Dear. 匿名様

俺がその場に居たことは、正真正銘、まったくの偶然である。
偶々(強調)、昴さんと阿笠博士の引率で少年探偵団の皆と一緒にトロピカルランドに遊びに来ていた俺は、図らずも(強調)、パークに入ってすぐのグッズショップで見慣れた2人の姿を目撃したのだった。

「ねえ、昴さん」
「どうした?ボウヤ」
「あそこに居るのってさ、安室さんとさくらさんだよね?」

俺が指し示す方向に目をやった昴さんは、一瞬真顔で沈黙した。俺だけに声が聴こえるように膝を折り、こそこそと話し合う。

「確かにそのようだな。普段の彼女の服装と雰囲気が違うし、2人ともこのパークの帽子を被っているから、すぐにはそうと気付かなかった」
「あ、そうか。僕の目線の位置からだと下から2人の顔がよく見えるから、先に気付くことができたんだね」

俺達はそのまましばらく2人の様子を観察していた。何も2人で居る所が珍しい訳ではない。2人は恋人同士なのだし、誰に憚ることなく一緒に行動しても可笑しくない組み合わせだ。それでも俺と昴さんは、あの2人が醸し出す雰囲気に何とも言えない違和感を覚えていた。それはさくらさんの服装が珍しくスポーティーなパーカーワンピースだからだとか、安室さんの頭の上にポップなフォントのアップリケが付いたパーク限定のキャップが乗っているから、という理由だけではない気がした。

その違和感の正体に、先に気付いたのは昴さんだった。

「あの2人、もしや誰かを尾行しているのか?」
「尾行?」
「ああ。彼女の方は真っ直ぐに前だけを見ているが、安室君は時折別の所にも視線を配っている。あれは恐らくターゲットがそこそこ近距離にいて、意図的に視線が合わないようにしているんだ」
「確かに、時々わざとらしく時計を見たり、帽子を深く被り直したりしてるね」

この時期のトロピカルランドは期間限定のイベント中で、ハロウィンムード一色に染まっていた。だが、あの帽子はハロウィンに合わせた仮装などではなくて、尾行のための変装なのかも知れないとここで気付いた。

「ねえ、今思ったことを正直に言っていいかなあ」
「ん?」
「多分本人達はさ、うまく周囲のお客さんの中に溶けこんでいるつもりなんだろうけどさ」
「ああ」
「ぶっちゃけめちゃくちゃ目立ってるよね、あの2人」
「……否定はしない」

あの2人は常日頃から、1人で突っ立っているだけで十分人目を引く存在だ。そんな目立つ容姿の男女が、パークのロゴが入った帽子を仲良く被り、ぴったりと寄り添っているのだ。周りの観光客たちが羨望の眼差しを向けるのも、然もありなんと言わざるを得ない。

「まあ……、彼らのターゲットにしてみれば、まさかあんなに目立つ奴らが自分達を尾行しているなんて、普通は思わないだろうからな。却って警戒されにくいんじゃないか?」
「それもそうか。でも遊園地に来てまで他人の尾行をするなんて、2人ともワーカホリックすぎるよね」
「仕事でもなければ、あの2人が遊園地で堂々とデートなんてそもそも選択しなさそうだしな」

やがて視線の先の2人は、ターゲットの動きに合わせて移動を開始した。あっちの方向には確か、ハロウィンイベントの目玉であるホラーメイズが設営されているはずだ。
あの2人が尾行に気付かれるようなへまはしないと思うが、このまま見失ってしまうのも勿体ない。完全に出歯亀精神で、俺と昴さんは顔を見合わせて頷き合った。

「昴さん、僕達も行こう!」
「君ならそう言うと思ったよ。博士に一言告げてから、我々も移動しようか」

そうして俺達は博士たちと分かれ、安室さんとさくらさんの後をつけてステージ19へと向かった。


ホラーメイズが近付くにつれ、さくらさんの挙動が怪しくなっているのには気付いていた。いつもきりっとした表情をしているイメージだったから、こんなにおどおどした態度を見るのは初めてだった。

