おバカの心配事
「それで?何が原因でなまえは機嫌が悪いんだ?」
明らかに不機嫌を露わにし負のオーラを撒き散らしながら部活の準備を手伝っているなまえ。皆が、彼女から発せられるその刺々しい空気に動揺するも、どうしたのかと尋ねることができるのは、それに“対応”できる者だけ。要するに、大平の登場に多くの人が歓喜した。
「獅音くん聞いてくれますか?!!」
なまえは、昼休みに起きた出来事を憤りのまま説明する。
天童に言われた『もう良いから離れろ』という言葉と、突き放された体。自分の心まで剥がされたようで、スースーと冷たい風が心の間を通り抜けた。照れてるだけかと思っていたけれど、よくよく思えば引っかかる点がいくつかある事に気付く。
群がる女には手をあげたり、無理矢理離したりしないのに、自分に対しては頭叩くしなんならど突くし、突き飛ばされる。
そもそも、自分の好きしか伝えていない。今さらながら返事も聞いてないことに気付いて青ざめた。
「どう思う?!ねぇ、獅音くん!私、てっきり、覚くんは私が好きだと……」
「いや、うん。それは、わからんけど。突き飛ばす、は言い過ぎだろ?」
「突き飛ばされたもん。私の心が!だいたい、他の女の子には冷たくされても優しい対応なのに、私にだけ酷い!」
扱いが酷いんだ!と口を尖らせ俯く彼女を見て、大平は苦笑いを浮かべ小さく溜息を吐いた。二人の気持ちはどう考えても両思いなのに、素直なバカと臆病な天邪鬼は、ちっとも上手くいかない。それどころか、やっと近づいた距離は些細なことで離れていく。
やれやれ、ともう一度吐いた溜息の後なまえが背を向けている出入り口に、天童の姿を見つけた。
「直接、そうやって本人に言えば良いだろ?」
「言っても……それってただ片思いの独りよがりだよ」
いつもとは違う、なまえの表情。あ、これは結構根深い。そう大平の脳内に過ったけれど、練習開始の合図で彼女は不機嫌な顔に戻ってコートの隅へ移動した。
明日には隣県へ遠征に行くと言うのに、こいつら大丈夫かと不安さえ過る。しかし、二人の事なのだからどこまで口出すべきか、出さざるべきか……。
ご機嫌なテンションで、遠征のバスに乗り込んだ。自分でも驚くほどの高いテンションに、笑えてさえくる。
バスの最後尾に若利くんたち3年生で座っていたら、きっとなまえも来るだろうと思っていたのに、あろうことか彼女は一番最後に乗り込んで、一番前の席に座った。声を掛けようにもこの離れた距離を埋めるような話題も見つからなくて「変なの」程度に留めて遠征先の練習試合へと思いを馳せた。
気がつけば彼女と言葉を交わすどころか視線を合わすことなく半日が過ぎる。さすがにオカシイと言わざるを得ない状況。しかし話しかけようとすれば、態とらしく逃げられ、レギュラーのみんなには手渡されるタオルやスクイズも、俺だけ工から渡される。男に渡されてもちっとも嬉しくないし、やる気でないんだけど?
目に見えて募る苛立ちと……認めたくない不安。
それを煽るように、対戦相手の選手が隙をみてはなまえに話しかけている現状は、高かったテンションを急降下させるには十分。
「天童さん、なんか今日怖いっす……」
「お前のスパイクが決まらないからじゃない?」
少し離れたところで聞こえる後輩たちの揉め事。
怖い?誰が?俺はいつも通り、へし折ってるだけだよーン?今日はちょっと加減ができないだけで、バッキバキを粉々に。
「ねぇ、大丈夫?顔色悪いよ?」
休憩中、蒸す体育館から出て風に当たって頭冷やそうと思っていたのに、その声に視線を向けると、なまえを労わる相手選手。
気安く触られるあの細い肩。
アイツなんなの?マジで顔以外取り柄ないの?
普段なら威嚇臨戦態勢とるくせに、今日に限っては眉間にしわ寄せてされるがままに顔を覗かれている。
あ……あの角度、……よくない
「ゴッメーン!うちのマネが何かご迷惑かけてる?」
嫌だと思った時には、間に割って入っていた。
「あ!誰かと思えばさっき俺に徹底的にブロックされてたWSクンじゃないかー!どうだった?俺のブロックどうだった?」
なまえを背中に、今度は俺が男の顔を覗き込むと、割と整ったその顔をひどく嫌そうに歪めた。え?失礼くなーい?
「俺は、別に……!」
心の舌打ち聞こえてマスヨ?
去っていく後ろ姿を見送ると、背中の裾を引っ張られる。
「……さ、と」
「お前、何やってんの?普段ならとっくに噛み付いてても……」
縋るように背中に重み。服越しにだって、ひどく熱い気がする。いつもと違う。
ゆっくり振り向こうとすれば、崩れ落ちる体をなんとか、支えた。
「なまえ?!」
「ごめ…し、んだら…部室の…エロ本……棄てとい、て…」
「は?!なにバカな遺言残してんの!」
よく見ると真っ赤な顔と虚ろな視線に、一目でこれ熱出てるってわかる。声も掠れて、まるでお婆さ……喉痛いんだね。自分で立ってることも困難な様子のなまえを担いで、監督のもとへ走った。
「おい、大丈夫か?」
ホテルに戻ってから、英太くんとなまえの部屋にお邪魔する。一応(強調)女子だから階の違う部屋。体調悪いのはわかっているが、なまえはあの後、荷物も置きっぱなしで即ホテルに連行されたから、荷物が無くて困っていることだろうと善意で持ってきてあげた。
隣県への遠征のため、即帰宅もできないし、何より本人が「帰らない」と強情張るもんだから監督たちもやむ終えず。
そんなわけで半日薬飲んで寝ていたら落ち着いたのか、部屋をノックすればぽやっとした顔で現れた。
「心配してくれたのー?やっさしー!もーだいじょーぶだよ」
その喋り方がすでに怪しい。でも、さっきよりはマシそうだから、確かに少し熱は引いたみたい。
「熱出てたんだな。遠征来るなよ。」
「来るよ!!このためにテストがんばっ……たし…」
こちらをちらりと見て、すぐに視線を逸らされた。明らかに気まずそうな表情で。
「なに?」
「別に…」
聞いてもそう返されて、は?
