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日曜日の朝早く、俺と風見さん、そして俺達と同様作業班として駆り出された公機捜の面々と共に、俺達はみなとみらいホールへと向かった。降谷さんが手配していた車は全部で4台。俺は風見さんと一緒の車に乗り込み、運転手を買って出た。こういう時は一番下っ端が運転するのが暗黙の了解となっている。

「それで、降谷さんが当たりを付けているホシってのは、一体どんな奴なんですか?風見さん、何か聴いてます?」
「降谷さんの協力者と同じ大学の研究室に所属しているメンバーだそうだ。これから行く講演会でトラップを仕掛けるつもりらしい」
「ああ、先端技術の手がける最新アーキテクチャと事例勉強会、って奴ですか」
「その主催者側のうちの1人、本田さくらが、新しい降谷さんの協力者だ」
「いいんですか?協力者の身元を俺達に知らせちゃっても」
「今回は特例だ。協力者であり、重要参考人のような立場だからな」

詳しく話を聴いてみると、降谷さんは最初、その本田さくらこそが今回のテロの首謀者なのではないかと疑ったのだそうだ。何でも彼女の開発したというアプリのバグと、今回のサイバー攻撃に使われている手口が完全に一致したらしい。

だが、その目論見は外れてしまった。彼女は確かにそのアプリを開発し、バグの存在も知っていたが、バグを発見した時点で開発を中断していたのだそうだ。それ以降一切そのアプリには手を付けていないらしく、自分は今回のサイバー攻撃には一切関知していないと供述したらしい。

「そこで逆に、自分のアプリが誰かに悪用されているんじゃないかと訴えてきた訳ですね。これでもし本田さくらが真犯人だったら、中々の女優だということになりますが」
「それなら、彼女自ら率先して研究室の仲間を売ろうとはしないだろう。一時的に我々の疑いの目を逸らすことが出来たとしても、仲間が洗いざらい白状すれば、結局自分の手が後ろに回るんだからな」

それもそうか、と俺は納得しながら車を走らせた。それにしても、本田さくらか。どこかでその名前を聴いたことがあるような気がする。

「本田さくらの素性については、特に怪しい点は無かったんですか?」
「何だ、気になることがあるのか?」
「気になることというか、どこかで名前を聴いたことがあるような気がして」
「お前もプログラミングについて勉強した時期があるんだろう?だったらその時に、彼女の論文を読んだことがあるんじゃないか」
「そうっすかね。降谷さんのことだから、怪しい人間を身内に引き込もうとはしないでしょうけど」

何となく腑に落ちないような心地のまま、俺は右にウインカーを出してブレーキを踏んだ。

「まあ、そんな人間が協力者に付いてくれるなら、この案件は今日で片付きそうですね」
「だが、楽観視ばかりも出来ないぞ。今回のホシは彼女と同じ研究室に所属しているんだ。こちらの仕掛けたトラップに、そうやすやすと引っ掛かってくれるかどうか……」
「そこはホラ、作戦が失敗したら降谷さんに責任をなすりつけましょう。今回の作戦を立てたのは俺達じゃなくて、あの人なんですから」
「降谷さんを相手にそんな恐ろしいことが言えるのはお前くらいのもんだぞ……。まあ、あの人もお前のそんな所を気に入っているのかも知れないが」

警察と言う組織の中にはキャリアとノンキャリアの2つの身分が存在する。キャリアは国家公務員試験を受けて警察庁に採用され、所謂警察官僚としてステップアップをしていく人間のことを指す。基本的には若くして管理職となるため、デスクワークが主な仕事となる。

対してノンキャリアとは、都道府県の警察官採用試験を受けて警察官になった人間のことを指す。現場の第一線に立ち、鑑識作業を行ったり表立った捜査をしたり、犯人を取り押さえたりするのも、このノンキャリア組の役割だ。大抵の人がドラマや小説から想像する“刑事”というのは、多くがこのノンキャリアの警察官を指している。どこの都道府県警においても、刑事部の捜査一課はノンキャリア(現場組)の牙城である。

