- ナノ -
06
 自分の中ではっきりしたものだからか、なまえのことがわかりやすいように感じる。
 なまえは“いつも通り”に戻った。
 朝の待ち伏せもなく、今まで通りに話しかけたり話したり、軽口を言ったり。それでも前に比べたら自分から話しかけてくることは少なくなったし、放課後「一緒にドーナツ食べに行こう」とは言ってこなくなった。
 どうやらなまえは、自らいつも通りの元に戻そうとしているらしい。オレの中で生まれた気持ちもなまえの中に生れた気持ちも、もう取り返しがつかないほど殻から歩み出ているのに。

 教室の中を行ったり来たりする様子を視線で追っているのだから、諦めるというか認めるしかない。



「で? なんで避けてるわけ?」

「避けては、ないけど」

 言葉は詰まるしこっちは見ねえし。公園のベンチに並んで座ってるからこっち見ないのは当然っちゃ当然。さっき買ったホットのミルクティーを冷えた手で握りしめて飲もうともしない。その様子はどことなく不安そうで。サバサバとした性格のなまえにしては“らしくない”状態で笑えてくるが、きわめて冷静さを装った。

 あっという間に放課後の夕方は夜へ変わっていく。夏までは公園で遊んでいる小学生とか散歩している老夫婦とかがいたのに、寒さのせいか早い夕暮れのせいか人通りは少ない。会話するにはそれが好都合でもあり、一周回ってやましさみたいなのもあったりなかったり。
 ぽつぽつと点き始めた街頭が、地面を照らす。
 オレは頭脳戦が得意なタイプじゃない。頭使わずに斬り込みたい攻手。でもなーんにも考えないほど無計画タイプでもない。

「なまえさ、無理すんのやめたら? 言い出した手前引っ込みがつかなくなってんじゃねーの?」

「ちがう! ……そうじゃない」

「なら、もしかしてフラれるかもって避けてんの?」

 なまえの頬がかっと赤くなり、目元が滲む。

「そうじゃない、けど……陽介をすきな気持ちは変わらないけど……」

 詰まる言葉は次第に涙に変わってぎょっとさせられる。泣かすつもりはなかったし、想像もしてなかったし、自分の中では泣かせるような話でもなかったわけで。ましてやいつも笑っていることのほうが多いこの女が泣くなんて。
 この間まで不思議なくらい変に頑固で折れないほど真っ直ぐで純粋に好きって感じをアピールしてきてたなまえが、突然こうなった理由はなんなのか。自画自賛じゃないけど、原因は間違いなくオレ。

「ダメなものはダメなのかもって、思い始めたら沼にはまっちゃって……」

 ボロボロとこぼれ落ちる涙を拾い「泣いてごめん」と無理矢理に笑う。拭う手も濡れてんのにそれでも拾い続ける。そんなの見せられて胸がぎゅっとならないわけもないし、だからって泣くのが卑怯だとも思わない。
 水分がなくなるんじゃないかってほど止まらない涙にそっと手を伸ばす。なまえの頬よりオレの手のほうが冷たい。

「ダメじゃねーかもってなったら?」

「――へ?」

「なんつーか。まあ、色々考えたんだけどさー。中学の時お前のこと好きかもーってなったわけ、オレも」

 中学の頃って、周りが恋愛ムードで彼氏彼女ができ始めると妙な焦りが生まれね? なまえと距離が近かったせいもあって、好きなのかも〜とか思ったけど、でもそれは周りの雰囲気に流されてただけ。事実、ボーダーに入隊してからは友達でいられればそれで満足できた。
 今になって、なまえの告白を受けて、“友達でいられれば”なんて無理なんだって気付く。それにオレたちは、もうとっくにその領域を超えていたような気がする。

「なまえだって、オレのこと男としてみてるって感じでもなかったし」

「それは、……あの頃は恋愛仕方とか、よく、わかってなくて」

「オレも」

 話を聞きながら涙がようやく止まった頬から手を離すと、指先がじんわりと温かくなっていた。今日までの日常を思い出しながら、自分のその手をぎゅっと握りしめるとどうしようもなく笑えてくる。オレらの距離は近いやら遠いやら。
 あの頃は好きとか、好きの先とか深く考えていなかったから付き合わなくて正解だったなとも今になっては思う。

