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翌日、工藤邸にて来客を待ち構える俺達のもとに、真昼間から意気揚々とやって来たのは、ヘッドホンを首に掛けた女性だった。

「ハーイ、コナン君。博士から大方の事情は聴いたわよ」
「さくらさん!?」

まさかここで彼女が出てくるとは思わなかった。さくらさんは安室さんと仲がいいし、まして安室さんの正体を知っているだろう唯一の人だ。その人が俺らに協力をしたいと申し出てくれるとは思ってもみなかったのだ。

「沖矢昴を喪うのは、回り回って安室さんにとっても痛手になるだろうって言われてね。突っ込んだ事情は知らないけど、安室さんもあなたたちも、黒の組織?っていうのに対抗しようとしていることは聴いたわ」
「組織のことまで博士は話しちまったのか?」
「あ、それは別の情報網からね。それで、後々安室さんに苦労して欲しくはないから、今はこっそりこちらをアシストすることにしたの」

彼女はそう言って、着々と電波妨害装置を取り付けていく。特定のネットワークを経由する電波以外は全てシャットアウトするというもので、俺達が元々用意していた変声機やモニターの類も全て接続からやり直した。

それにしても、安室さんに苦労して欲しくないからこちらについたとは、今回は俺達に力を貸すと言っても、彼女は根本的には安室さんのために行動する人なのだろう。

(……口ではどれだけ否定してても、やっぱりこの人、安室さんのこと)

「でも考えたわねー。まさかあの大女優、藤峰有希子に変装なんて特技があったなんて」
「結構最近は母さんにも活躍してもらってるよ。本当は自分でしたことの後始末に、親を駆り出すなんて論外だけどな……」
「あら、使えるものは使えるとしたら使える時に使えるだけ使っておくのよ。それもあんなに強力なサポーターがいるなら、猶更動いてもらわなきゃ損じゃない」

さくらさんは実感の籠った声でそう言った。この人こそ周りに規格外の技術者ばっかり居すぎて、敵に回したら一日ももたずに制圧されそうである。
俺はさくらさんの手元の電波妨害装置に目をやった。軍隊などで使われる、本格的なものではない。卓上にポンと置けるような、可愛いサイズのものだった。性能は全く可愛くないが。

「こんな装置、どこで買ったんだ?」
「アメリカなら100ドルくらいで売ってるわよ?ハーバードでは教授が講義中に、学生のスマホの使用を断念させるために置くんだって」
「へ、へー……」

さすが科学先進国アメリカ。ともあれ、これで外部からの連絡は一切遮断できることになった。もしも外部からの連絡を独自ルートで取ろうとしたら、通信をジャックするくらい朝飯前だと彼女は言った。

2階の自室には、先ほどセットし直したモニターやマイクが物々しく並んでいる。彼女は俺の背後に椅子を引っ張ってきて腰を下ろし、ノートパソコンを広げた。

「コナン君、安室さんあと30分後に来るわよ。お仲間を大勢引き連れてね」
「はあ?何でンなこと解るんだよ、あの人に発信機でも付けてんのか?」

焦って乱暴な口調になったが、あの男にそんな隙があるとも思えない。しかし彼女は怒るでもなく飄々と笑った。

「まあそんなものかな。あの人はきっと、私が彼の足跡を追っているとも思っていないし、その情報をあなたたちに流しているとも思っていないでしょうね」
「……さくらさんって、マジで安室さんとどういう関係なんだよ……」
「逆にどういう関係だと思ってるのよ」

珍しくさくらさんは、質問に質問を被せるような物言いをした。安室さんの正体には最早確信が持てているから、彼女の証言を得るとしたら今かも知れない。

「恋人同士、とか」
「真面目に言ってるの?それ」
「じゃあ公安警察の捜査官と、その協力者とか?」

まさか彼女も公安警察の一員ということはないだろう。しかしこれだけの頭脳と技術をもった人を、公安警察が見逃すとも思えなかった。
そこで出した結論が、彼女は公安警察に有力な情報を提供する協力者である、というものだ。
彼女はじっとこちらの顔を覗き込んだあと、ふっと唇を緩めた。

