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蘭ちゃんと並んで米花駅に到着すると、そこには既に目立つ金髪の男が立っていた。私が驚いて蘭ちゃんと顔を見合わせていると、向こうも私達の姿に気付いて近寄って来た。

「さくらさん、蘭さん、こんばんは」

軽く左手を持ち上げて挨拶をするその顔は、紛れもなく零さんのものだった。手首のスマートウォッチが、手の動きを感知して一度瞬く。

「―――安室さん」
「あれ?さっき安室さん、遅れるって言ってませんでした?」

蘭ちゃんも怪訝な顔で首を傾げた。バッグからiPhoneを取り出して確認すると、先ほど送られてきたメッセージはやっぱり見間違いではなかった。なのにどうして、彼はここにいるのだろう。
そう言いたい気持ちが顔に出ていたのか、彼は頬を掻きながら眉を下げた。

「すみません、あれは嘘です」
「嘘?」
「はい。あなたを驚かせようと思って、わざと遅れると嘘を吐いたんです」

思った通り、可愛い顔が見れましたよ。そう言って彼は朗らかに笑った。
私は殊更に照れたような顔をして、両手で頬を覆った。

「……もう、恥ずかしい人」
「照れてるんですか?ますます可愛い」
「あの!人前ですし、蘭ちゃんもいますから!その辺で勘弁してください」

腰を折って私の表情を覗き込もうとする彼の顔を、私は両手で押しやった。蘭ちゃんの視線が痛い。こんな大人を参考にしたらだめよ、と心の中で呼びかける。

「はは、すみません。それじゃ、さくらさんはお借りしますね、蘭さん」
「は、はい!行ってらっしゃい!」
「今日はありがとう、蘭ちゃん。気を付けて帰ってね。コナン君によろしく」
「解りました。こちらこそ、ネックレスありがとうございます!」

お礼を言って踵を返す蘭ちゃんの背中をしばらく見つめ、彼はこちらに向き直った。小さく縮こまった瞳孔に、これは零さんではなく“バーボン”の顔なのだと思い知る。

化かし合いはもう始まっているのだと、私は背筋を伸ばした。

「では、僕達も行きましょうか。僕の独断と偏見で選んだフレンチですが、よかったですか?」
「安室さんの行きつけのお店なら、外れはないでしょう?」

精々私を退屈させないでくださいよ、と挑発のように微笑めば、彼は嫣然と目を細めて私の腰に手を回した。

*****

「ケーキセットのクーポン券?」
「うん。さくらさんが、従業員限定で配られてるものだって言って、2枚くれたの。コナン君、この前誕生日だったのに、何もお祝い出来なかったからって」
「それで僕と蘭姉ちゃんに、1枚ずつくれたんだね」

俺は蘭がさくらさんからもらったというクーポン券をまじまじと見つめた。ポアロでこんなクーポン券を扱っていたとは初耳だ。さくらさんのことだ、ひょっとしたらサービスのつもりで偽物のクーポンを作ったのかも知れない。蘭に気を遣わせないように、こんな形にしたのだろう。

まあ、タダでケーキを食べさせてもらえるというなら、ありがたく頂くとするか。そう決めてポアロのドアを開けると、いつものように梓さんが出迎えてくれた。

「いらっしゃい、蘭ちゃん、コナン君。今日は毛利さんは?」
「お父さん、沖野ヨーコさんのライブに出掛けちゃったんです。それでさくらさんに、よかったらこれを私とコナン君で使ってくれって言われて、さっき受け取っちゃったんですけど」
「んー?……ああ、ケーキセットのクーポンね。食後にサービスさせてもらうことになるんだけど、それでいい?」
「勿論です!ありがとうございます」

梓さんは何やら含みのある顔をして笑った。やっぱりクーポンというのは嘘で、梓さんもグルだったようだ。
彼女の案内でテーブル席についたその時、バックヤードからもう1人の店員が姿を見せた。

「梓さん、食洗器ですがどうやらまだ直らないみたいです。明日改めて、業者の方に見てもらいましょう」
「そうねー、それしかないかあ。こんな時間まですみません、安室さん」

梓さんの言葉を聴いて、蘭は安室さん?と言って振り返った。確かにカウンターの向こうにいるのは見慣れた金髪に蒼い目の、つい先日日本を守るために共闘した安室さんだった。

「安室さん、どうしてここに?」
「こんばんは、蘭さん。どうしてって、どういう意味ですか?」
「蘭姉ちゃん、どうしたの?」

まるで安室さんがここにいるのが不自然だと言いたげな反応に、俺と安室さん、梓さんも目を丸くする。

「だってさっき、米花駅でさくらさんと……」

その名前を聴いた瞬間、安室さんの顔色がさっと変わった。
それを見て、俺はただならぬ事態がさくらさんを襲っているのだと理解した。

「さくらさんがどうしたんですか?詳しく教えてください、蘭さん」
「え?ええっと、さくらさんと今晩、約束してたんですよね?安室さん」
「はい、その通りです。ですが機材トラブルの関係で、待ち合わせの時間から遅れると連絡をしたはずなんですが」

安室さんは厳しい顔を崩さないままだった。だが、蘭はその言葉に益々混乱したように続けた。

「ええ?でもさっき米花駅で会った安室さんは、それは嘘だって……」

つまり、安室さんはさくらさんと米花駅で待ち合わせをしていたのだが、時間に遅れそうだから待っていてくれと2時間も前に連絡したらしい。さくらさんはこんなのいつものことだから、と米花駅で何時間でも待つつもりだった。しかしそこに、もう1人の安室さんが現れた。

遅れると連絡をしたのは嘘だ、さくらさんの驚く顔が見たかったのだと、もう1人の安室さんは言ったのだという。

「あれ?でも安室さんはここに居て、だったらさっき……」

頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべる蘭は、恐る恐る口を開いた。


「さっきさくらさんを連れて行ったあの人は、一体誰なんですか?」


大胆にも安室さんに変装し、恋人のさくらさんさえ騙せる人間などこの世界に多くはいない。いるとすれば、それは安室さんを余程間近で見たことのある人物で、かつ安室さんの声も口調もそっくり真似られる人物。

―――ベルモットだ。

俺がそう確信するのとほぼ同時に、安室さんはポアロのエプロンを乱暴に脱ぎ捨てた。

「安室さん!」
「すみません梓さん、詳しい話はまた後日!」

半ば叫ぶようにそう言ってポアロを出て行った安室さんを追って、俺もすぐに駆け出した。

「コナン君!?」
「ごめん、蘭姉ちゃん!さくらさんが心配だから、僕も行くよ!」

すぐに戻るから、と明らかに嘘と解る言葉を残し、俺は探偵事務所に立ち寄ってスケボーを持ち出した。そして恐らく米花駅へ向かったのであろう安室さんを追うために、夜の道路を猛スピードで突っ走った。

何があったのかは解らないが、ベルモットが動いているということは、さくらさんの身にとんでもない危険が迫っている。安室さんが一瞬で色を失くすほど焦っているということは、恐らく命に関わる企みに巻き込まれたんだろう。

なんで、どうしてさくらさんが、奴らに狙われることになっちまったんだ。こんなこと、灰原が知ったら心配するどころじゃ済まねーぞ。

ギリ、と奥歯を噛み締めながら、俺は暗い町並みを全速力で通り過ぎた。


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