Dear. 仁菜様

東都での3大デートスポットと言えば、かの東都水族館、ベルツリータワー、そしてトロピカルランドが挙げられる。しかし多忙である僕らは、中々定番のデートスポットに行くこともままならなかった。水族館でのデートは、互いに猫を被っていたのでノーカンである。
そんな僕らにトロピカルランドでデートする話が持ち上がった。それは何とも意外な方向から持ち掛けられたものだったが。

「実は、探偵の仕事の依頼で、明日急遽トロピカルランドに行くことになったんだ」
「探偵の?どういうこと?」
「浮気調査を頼まれてるんだが、依頼人の夫が明日、浮気相手とトロピカルランドに行くらしい」

つまりは尾行調査をして決定的な証拠を掴んでこいと、そういう旨の依頼だった。しかし、その辺の映画館やファミレスならまだしも、1人でトロピカルランドを回るのは抵抗がある。
そこで僕はさくらを誘って、尾行に協力してくれないかと持ち掛けたのだ。彼女が居れば、ギルバートを通じて園内の監視カメラを見張ることも出来るし、僕らも何となくデートの雰囲気を楽しめる。まさに一石二鳥だと思ったのである。

「ふふ、いいわよ。明日は予定もないしね」
「ありがとう。チケットの手配はこちらでする」
「解ったわ。それじゃ、また明日」
「ああ、お休み」

短い通話を終えたスマホを見やり、僕は小さく笑った。何はともあれ、彼女とトロピカルランドに行けるという事実に、年甲斐もなく胸が躍った。



「それで、安室さん。ターゲットの男っていうのは、どんな人なんですか?」

さくらはこの日、珍しくスポーティーなパーカーワンピースを着ていた。太腿までしかない丈のそれに、白い足が映えて一瞬どきりとする。首には大きなヘッドホン。彼女の相棒である人工知能が鎮座していた。

彼女は僕に問い掛けながら、ギルバートの内臓カメラをオンにした。僕はスマホを取り出して、依頼人から送られてきた写真をタップする。

「この男です。名前は土山恵一、26歳。浮気相手と目されているのが、こっちの女ですよ」
「了解、インプットしました。ギルバート、場内の映像の監視は頼んだわよ」
「お任せください、さくら。見つけ次第、お2人に連絡を入れます」

彼女の相棒の心強い返答に満足し、僕達はダイレクトインの1デイパスを使ってパークの入り口を通過した。

僕達が真っ先に寄ったのは、人気のアトラクションでも、キャラクターの着ぐるみによるグリーティングでもなかった。入り口付近にあるグッズショップである。
今回のターゲットは僕達の顔を知らないが、なるべく目立たないように行動する必要がある。しかし自分で言うのも何だが、僕も彼女もそこそこに目立つ部類の容姿である。だから一般の来場者と同化する意味も込めて、パーク限定の帽子を買って被っておこうと思ったのだ。

「見て、安室さん。トロッピーの耳付きベレー帽ですって」

さくらは頭にチェック柄のベレー帽を載せて振り返った。これまでこういった類の商品に興味はなかったが、彼女が被っているとなると別である。正直、今すぐ写真を撮りたくなるほど可愛かった。

「安室さんは普段、どんな帽子を被ることが多いんですか?」
「普通の野球帽が多いですね。この辺なら、僕が被っても大丈夫かな」

さすがにこの歳になって、キャラクター物の帽子はキツい。そこで僕が選んだのは、トロピカルランドの名前が刺繍されてはいるものの、全体的に地味なデザインのキャップだった。さくらは僕にも耳のついた帽子を被せようとしていたが、僕は全力でそれを拒否した。

「それじゃ、行きましょうか、さくらさん」
「はぁい。あーあ、安室さんの可愛い帽子姿、見たかったなー」

さくらはまだ諦めきれていなかったようだが、僕達が会計を済ませたちょうどその時、彼女のヘッドホンと僕のスマートウォッチが振動した。途端に表情が引き締まる。

「ハイ、ギルバート。見つけたの?」
「ええ。ターゲットはたった今、ゲートをくぐって入場したところです。距離は200、150、100……」
「えっ?こっちに近寄って来ているってこと?」
「その通りです。たった今入店した2人が、今回のターゲットですね」

ギルバートの言葉に驚いて振り返ると、確かにこのグッズショップの入り口に、写真の男女の姿が見えたところだった。
まさかこんなに早くエンカウントすることになるとは。僕達は帽子を深くかぶり直し、そっと奥の方の棚へ移動した。

件の2人は何事かを話しながら、子供服が置いてある棚に向かっている。浮気相手と子供服を見に来るなんて、悪趣味どころの話ではない。さくらなんかは思いっきり眉を顰めていた。
やがて2人はキャラクター物のスタイを買い、ショップを後にした。その後を着けるため、僕らもすかさず移動を開始する。

「ギルバート、あの2人がどこへ向かっているか解る?」
「イベント会場であるステージ19付近へ向かっています。城を右に曲がってください」
「解った、ありがとうギルバート。さくらさん、行きましょう」

買ったばかりの帽子の鍔を下げ、僕らは連れ立ってステージ19へ足を向けた。



この時期のトロピカルランドでは期間限定イベントとして、ハロウィン・ホラーナイトというイベントを開催している。洋画や邦画のホラー映画を基にしたホラーメイズ、つまりお化け屋敷がいくつも設営されており、まだ日も明るい時間帯から、映画のファンやホラーを感じたい人間がこぞって参加していた。
ターゲットである土山も、ホラーを感じたい人間の1人だったようだ。徐々におどろおどろしい空気を漂わせ始めたパークの雰囲気に、さくらの顔が強張り始める。