「今日の練習試合どうだった?私がいなかったからみんな寂しかったんじゃない?」
俺のことは無視し、英太くんに向かって喋りかける。そんな様子を微塵も感じ取れない英太くんは、今日のできごとを事細かに説明して「うん、まぁ寂しかったかな」なんて照れ臭そうに頬を掻くし。つまんな過ぎて、彼女の荷物を適当にベッドの端へ置いた。
「俺戻るわ」
花が咲いてる向こう側は、分厚いガラス隔ててるみたい。なまえの気持ちが全く見えない。やっぱりバカだから、キスごときなんとも思ってないし、誰にだって困ってたら手を貸すんだろ?俺にはもう、よくわかんねぇわ。
湧き出る真っ黒な感情とこれ以上向き合うことはできない。
「あ、天童待てよ!」
「英太くんはまだお喋りしてなヨ!」
じゃあね、と、お邪魔しました。追いかけようとする英太くんもホント空気読めない。後ろ手にガチャンと扉の自動ロックがかかる音。
「待てって、天童!」
「まだいて良かったのに?さすがにあのバカでも女子だし、英太くんでも気を使っちゃうの〜?」
楽しげなテンションは痛くなる。
「お前なぁ…つか、お前らなぁ……。なまえ、今泣きそうだったぞ」
「は?泣く?アイツが?ってか、お前らって括りやめてくれる?さすがの俺でもあのバカと同じ部類にされるのは嫌なんだけど」
「泣きそうだった!お前ら付き合ってんだろ?」
シレっと英太くんごときに言われるその言葉。今は禁句。
「付き合ってない。泣かない。俺には関係ない」
ようやくたどり着いたエレベーターの前で、英太くんにがっつり睨まれる。
「なら中途半端なことすんなよ。お前が“好き”って言えてねぇだけだろ」
目がテンになるとは、まさにこのこと。
……あれ?
言ってなかったっけ?英太くんなんでそんなこと知ってんの?
ニッっと笑った英太くんは、俺を置いてエレベーターに乗り込み「頑張れよ」とだけ言ってその扉を閉めた。え、いつからあんなかっこいいことする男になったの?寝巻用なんだろうけど、どこで見つけられるのか逆に気になる黄色いジャージ。これさえ着てなければ本当にかっこいいのに…残念だネ、英太くん。
その黄色いジャージを思い出せば、先ほどまでの黒い感情に溜息がでた。
しょうがなく部屋の前まで引き返して、一つ呼吸をしてから、扉を強めにノックした。まるで俺が来ることを見越していたかのように、扉がゆっくりと開かれる。
「さと、り……く」
「げ!本当に泣いてやんの」
初めて見るかもしれない。このバカ女がぽろぽろと涙をこぼしている姿を。
泣いてないと否定するも、手で掬いそこなった滴がぽたりと地面に落ちる。
「お前……本当になんなの?」
その頭に手を置きたくなるのは、なんで?
少しだけ思うままに撫でてしまえば、キッと睨みあげられる。
「さ、覚くんこそ、なんなわけ!?私のこと、そんなにホンローして…もてあそんでる!」
「それ、言葉の意味わかってんの?翻弄してんのも弄んでんのもソッチだから」
「わからないけど、覚くんが悪い」
テレビか漫画で覚えてきた言葉使えば良いと思って。呆れるほどバカ。ところで、俺なんでこんなのに翻弄されて弄ばれてんだろ?
ギャンギャンと犬のように喚く女は飼い慣らせられるだろうか。
「覚くんはみんなには優しいのに私に優しくない!本当はどうも思ってないくせに、変なとこ期待させるし!キスだってそんなつもりじゃなかったなら……ッ!」
「はいはい、俺が悪かった。好きだよなまえ。」
「本当に悪いと思ってる?!思ってるなら、なんで…屋上…で…………今なんて言った?」
驚きで見開いた目に自分が映っている。今視界に映ってるのが自分だけなんて、なんて安心するんだろ。
「二度も言えねぇから。屋上って?俺なんかした?」
「突き放した!キスしてくれなかった!もう一回言って!!」
言わないつってんのに…。お願いと、瞬きしたら止んでた涙のかけらが落ちた。それを拾うように頬に手を添えて、なまえの唇に重ねる。柔らかな感触は、八回目のそれ。
「……そのキスは、好き、のキスだよね?」
ぎゅっと俺の首に抱きつくなまえの肩に頭をつけた。
「ホント、俺なんでこんなバカな子好きなんだろーネ?」
「好き!好き!私も覚くんのこと好き!!」
小っちゃい子供がじゃれつくみたいに、頬ずりしていたなまえが少し離れる。
「お風呂上りの覚くんの髪、やっぱりふわふわ〜。可愛い、かっこいい!」
「…あっそ」
今日、ようやく見れたその満面の笑みが腹立つぐらい好きで、もう一度噛みつくようにキスをした。
HQ キスは七回の約束 [ おバカの心配事 ]