Dear. なぁな様・ミユ様

「それじゃ、お仕事で偶然ドイツに来たの?それもこのフランクフルトに?」
「ああ。僕も、今回の任務を聴かされたのは1週間前のことだったんだ」

僕はさくらと並んでマーケットの中を歩きながら、何故自分がドイツにやって来たのかを説明していた。さくらは僕の話を聴いて驚きつつも、全く疑いもせずに納得してくれた。

「そういうことだったのね。昨日から、ギルバートが何か隠し事をしてるんじゃないかとは思っていたけれど、あなたが明日うちを訪ねてくる予定だったなんて」

知っていたら、ちゃんとご馳走を作って待っていたのに。そう言って、彼女は機嫌が良さそうに笑った。

先ほど一緒に歩いていた男は、人工知能研究センターの同僚なのだと彼女は言った。

「彼が自分のステディにあげるプレゼントに悩んでいたから、私が一緒に選んであげていたの」
「え?それじゃ、さっき2人で選んでいたマフラーは……」

僕が先ほどの光景を思い出しながら言うと、彼女は意地悪く微笑んだ。

「そうよ。彼の恋人に贈るために、一生懸命選んでいたの。ついでに言うと、彼の恋人というのは男性なのよ。だから最初から、私じゃ彼の恋愛対象になり得ないの」
「……なんだ。そういうことなら、僕があんなに慌てる必要もなかったんだな」

乱暴にして悪かった、と僕が繋いだ手をさすると、さくらは緩く首を振った。

「せっかく会えたんだもの。これ以上謝るのはなしにしましょう」
「……さくら」
「ようこそ、ドイツへ。Viel Spaß!」

気取ったようにお辞儀をする彼女が様になりすぎていて、僕はうっかり見惚れてしまった。煌めくイルミネーションも、都会の喧騒を覆い隠すBGMも、今は彼女を引き立たせるための背景に過ぎなかった。

「グリューワインは飲んだ?お仕事で来てるんなら、お酒は飲めないのかしら」
「1杯くらいは平気だろうが、今日はやめておく。明日も任務があるからな」
「それじゃ、食べるものを見て回りましょうか。あのお店のカリーブルストは格別なのよ」
「フランクフルトだから、やっぱりソーセージが有名なのか?」
「そうね。豚だけじゃなくて、牛のブルストもオススメよ」

日本でも最近、ドイツビールの祭典であるオクトーバーフェストが頻繁に開催されるようになった。そこではビールのみならず、ドイツの郷土料理やお菓子も一緒に提供されているため、僕でもいくつかは名前を知っていた。

「シュニッツェルってこんなに薄っぺらいものなんだな……」
「日本のとんかつを想像していたら、肩透かしを食らうわよね」
「あと、ホテルの食事でも思ったが、とにかくジャガイモが付いてくる」
「ドイツ人にとってのパンに次ぐ主食だもの。スーパーでジャガイモを購入しようと思ったら、1番少ない量で2kgもあるのよ」
「一人暮らしにはきつそうだな。どうやって消費するんだ?」
「クヌーデルを作ったり、パンケーキに練り込んだり。あとはあなたも見たように、とにかく料理の付け合わせに出すことね」

僕も料理を嗜むから、こういった話は聴いていて全く飽きない。彼女が生き生きとドイツでの生活について語っているのを見るのも、僕の心を浮かれさせる要因の1つだった。

「あ!零さん、あれを買ってもいい?」
「あれって、どれだ?」
「あのお店の、リンゴのチョコレート掛けがおいしいの!」
「ああ、フランクフルトはリンゴも有名だったな」

ミュンヘンのビールに対して、フランクフルトではアップルワインが美味しいと評判だ。ノンアルコールのアップルジュースも人気があると聴いている。
丸ごとリンゴを焼いたものに、湯煎で溶かしたチョコレートを掛けたものを嬉々として購入しながら、さくらは店主の女性と何事かを話していた。さすがに日常会話を聴き取れるほどドイツ語に慣れていない僕には、店主が何と言ったのかは解らなかったが、さくらが耳まで真っ赤に染めて首を振る様子を見る限り、きっと僕とのことを揶揄われたのだろうと予想がついた。