「今はもちっとわかるよーな気がしねー? 恋愛ってやつ」

「……うん」

「だから、その……なんつーか。なまえがホントにオレが良いって言うんなら」




 近界民の襲撃以来、住宅街の街頭は大急ぎで整備された。だから夜でも足元が見えないほど暗いなんてことはないけど、オレたちは手を繋いで歩く。恋人繋ぎなんてまだまだで、握手の進化版みたいな。

「いやー。慣れねーなー」

「ウン……。なんか緊張する」

 「でも嬉しい」だなんて言いながらなまえの表情はだらしなく緩んでるもんだからこっちが悶えさせられる。なにがそんなに嬉しいんだよ。
 よく「陽介が好き」ってああも赤面せず言えたもんだなぁ。オレなんて今も顔が赤いのを寒さのせいにしてるつーの。

「なぁ、この間の用事ってなんだったわけ?」

「ああー!」

 嫌とかではないけど、沈黙にならないように気をつかう。そうでもしないと、静かになった途端握ってる手のほうに集中がいっちゃって。小さいとか細いとか、ぎゅって握っていいのかとか。
 そんなこっちの気遣い無用で、なまえのほうが勝手に振りほどいたんだけどね。声かけろよな。空いた手がなんだかすーすーする。

「これ、誕生日プレゼント……っていうよりもうクリスマスプレゼントって言ったほうがいいかな?」

「は!?」

「誕生日とクリスマス、両方は渡せないかなぁと思って」

 カバンを漁ったなまえが大事そうに取り出した白い箱はなまえの手に収まるほど小さく、金のリボンが巻かれていて、一瞬勘違いしそうなそれ。
 誕生日からは四週近く離れて、クリスマスには二日早い。
 驚きのまま箱を受け取る。リボンを解いて箱を開けると中にはワイヤレスのイヤホンが入っていた。
 ボーダーで稼いだ給料は基本母親に管理されていて、菓子やらジュースやらの買い食いで財布が空っぽになりがちなオレには、欲しい物買うなんて無理な話で。それを見て素直に「うわ」と感動な声が出るほどには嬉しい代物だった。

 ありがとうと言いかけて、脳裏に過るのはこの間の寒い夜の日のこと。なまえはこれを渡すために、寒くて薄暗いあそこでずっと待っていてくれたことを思い出さないわけにはいかない。
 渡せてよかったとへらへら笑っているが、それどころじゃねーじゃん。

「オレ、すげーわるいことした」

「……それは、もう」

「よくねーよ。何時まで待ってた?」

「約束の時間には帰ったよ」

「絶対嘘じゃん。そんなわけねーってわかんねーほど短い付き合いでもねえし」

 もしかしてオレが見に行ったあの一瞬いなかっただけで、あの後もずっと待っていたのかもしれない。押し黙ったなまえはきっと否定する言葉を探している。

「めちゃくちゃ、かっこわるー……」

「そんなことないよ」

「あのさ」

「うん?」

「そのプレゼント明後日まで預かっててくんね?」

 マフラーのせいで膨らんだ髪に指先を通せばするりとマフラーから抜け出る。想像していた以上に柔らかな触り心地でどきりとするとか思っていられない。今はせめてもうちょい格好つけたい。

「オレもちゃんと用意するから。お前に見合うやつ」

 こっちを見上げる瞳はぱちりと瞬いた。次の瞬間はオレにほっとさせるようなものではなく、目の前のこいつはあろうことかお腹を抱えてげらげらと笑い始める。

「あははっ! 陽介はかっこいいねぇ」

「あーもー! お前がそういうこと言うからかっこつかねーの!!」

「えー? ふふ、わかった。待ってるね」

 くすくすと隠れて笑うなまえの手を奪い取るようにもう一度繋ぐ。敵わねえなぁ、とこっちまで表情が崩れて。
 まだまだ恋人っていうには程遠い感じがするけど、オレたちはなんとか孵化した心で寄り添う。






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