「右手と右足が一緒に出てるよ……」
「顔が解りやすく引き攣っているな。ベルモットを相手にしていた時よりも緊張しているように見えるが」

苦笑交じりに俺と昴さんが見つめる先で、安室さんもさくらさんの様子がおかしいことに気が付いて脚を止めた。
頼りなげに安室さんの上着の裾をきゅっと握り、不安そうに目を泳がせているさくらさんに、安室さんは諭すように何事かを告げた。けれどそれに対し、さくらさんはふるふると首を振った。

「昴さん、あの2人が何を話してるか解る?」
「いや、流石に声までは聴き取れないな。大方、怖いのなら君はここに残っていろ、とでも告げているのだろう」

安室さんにしてみれば、怖がりなさくらさんを気遣っているつもりなんだろうが、こんなおどろおどろしい空気が漂う場所に1人置いていかれるのも嫌だろう。もしも本当にこのまま安室さんがさくらさんを残していくつもりなら、俺達が声を掛けて、安室さんが戻ってくるまで傍に付いていてやろうと思った。

俺のそんな心の声が聞こえたのか否か、安室さんは一瞬ちらりとこちらに視線を走らせて、しっかりとさくらさんの手を握った。
そしてその手を恭しく持ち上げ、そっと唇を落とした。

「…………」
「ほぉー。中々やるな、安室君」

昴さんは感心したように言って口笛を吹いていたが、俺には到底そんな余裕はなかった。

(あ、あれが大人の男ってヤツか。流石安室さん……)

多分俺だったら照れ臭さが先行して、あんな自然に手の甲にキスなんてできねーぞ。キザ野郎のキッドじゃあるまいし、と口の中でぶつぶつと唱える。だが実際、さくらさんは安室さんのキスを受けて、幾分か緊張が解れたようだった。と言うことは、男からしたらキザな仕草に見えても、女の子はああいうことをされたら安心するものなのかも知れない。

いつか元の体に戻って、蘭とお化け屋敷に入るような時が来れば、俺も真似してみようかな。少しだけそんな風に考えて、俺は赤くなった頬を掻いた。

「でもさ、変な意味とかじゃないんだけど」
「ん?」
「僕、さくらさんってすごくしっかりしてて、怖いものなんて何もないんだと思ってたんだ」

俺にとってのさくらさんとは、これまでにいくつかの事件を解決に導き、共に乗り越えてきた仲間である。その天才的な頭脳を活かし、的確な状況判断と情報収集を行って、いつだって懸命に俺達をサポートしてくれた。そんな心強い年上の女性としての貌しか、俺はこれまでに見たことがなかった。自分が組織の奴らに狙われた時でさえ、彼女は普段通りの表情を崩すことはしなかった。

だから、俺はうっかり忘れていたのかも知れない。さくらさんだって俺達とそう歳の変わらない、怖いものも苦手なものも持ち合わせている普通の女性なのだということを。

「多分、隣に居るのが安室さんだからっていうのも大きいとは思うんだけどさ。さくらさんのあんな貌が見られたのは、俺としてもちょっと嬉しいな、なーんて」

思ったりして、とおどけた口調で続けた俺に、昴さんも同意した。

「そうだな。こないだの彼女が組織に狙われた一件で、俺も彼女とは随分打ち解けたつもりだったが、それでもあんなに素直に“怖い”という感情を露わにするのは初めて見たぞ」

昴さんは細い目を僅かに開き、こっちの顔も興味深い、と言いたげな口振りで顎に手を当てた。
その横顔を見ているうちに、とある疑問が胸に沸き上がった。

「ねえ、昴さん。ふと思ったんだけどさ」
「どうした?」
「昴さんって、去年の夏よりも前から、元々さくらさんのことを知ってたの?」

俺の問いかけに、昴さんは虚を突かれたように一瞬押し黙った。

「……何故そう思う?」
「前にさくらさんから聴いたんだ。初めてさくらさんが昴さんに会った時のことをね。確か、さくらさんの落としたパスケースを拾ってあげたんだよね?」
「ああ。彼女がパスケースを落とすように細工したのも俺だ」
「なんでそんなことをしたの?」

