シュガーレスクリーム
春休み。みんなが帰省した最終日はほとんど人も残ってなくて、私も明日には帰省する。誰もいなくなった寮の食堂、それも残っている人も寝静まった深夜には、私が生クリームを泡立てる音だけが鳴り響いていた。
焼けた生地の甘い香り。焼き色がつきすぎたような気もするけど、まぁ美味しそうな色。
大好きな彼氏くんを思って作ったところで、今日の夕方には部活終えたらすぐに帰ると言っていたから、きっともういないだろう。連絡が来ないところをみると、また帰省の荷物にスマホをまとめてしまって行方不明捜索中だろうか?
そんなことを想像すれば、ふふっと笑いも漏れる。
「はぁ、やっぱり電動の泡立て器ないと辛いなー」
「変わってやろうか?」
「ひゃッ?!」
一人で呟いたつもりだったのに、その言葉は突然現れた思いもよらない相手に拾われた。真剣になりすぎていて、食堂の扉が開いたことも気づかなかった。
「は、隼人くん?!…え?え?帰ったんじゃ、なかったの?!」
「予定が変わってあした…じゃなくて今日帰る事になった。こんな時間に何してんだ?」
時計の針は日付を越えていた。彼が言い直したわけだ。そんな彼はこんな時間まで天童くんに捕まっていたそうで。
「みんないなくて、暇だったからロールケーキでも作ろうかなと思って」
ふーんと相槌だけ返して、私の隣へ立つと泡立て器を奪った。その時に少しだけ掠った指先が熱い。いや、顔とか体とか、全部が熱くなってる。
まだその指に自分の指を絡めたことはないんだよ、なんて小さな妄想しただけで、愚かな自分を殴りたくなる。
まさか部活で忙しい彼に、こんな時間にこんなタイミングで会えるとは誰が想像した?それだけで気持ちは膨れ上がるほど嬉しい。
「あの、は、隼人くん?できればもう少し優しく混ぜてもらっても…」
力任せにかき混ぜるものだから、あちこちに飛び散るクリーム。氷の上で不安定なボールを私も押さえる。距離の近さは意識しないでおこう。彼は善意で手伝ってくれているのだから。
「こうか??難しいな。あ、スマホが見当たらないんだ。後で鳴らして……!」
「ん?スマホ?やっぱりどこやったかわからなくなったんだ……ね……」
隼人くんが声を詰まらせたのが気になり隣を見上げて、お互い顔を見合わせて、言葉が詰まる。だって、やっぱり距離が近い。わかってはいたことだけど、緊張が糸を張ってしまえば、お互いそっと顔を背ける事しかできない。
部活で忙しい彼と居られる時間は限られている。だから、こんな些細な時間も楽しみたいしもっと、本当は、もっと隼人くんと…
「なまえ」
そうやって今このタイミングで名前を呼ぶのは卑怯だ。一気に上り詰める熱。
「なまえ、なんか、クリーム固くなってきた」
「へ?あ…ああ!!うん大丈夫、ありがと」
こっそり頬を叩いて、そんな思考回路の自分をたしなめた。
彼から泡立て器を受け取ってクリームを持ち上げればもったりと丁度よく立つ角。美味しそうにできた。
それを横から指が伸びてきて、ひと掬い。
「……ん?」
甘いとか、美味いとか、そんな言葉が聞けるとばかり思っていたのに、隼人くんは首を傾げた。その表情に不安が過ぎる中、まさかの差し出されるクリームの乗っかった指。
「へ?!」
「これ、なんか足りなくね?」
その人差し指は、これを…舐めろ、と?!いや、無理ですよ?「ん」って……なんで引き下がらないの、隼人くんっ!!!
ずいっと差し出される人差し指。何が足りないのかは気になるけれど…
「えー…本当かよ?」
「……?!」
私たち以外いなかった食堂に、誰かが入って来たようで、思わずしゃがみ込みキッチンテーブルの下に隠れた。別に隠れる必要なんてなかったのに、条件反射というやつ。
隼人くんもそう思ったのか、目が合うとふっと二人で笑った。
「なんだよなまえちゃんいねぇじゃん」
「さっきまではいたのにな!残念でしたー!」
男子が二人。聞き覚えのある声は多分、隣の席の…。そして、探しているのは私?