「さっき、何を話していたんだ?」

それでもやっぱり会話の内容が気になって、僕はリンゴを齧る彼女の横顔に問い掛けた。1口いるかと訊かれたので、いる、と答えて彼女の手から串を受け取る。

「実はね、さっきあなたに会う前にも、あのお店の前を通ったの」
「?……それで?」

僕と会う前、ということは、あのレオンとかいう男と一緒に歩いていた時だろうか。僕が首を捻ると、彼女は顔を隠すようにマフラーを片手で引っ張った。

「でも、さっきと今とじゃ、私の表情が全く違うねって言われて。……今の方が、ずっと幸せそうだって言われたの」

あなたと一緒にいたら、どんなに頑張っても幸せオーラが隠し切れないみたい。彼女はそう言って、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
僕は思わずリンゴを取り落としそうになって、寸前で踏みとどまった。しかし、この可愛い恋人を前にして、動揺するなという方が無理である。口の中にリンゴのものだけではない甘ったるさが広がって、僕は彼女の頭をそっと押さえつけた。

「零さん?」
「……悪い。今ちょっと、顔を見られるわけにはいかないから」
「え?……ひょっとして、照れてるの?」
「うるさい。お前がいきなりあんな可愛いことを言うのが悪い」

やけ食いのように大口を開けてリンゴを齧ると、彼女は慌ててそれを奪い返そうと手を伸ばした。

「あ、ちょっと!酷いわ、私だってまだ1口しか食べてなかったのに」
「うん。さすがに君が気に入っただけあって、美味しいな」
「もう、私のリンゴー……」
「悪かった、悪かった。ほら、返すから泣きそうな顔をするな」
「返すって、あと1口しか残ってないじゃない」
「解った。お詫びに何でも1つ、君の言うことを聴くから」

半べそを掻きながらリンゴを咀嚼する彼女の頭を撫でると、さくらは口をもごもごと動かしながらこちらを上目遣いで見上げてきた。

「……それじゃ、ちょっとこっちへ来て」

さくらは僕の手を引っ張って、レーマー広場へと足を向けた。空いていたテーブルに荷物を置くと、彼女はバッグの中から簡素な包みを取り出した。

「これ、あなたへのプレゼント。さっきのリンゴを食べた罰に、これを受け取りなさい」
「え?」
「実は今日の午前中、あなたへのプレゼントを買いに行ったの。サプライズにするつもりで、ギルバートにも内緒にしてね。明日、日本に送る予定だったわ」
「ああ、だから今日、ギルバートを連れていないのか。……開けてもいいか?」
「勿論。気に入ってもらえるといいんだけど」

まさか既に準備してくれているとは思わずに、僕は逸る気持ちで包みを開けた。中から出てきたのは、イギリスの某有名メーカーの大判のバンダナと、本革の手袋だった。バンダナはカシミヤ生地で出来ており、とても暖かそうだった。

「こんなに貰っていいのか?」
「あなたのことを考えながら選んだんだから、あなたが受け取ってくれないと困るわね」
「ありがとう、本当に嬉しいよ。……僕はまだ、何も用意できていないんだが」
「そんなの、気にする必要なんてないわ」

彼女は僕の手許からバンダナを受け取ると、僕の首にそれをふわりと巻いた。周囲の視界を遮るように頭ごと包まれて、真新しい匂いが鼻腔を擽る。

「あなたの顔を見られたことが、何よりのプレゼントよ」

そう言って、彼女はそっと背伸びをした。広げたバンダナの内側で、僕達の距離はゼロになる。触れるだけのキスを交わして、彼女は蕩けるように笑った。

「Frohe Weihnachten. 零さん、会いに来てくれてありがとう」

その顔が宗教画の聖母よりも、プレゼントを運んでくるクリストキントよりも眩しく見えて、僕は夢中になって手を伸ばした。
何度も角度を変えて、チェリーレッドの唇を貪る。さっきのように目隠しもしていないから、周囲の客は僕達の熱烈なキスシーンを見て、囃すような声を上げた。

「ん、……零さん、……ここ外……っ」
「構わない」
「皆、見てる……!」
「見せつけてやればいい。僕が君に夢中なんだということをな」

僕が引くつもりがないということが解ったのか、彼女はようやく抵抗を諦めた。背中をそっと撫でてやると、脱力して僕の腕に体重を預けてくる。
暫く無言で互いの温もりを分かち合い、僕はもらった手袋を握りしめた。

「明日の夜まで待ってくれ」
「……?」
「明日の夜、君の家に着くまでに、何かプレゼントを用意する。だから、明日は僕の為に時間を空けておいてくれ」

僕がそう言って彼女の頭を撫でると、ベレー帽の下で彼女は小さく頷いた。

「ええ。楽しみにしているわ」

Frohe Weihnachten ――― Merry Christmas.
普段神様など信じてはいないが、こうして彼女と出会えたことだけは、奇跡と呼んでもいいのかも知れなかった。


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