俺がさくらさんと昴さんに接点があると知ったのは、まだ安室さんの正体が公安警察だと知らなかった時だった。赤井さんが安室さんの、ひいてはバーボンの傍をうろちょろしている女性のことを探ろうと考えるのは自然だが、それならわざわざこちらから接触することにメリットはないように思える。結果的には、彼女が信頼の置ける人物だったからよかったものの、もしも彼女が組織の息の掛かった人間だったとしたら、軽率に接触すべきではなかったはずだ。
その危険性に気付かない赤井さんではない。それでも彼自ら率先してさくらさんに会いに行ったということは、彼女が組織とは関わりのない人間であるという確証を赤井さんは持っていたのだ。つまり赤井さんは、俺が彼女と安室さんの繋がりを疑い、その関係性を暴くよりも以前から、さくらさんのことをある程度知っていたということになる。

その情報は一体どこから、誰から手に入れたものなのか。それが解れば、赤井さんとさくらさんを繋ぐ関係性も、朧気ながら理解できるような気がした。

「……君は、彼女が安室君だけではなくて、俺とも何らかの関わりがあると踏んでいるのか」

昴さんは両目を開き、俺の顔をじっと覗き込んだ。冷静な緑の瞳に射抜かれて、思わず上擦った声が出てしまう。

「あ、も、勿論、関わりって言っても変な意味じゃないよ!ただ、こないださくらさんをウチで匿ってた時も、どうしてさくらさんが昴さんを頼ろうと考えたのかなって、ちょっと気になっただけだから……」
「怒っている訳じゃない。そこまで君の考えが及んだことに、素直に驚いただけだ」

赤井さんは俺の疑惑を否定しなかった。代わりにふっと微笑んで、俺の頭をぽんぽんと撫でてきた。

「そうだな。ボウヤの読みは間違っちゃいない。だが、それについては俺が話すべきことではないだろうな」
「……さくらさんに直接訊けってこと?」
「ああ。それに、君はまだ俺と彼女に関して見落としていることがある。ヒントはそこかしこに散らばっているぞ」

それに気付いて、彼女の最大の秘密を君が突き止めることが出来たなら、彼女に直接俺との関係について訊きに行くといい。昴さんは謎かけのようにそう言って、意地悪く笑った。
そんな風に言われてしまえば、謎解きを愛する探偵としては、彼女の秘密とやらを追求せずにはいられない。俺は新しい難問にぶつかったときのように目を輝かせ、昴さんの顔を真っすぐに見上げた。

「解った。もしも僕が真実に辿り着いたら、その時ははぐらかさずに教えてね」
「ああ、約束しよう。……さて、お喋りしている間に彼らも動き始めたようだな」

昴さんの言葉に顔を上げると、安室さんとさくらさんは一番手前のホラーアトラクションに入る所だった。ここまで追いかけてきてただ2人を見守っているのも何なので、俺達もアトラクションを楽しむことにした。正直、俺も昴さんもホラーはそこまで苦手ではないが、凝った作りの内装を眺めたり、同じグループになった人が怖がる様子を観察したりするだけでもそこそこ楽しかった。

「もう終わったと見せかけて、最後にもう一発来るのは予想外だったね」
「さすがのボウヤも驚いていたな」
「昴さんだって、肩がビクッてなってたよ!」

いつもはホラーが苦手な蘭達と一緒のことが多いから、俺が引っ張っていかなきゃいけないという意識が強かった。だからこそ、こんな風に純粋にお化け屋敷を楽しむのは久しぶりで、何だか新鮮な気分だった。

そして俺達が尾行していた2人はと言えば、近くのベンチに寄り添い合うように腰を下ろしていた。さくらさんは遠目で見ても解るほど震えていて、安室さんの腰に腕を回して縋り付いている。

「安室さんのあの顔見てよ。役得で幸せって顔してるよ」
「それもまた、お化け屋敷の楽しみ方の1つだろう。しばらくはこのネタで彼女を揶揄えそうだな」

昴さんは人の悪い顔で微笑み、安室さんの顔が入らないようにピントを調節してスマホカメラのシャッターを切った。ちょうどその時、別行動をしていた博士から俺のスマホに連絡が入ったため、俺達は2人を残してその場を離れることにした。

安室さんの公安警察という立場上、気兼ねなくデートを楽しむことも出来ない2人だけど、せめて今日1日の残された時間くらい、幸せな時間を過ごして欲しいと心から思った。


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