何かあっただろうか?そう思って顔を覗かせかけた時、グッとその腕を引かれた。眉間に少し皺を寄せて、珍しいその表情。
「……?」
隼人くんは私の口をその大きな片手で塞ぐ。
「せっかくのチャンスだったのにな」
「くっそー…」
なんの話だろうか?じっと隼人くんは私を見ているが、今度は私が首を傾げるしかなくて。
「三学期中ずっと席が隣同士だったのに、お前、ホント勇気ねぇな」
「うっせぇ!告白とか、無理だから…」
こく、はく…?
脳内が話を整理しようとしているのに、口を覆っていた手がようやく離れて、息を吸いかけた途端、白いクリームが唇を割ってずぶりと挿し込まれる。思わず上がりそうになる声は、口内に広がる味によってなんとか我慢できた。
これは……甘く、ない。砂糖、入れ忘れている。そりゃ首傾げるわ。
「あんだけ仲良さげに話してて、告白は無理とか、どうなわけ?」
口から抜かれると思っていた指は、ピクリと止まった。疑問に思いながら自分から離れようとすると、どういうつもりか覆いかぶさってきて、顎を捕まれシンクの壁に押し付けられる。
隼人くんの顔は陰になっているけれど、多分、不機嫌そうな気がしてならないし、その理由を考えると胸の奥がぎゅっとなる。
「仲良さげって……お前なぁ。俺めっちゃ頑張って話しかけてたんだぞ!」
でもそんなことを気に留める余裕もなくて、恥ずかしさから緩く口を開けば、中指まで挿し込まれた。慌てて抵抗の意を込めて彼の胸を押せば片手で捕まれる。
「あっはは!お前ホントみょうじさんのこと好きなのな!」
噛むわけにもいかないその2本の指は私の意など解さずに、ヌルヌルと逃げ惑う舌を捕まえようと弄ぶ。そうしている本人である隼人くんの視線が、自分の口に注がれていると思えば余計に羞恥でのぼせてしまう。
時折奥を刺激されれば漏れそうになる嗚咽を我慢して、潤んだ目から涙が落ちる。最早、二人の会話は一つも入って来ない。
「うっせぇよ!学年上がったら一番に告白してやるっ!」
ケラケラ笑う声は遠くに聞こえて、ようやく食堂から出て行ったのだろう。遊んでいた指先がゆっくり抜かれて同時に開かされ、刺激された口の端からぽたりと涎が零れる。
「はや…ん、んッ!!」
苦情を言いかけた口は、今度は唇で塞がれる。隼人くんと何度かキスはしたことあるけれど、こんなにディープなキスを私はまだ知らなかった。いつもみたに触れるだけじゃなくて、先ほどまで指で弄ばれていた舌は、今度は舌によって追いかけられる。逃げれば逃げるだけ、絡められ、ちゅうと引っ張られる。
自分が隼人くんとこんなキスをしているのかと、客観的に考え現実を思えば体中から熱を放出しているような気がした。
呼吸ができなくて、くぐもった声が自分から漏れた時にはどうしようもなくなって、抵抗するのをやめる。そうすれば、ペロリと唇と零れた唾液を舐め取り離れてくれた。
「先に言っとくけど、お前が悪いから」
少し怒ったように顔を背ける彼に戸惑うけれど、それは要するに、先ほどのクラスメイトの会話を考慮するなら
「……ヤキモチ?」
隼人くんは不貞腐れついでにもう一度、甘くないクリームを舐めた。
背中越しに彼の表情は読み取れないけれど、少しだけ彼の服の裾を引っ張っる。
クラスメイトの話なんてどうでもよくて、自分の一番は誰であるか、何を求めているか。これで隼人くんの機嫌が良くなるかとか、満足するのかとか、わからないけれど、自分の満たされた心を分かち合いたくて、“もっと”が欲しくて精一杯の勇気を出した。
「…もう一回、キス、しよ?」
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