「あ、安室さん。もしかして、このままホラーメイズに行く感じですか?」
「そのようですね。と言ってもメイズだけでいくつもありますが、どれに入るつもりでしょうか」
「恐らくホラーレベル3の、シアター系から回るようですね。さくら、顔色が優れませんが大丈夫ですか?」

ギルバートの指摘に、僕は初めてさくらの方を振り返った。彼女は胸の前で両手を握りしめ、唇を真一文字に引き結んでいる。

「……さくらさん、ひょっとして、ホラー系が苦手なんですか?」
「えっ?い、いいえ、そんなことはありません」
「でも、顔色が悪いですよ。中に入るのが難しそうなら、僕1人でも行ってきますが」
「ほ、本当に平気です。だから、私も一緒に連れて行ってください」

彼女は僕の上着を摘まみ、懇願するように言った。確かにこんな顔色で、1人で置いていくのも気が引ける。僕は彼女の手をしっかりと握り、優しく微笑んだ。

「解りました。それじゃ、僕についてきてくださいね」

怖かったら、顔を伏せていてもいいですから。僕がそう言って彼女の手に唇を落とすと、さくらは漸く唇を綻ばせてくれた。

土山が最初に入ったシアター系アトラクションは、椅子が動いたり鉄の匂いがしたり血液を模した水が噴き出たりと、中々アグレッシブなアトラクションだった。僕としては良質な映画を観ているようで楽しかったが、彼女は終始顔を両手で覆っていて、映像に集中するどころではなかったようだ。
さらに追い打ちを掛けるように、土山たちはホラーレベル4、5のメイズへと挑戦していく。その間、さくらは僕の腕にしがみついて顔を上げようとしなかった。

そして最後のホラーメイズに向かった時、僕らと土山らの距離はごく僅かなものになっていた。このメイズはウォークスルー型で、10人程度でグループを作って進んでいくタイプである。これはうまくすれば、同じグループになれるかも知れない。そうしたら彼の目を盗んで、盗聴器を仕掛けようと思っていた。
しかし、心配なのはさくらである。くっついてもらえるのは嬉しいが、さすがに目に見えて疲弊している恋人を連れ回すほど、僕も鬼ではないつもりだ。

「さくらさん、この先は僕だけで行きます。あなたは飲み物を買って、座って待っていてください」
「い、嫌です。お願い、1人にしないで……」

じわあ、と涙が滲んだ目元にうっかり絆されそうになる。しかしここは彼女のためにも、この後の任務のためにも、心を鬼にしなければ。
そう思って口を開きかけた時だった。ヴヴヴ、と左手から振動が伝わってくる。彼女はヘッドホンから、僕は耳に嵌めておいたインカムからギルバートの声を拾った。

「土山の浮気相手と目される女性について、粗方調べ終わりましたのでご報告します」

僕達は顔を見合わせた。仕事の話になった途端、さくらの顔に生気が戻る。

「相手の女性は杉山茜。現在24歳で、都内の飲食店の厨房で働いています。勤務態度は概ね良好、昨年9月に勤め先の店長である男と籍を入れています」
「……両方既婚者だってこと?」

さくらは僕にだけ聞こえるような声量で言った。ギルバートはそういうことですね、と冷静に返してきた。

「ですが、面白い事実が判明しました。杉山茜の旧姓ですが、土山というそうです」

僕達は再び顔を見合わせた。土山というと、僕達が今追っているターゲットの男と同じ苗字である。

「と言うと、2人の関係は……」
「はい。2人は実の兄妹です。依頼人が義妹にあたる杉山茜のことを知らなかったのは、杉山茜がほとんど駆け落ち同然に結婚したことが原因でしょう」

思ってもみなかった結論に、僕達は呆気に取られて言葉を喪った。
つまり、この密会は浮気でも何でもなく、単にホラー好きな兄妹がハロウィンを楽しみに来ただけという話である。ショップで買っていたスタイは、土山と依頼人の間の子供にプレゼントするために買ったものであったようだ。

「なあんだ。私、てっきり、あの2人の間に子供でも出来たのかと思っちゃいました」
「僕もですよ。杉山茜に関しては、依頼人から写真を受け取ったのが昨日だったからまだ調査が進んでいなかったんですが、こんな展開になるとはね」

肩透かしを食らったような気分だが、修羅場を回避できたのなら結果オーライである。
事件の呆気ない幕切れに肩の力を抜いて笑っていると、スタッフから声を掛けられた。見れば、前方にあった待機列は綺麗になくなっていた。

「それではこちらのロープを持って、順番に進んでください。お兄さんが先頭でお願いしますねー」
「あ」
「あ……」

流れで受け取ってしまったそれは、紛れもなくホラーメイズのグループ分けで使われるロープだった。これをグループの全員で握り、狭い空間を歩いて行くのだ。グループ分けまでされてしまった以上、引き返すことはもう不可能である。

ギルバートの話に夢中になっていて、さくらを列から抜けさせることを失念していた。今更のように後悔しても、時すでに遅し。

「い、い、いやあああああ!」

最後のホラーメイズの入り口で、さくらの悲痛な叫びがこだました。


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