キャリアとノンキャリアの間には、昇進のスピードや職務内容などに歴然とした違いがある。中にはこうした違いを露骨に神聖視し、キャリアの世界にノンキャリが首を突っ込むことを嫌がる管理職もいる。そういう人間は、俺のようなノンキャリの若造が、キャリアの降谷さんや公総課長にも物怖じせずに発言することにいい顔をしない。だが、キャリア出身の警視である降谷さんは、俺が言いたいことをポンポン言っても決して嫌な顔を見せなかった。それどころか、あの人はそういう現場の意見を歓迎している素振りさえ見せた。そんな器の大きな上司の元につけたことは、俺にとっては幸運であったと言うべきだろう。

「大丈夫ですよ。降谷さんの筋書きなら、きっと今日中にカタを付けることができますって。俺達はあの人の筋書き通りに、地道にあの人のサポートに回りましょう」

俺が握り拳を作ってそう言うと、風見さんはふっと小さく声を漏らして笑った。

「そうだな。ところで大山」
「谷川です」
「ああ、そうだったな。もうすぐ信号変わるぞ、運転中は前を見ておけ」
「はーい」

教師のような口振りの風見さんに思わず笑ってしまいながら、俺は大人しく前を向いた。信号が変わったのを見て、交差点の中まで進入する。

今日の捕り物が無事に終われば、本田さくらについて徹底的に探りを入れてみよう。少しでも気になったことがあれば、即座に調べておくのが公安マンの性である。無駄足に終わるかも知れないが、無駄だったと知ることこそがある意味収穫とも言えた。
頭の中でやることリストに“本田さくらの素性調べ”とインプットして、俺はアクセルを踏む足に力を籠めた。



みなとみらいでの捕り物劇は実にあっさりと終わってしまった。降谷さんのシナリオ通り、犯人の大畠雅史は簡単にこちらが用意しておいたダミーのパソコンに食いついて、それを会場の外に持ち出そうとしていた。GPSのついたダミーを車で運ぼうとしていた共犯者の確保は降谷さんが、会場に残った大畠の確保は公機捜の班員が行った。そうして事情聴取を開始してみれば、犯人が今回のサイバー攻撃に至った動機はあまりにも陳腐でお粗末なものだった。

(自分の研究が立ち行かなくなりそうだからって、他人の研究成果を横取りしようとするなんてな。追い詰められた人間は何をしでかすか解ったもんじゃない)

俺はパソコンで調書を取りながら、白けた気分で大畠と本田さくらのやり取りを眺めていた。本田さくらは同じ研究室の先輩である大畠を庇うつもりは一切ないらしく、「もう二度と文壇に戻って来られないようにしてやる」と啖呵を切った。それを聴いた大畠はがっくりと頭を抱え、低く唸った後で脱力した。
完落ちまでに掛かった時間はものの15分。出来上がった供述調書に目を通してもらい、内容に相違がないことを確認させると、署名を貰ってコピーを取る。世間知らずな学生さんには、この時点で弁護士を呼んで対策を立てるという考えは浮かばなかったらしい。

恐らくこの調書は“公安的配慮”によって改竄されることになるだろうが、それはこの場では伏せておいた。本田さくらもそれについて反対することはないだろう。

「何と言うか、彼女も気の毒っすね。自分の研究成果を勝手に覗き見されて、勝手に犯罪に使われて」
「だが、そんなアプリケーションを生み出してしまった責任は彼女にある。悪用されないように保護をするのも、開発者としての勤めだろう」
「わぁ、風見さんにしちゃ辛辣じゃないですか」
「事件を未然に防ぐために最大限の努力をするのが、我々公安だからな。それを単なる“うっかり”で疎かにしてもらっては困る」

なるほど、と頷いて俺はハンドルを切った。桜田門の真ん前に構える警視庁は、もう目と鼻の先である。

「ところで、田口」
「谷川です」
「実際に顔を合わせてみて、お前はどう思った?本田さくらという協力者について」
「うーん……。顔を見てもいまいちぴんと来ないっすね」
「そうか。あまり深刻に捉えなくともいいとは思うが、気になるなら調べてみるといい。お前の嗅覚は的確だからな」
「へへ。そんじゃ、風見さんのお許しも貰ったことですし、俺は俺で独自に調べてみることにします」

上機嫌にそう答えて、俺はブレーキを踏む足に力を籠めた。本部庁舎の裏口に車を停め、風見さんを先に下ろす。

こうして、無駄に警察庁を騒がせることになったサイバー攻撃事件は無事に幕引きとなった。しかし、この何の特筆すべきこともないお手軽な事件が、その後の俺の人生に大きな変化を齎すことになる。

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