06





好奇心は猫を殺す。イギリスの有名なことわざである。
猫は9つの魂を持つと言われており、容易に死なない存在とされているが、そんな猫でさえ持ち前の好奇心が原因で身を滅ぼすことがある、という意味だ。

これまでコナン君にこの言葉を突き付けてやりたいと思ったことは数多くあったけれど、今この時ほどそう実感したことはない。

「……つまり、あの時零さんに銃を向けてた長髪の男がジンで、サングラスの男がウォッカ。その2人組が、試作品段階の薬を工藤新一に飲ませ、その結果体が縮んでしまったと」
「ああ」
「その薬を開発したのが哀ちゃんで、彼女もまた薬のせいで体が縮んでしまったと……」
「その通りだ」

零さんからの着信を受け取った後、私は赤井さんと並んで食事を摂っていた。予告されていた通りメニューは肉じゃがで、和食を好む私には嬉しい味わいだった。

そして食後に1杯やりながら、工藤新一が江戸川コナンとなった経緯を聴いたのである。

「哀ちゃんがあの薬の解毒剤を研究しているのは知っていましたが、組織に騙されるような形で開発させられてたなんて……」
「両親の研究を引き継いだらしい。彼女にもコードネームが与えられていたんだが、シェリーと呼ばれていたそうだ」
「零さんがバーボンで、クリス・ヴィンヤードがベルモット。あなたは?赤井さん」
「俺は“ライ”だ。ウィスキーの一種だな」

なるほど、と私は結露の浮いたグラスを見やった。中に入っているのはバーボンソーダである。初めて飲んだけれど、“バーボン”は私の口にはまだ早いようだった。

「で、その情報、何割が本当ですか?」
「今更君に嘘を言ったりしないさ。全て本当の話だ」
「……ありがとうございます、私を信用してくださって」
「本当のことを言わないと、君は組織のデータベースに自らハッキングを仕掛けかねないからな」

図星を差されて、私は苦笑しながらグラスを両手の親指でなぞった。結露が指に纏わりつき、表面に水滴が付く。
聴けば聴くほど、黒の組織とやらの影響力の強さを思い知る。そんな相手を敵に回して戦わなくてはならないなんて、前世で私は一体どんな悪行を働いたのだろう。

「いっそ君もNOCとして潜入してみるか?適性はあると思うぞ」
「ご冗談を。もしもその作戦を敢行するなら、私は頃合いを見計らって死ななければならないでしょうね」
「…………。その心は?」
「私が組織に潜り込んだりしたら、零さんに対する体のいい人質にされるだけです。零さんは私を見捨てることなんて出来ないでしょうから、人質にされないためには、頃合いを見て自ら命を絶つしかないでしょう」

中々シビアな見通しだな、と彼は笑った。

「あくまで彼の脚を引っ張らないことが第一か。美しい自己犠牲だな」
「美しくなんかないわ。残された人間がどんな気持ちになるかなんて、一切考えていない身勝手な行動だもの」

頭が重い。もしかしたら酔っ払っているのかも知れないと思った。
たった1杯で酔うほど弱くなったつもりはないが、昨日あれほど日本酒を飲んだ後である。精神的な疲労もあってか、アセトアルデヒドが回るのが早くなっているのかも知れない。

私はちらりと赤井さんに視線を向けた。酔っているのならちょうどいい。もうこんな機会は二度とないかも知れない。

「……もう二度と言わないので、吐き出してもいいですか」
「死んだギルバートのことか」
「ええ。こんなこと、あなたにしか言えない……」

私が視線を落とすと、頭の上に掌が載った。ぽんぽん、とあやすような手つきのそれは、年下の女の扱いに慣れている男のものだと実感させられた。

「私、あの人が死んだとき、本当に苦しかった。何も言ってくれなかったことを恨んだわ。私が言わせなかったくせにね」

私が自分を責めるような発言したことに、彼は僅かに目を瞠った。

「あの時は誰もかれも、事件のことだけで手一杯だった。君の選択は間違っちゃいない」
「そうかも知れない。彼が生きていたとしても、きっとそう言ってくれるでしょうね。……でも、時折夢に見るんです」

あの人が私の目の前で、苦しみながら死んでいく様を。お前があの男を選んだ結果がこの様だと、呪いのように言葉を投げかけられる夢を見る。

「……あいつは、君を呪ったりするような男じゃない」
「ええ、それは理解しています。むしろ優しく見守ってくれてるんじゃないかって思うことすらあります。でも私が死ねば、同じ思いを零さんに味わわせるかも知れない」

グラスの中のバーボンが揺れる。水面に映る自分の顔が、輪郭を失って消えて行った。

「だから私は、どれほど見苦しかろうが呆れられようが、自分の命を諦められないの。自惚れかも知れないけれど」

大事な人の命が掌から零れ落ちた時の、心臓がバラバラになったかのような痛みを、零さんにはこれ以上味わってほしくない。

「君の覚悟は解った。だが、あまり思い詰めるな。奴らは確かに強敵だが、君を守ろうとしている人間も、決して奴らに引けを取らないつもりだ」
「……確かに、そうですね。とても心強いわ」

ふふ、と小さく笑みをこぼすと、私はグラスを一気に煽った。喉が焼ける感覚がして、頭がより一層重くなる。

「そんな飲み方をすると悪酔いするぞ」
「バーボンで悪酔いなんて、シャレが効いてると思いません?」
「フッ……、確かにな。酔いが回る前に風呂に入って、今日はもう寝るといい」

そう言ってテキパキと片づけを始めた赤井さんに、私は戸惑いの声を上げた。

「後片付けくらい、させてください」
「それは明日頼む。今日はもうゆっくり休め」
「……解りました。それじゃあ、お先に」

短くお礼を言って、私はリビングを後にした。部屋に戻るとスマホが光っていて、蘭ちゃんからラインの返事が来ていたことを知る。
その文面を確認して、私は深々とため息を吐いた。こんなことに蘭ちゃんを巻き込むのは嫌だと言ったのに、聞き入れてはもらえなかったらしい。

種明かしをするならば、ついさっき零さんからの着信を受け取った時、蘭ちゃんと出かける用事があると言ったのは私ではない、私の声を真似たギルバートだったのだ。そして彼は通話中の私に無断で、蘭ちゃんに3日後の約束を取り付けてしまっていた。その理由を訊いたところ、ベルモットという女の弱点の一つが、誰あろう蘭ちゃんなのだという。つまり彼女と一緒に出掛けている最中は、ベルモットに命を狙われるということはないだろうと言いたいのだ。

使えるものは使えるとしたら使えるときに使えるだけ使っておく。非常に合理的で解りやすい理論だが、またこうして彼女を利用するような形になってしまったことに一抹の苦しさを覚えた。蘭ちゃんは魔除けのお守りじゃないというのに。

(まったく、こんな所ばっかり零さんに似てきちゃって)

むすっと唇を引き結びつつ、私は蘭ちゃんに待ち合わせの場所と時間を送った。こうなった以上、あれこれ考えても仕方ない。どうせなら心ゆくまで、買い物デートを楽しんでしまえばいい。
すぐさま返ってきたゆるキャラのスタンプの可愛さに癒されて、私はふと口元を緩めた。

そして本格的に酔いが回ってくる前に、着替えを持ってバスルームへと向かった。


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