに俺の心を折りたいの?

帰宅したマンションの駐車場で、いつまでも車内から降りずにスマホを弄る俺はさぞ怪しかっただろう。
それでも家に入ってしまえばきっと出掛けるのをやめてしまうだろうから。

普段、一人で居酒屋なんて行かないんだけどな。

少しの葛藤の末、なまえの為だからしょうがないと自分でもよくわからな言い訳を付けて車を降りた。
居酒屋へ向かう足取りは意外と軽く、何だかくすぐったい気持ちになって自然とにやける顔を必死に抑える。

なまえはどんな顔するかな?

この間のように喜んでくれるだろうか。
それとも連絡を取らなかったことを気まずく思うだろうか。
いや、気まずく思うならキスの方か??

なんて。
脳内がなまえ一色な事にも気付かない俺はかなり浮かれていたのだろう。
居酒屋に近づいて、お客様を見送るバイトの姿がなまえじゃない事に気づき、初めて居ない可能性がある事に考えついたのだ。

バイトなんだから毎日入っているとは限らないだろ。

自分の考えの浅はかさに頭を抱えながら居酒屋の前で立ち尽くす。
先程お見送りに出ていたバイトらしき子は既に中に入ってしまっている。

「・・・徹くん?」

怪しいとは思いつつも、ドアのガラス越しに見えないかと店内を覗き込んでいた所に後ろから声がかかり、大袈裟なほどに飛び退く。
そんな俺を不思議そうに見ていたのは、目的の人物本人だった。

「え・・なまえ?あれ?何で外?」
「今日は臨時出勤だったからもう上がりなの!徹くんこそ何してるの?入らないの?」

今なら座れるよ?っと店内を指さすなまえは、あのキスも連絡がない事も、何も思っていないのではと感じるほど普通で、さっきまでどんな顔をするかとか想像していた自分がバカみたいだ。

「お前に会いに来ただけだから」

自分が勝手に期待していただけなのに、不機嫌さを隠しきれなくて少し乱暴な口調になる。
それなのになまえは気にすることなく「ホントに?!」と嬉しそうに俺の腕に抱き着くのだからすぐに毒気も抜かれてしまった。

これじゃどっちが年上なんだか。

「じゃあ徹くんもご飯まだだよね?賄い沢山もらったから一緒に食べよー!」
「え?賄いって持って帰るものなの?」
「今日は臨時出勤だったからご褒美で沢山なの。っで、他の人に悪いから持ち帰りにしてもらった」

自分だけ豪華ってなんか気が引けるじゃん?っと笑って見せるなまえの笑顔は初めて見るお姉さんのような笑顔。

俺の知らないなまえが沢山いる。
むしろ俺が知っているなまえは今も残っているのだろうか。

そう思うと寂しさも募るが、それだけ時間が経ったという事なのだろう。
その間、実家の方に帰らなくなったのは俺の方なのだから誰にも文句は言えない。


「それどこで食う気?」
「ん?徹くん家だよ」
「・・・ダメだろ」

なに当たり前みたいに言ってんの。

「俺、一人暮らしって話したよね」
「うん。だからだよ」

ご家族いたらさすがに足りないしと、何でもないように言うなまえの表情からは何を思っているのか読み取る事が出来ない。
俺の腕に絡みついたままのなまえに引っ張られるように歩く間も、警戒とか危機感とか感じられなかった。

結婚までしたいって言っておいて俺を男として見てないなんてことないよね?

なまえの行動の真意がわからず戸惑う俺にはお構いなしに、マンションの前までたどり着いたなまえは、「何階〜?」とのんきにエレベーターのボタンを押した。

「連絡も寄こさなかったくせに何なの?お前わかってる?」

前回送った時にサラリと伝えただけの俺の家をしっかり覚えてるってなんなの?
俺に食われたいの??
それとも本当に何もわかってないの??

子供の頃は無邪気に感情だしまくりだったのに、今のなまえは肝心な部分がわからない。

下りてきたエレベータに乗って行先の階を押せば、完全なる密室ができあがる。
動き出したエレベーターがいつもよりゆっくりな気がしてしまうのは俺が意識しすぎているからだろうか。
つかの間の静寂。
それがたっぷり長く感じるころに、俺の問いに答えるようになまえが口を開いた。

「モテモテの徹くんに、正攻法で直球勝負しても無駄なことはもう学習済みだから」

その言葉に驚きながら腕につかまるなまえを見れば、その瞳は真っすぐこちらを見つめていた。
目線の近さに、改めて幼き日のなまえではなく大人の女性になりつつあるなまえを感じ、ドクンっと鼓動が脈打つ。

「わざとだよ」

俺の腕に胸を押し当てるようにして微笑むなまえの顔が妖艶で、俺は思わず生唾を飲み込んだ。

この子はいつからこんなにもしたたかな女性になったのだろうか。

エレベーターが目的の階につき、扉が開いた。
この扉の向こうへ行けばもう引き返せないのではないか。

そんな気がしながらも、俺はその一歩を踏み出した。




by 朋様



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