「そこまで推測してるなら、安心したわ。あなたたちに安室さんを傷付ける意図はなさそうね」

それだけ言って、彼女はまた自分の作業に戻った。結局俺の推理が正しいとも間違いだとも言ってはくれない彼女のことを、俺は改めて手強い相手だと認識する。



そして待つこと30分。彼女の予言通り、安室さんはやって来た。大勢のお仲間を連れて。
昴さんに変装した父さんから、しっかりやれよと声が掛けられる。俺が思わず背筋を伸ばすと、背後からポンと宥めるように背中を叩かれた。
パソコン画面から目を離さずに、それでも俺を勇気づけてくれようとするさくらさんに、俺も引き攣りそうになる頬を無理矢理笑みの形に引き上げた。

―――ここが正念場だ。

俺が腹を括りなおしたその時、安室さんが階下のリビングに入ってきた。

*****

「ミステリーはお好きですか?」

そんな切り口から始まった階下の化かし合いは、仕掛けておいた盗聴器と彼の左腕のスマートウォッチから生中継されていた。ズバズバと真相を暴いていく降谷さんとモニター越しに1対1でやり合う少年は、焦っていないような口調をしつつ酷く消耗しているように見えた。

(降谷さんと口論って、記憶にある限りではしたことないけど。もしそんなことになったらこんな風にじわじわと外堀を埋められて行って、言い逃れ出来ない状況にさせられるんだろうな)

そう言えば、最初に会った時は私がサイバーテロの首謀者もしくは関係者だと疑われていたのだ。あの時も彼は、こんな風に冷静に事実を淡々と突き付けて、最後に高圧的に迫ってきたのだった。

もう全て認めて、“正解です!でもそれを認めちゃうと俺らもあんたらも得をしないから、見なかった振りをしてもらえない?”とでもぶっちゃけられたら楽になるのだろう。けれどそれをしてしまえば、これまで苦労して重ねてきた嘘が全て無駄になってしまう。

一つの嘘を守るために、いくつもの嘘を塗り重ねて行かなければならない。それはとても不幸なことのように思えた。

好き勝手に彼の心境を想像しながら、私も手を止めることなくギルバートに指示を出していく。警察庁での降谷さんのお仲間の会話を聞いていた彼は、公安警察は沖矢昴にプレッシャーを掛けるため、彼らの仲間のFBI捜査官を人質に取ろうとするだろうと言った。そのため、私はFBIの車を追跡し、彼らの安全を確認しておくつもりである。

リビングの緊張感は最高潮に達していた。

「そこから先は簡単でした。来葉峠の一件後、その少年の周りに突然現れた不審人物を捜すだけ。そしてここへ辿り着いたというわけです」
「…………」
「あの少年とこの家の家主の工藤優作がどういう関係かはまだ解っていませんが、あなたがあの少年のお陰でここに住まわせてもらっているのは確かのようだ」

降谷さんは、沖矢昴の身元詐称に手を貸したのがコナン君であるという情報も掴んでいる。コナン君が降谷さんの正体に気付いたのも大概凄いと思うけれど、コナン君の暗躍に気付く降谷さんも凄いと言うしかない。私だって入院中、沖矢昴から直々に知らされなければ、彼らとコナン君の密接な結びつきに気付くことはなかっただろう。

「現在、私の連れがあなたのお仲間を拘束すべく追跡中……。流石のあなたも、お仲間の生死がかかれば素直になってくれるかと思いまして」

そう言って降谷さんは自分のスマホをテーブルに置いた。そのスマホが外部からの電波を遮断されているとも知らず。私は自分のパソコンから、FBIの車と公安警察の車が来葉峠付近で接触したことを確認する。

「でも、できれば連絡が来る前にそのマスクを取ってくれませんかねぇ。沖矢昴さん……、いや」

彼はここでタメを作った。続く言葉は解りきってはいるものの、いざ待つのみとなったら喉元に切っ先を突き付けられているように感じる。

「FBI捜査官―――赤井秀一!」

見事に正体を当てられた瞬間、コナン君の右手が震えた。誤ってエンターキーを押しそうになったその手を、私は咄嗟に掴み上げる。
動揺するのは解るけれど、これは一発勝負。大丈夫、あなたには私もあなたのお父さんも付いてるじゃない、とアイコンタクトで伝えると、コナン君は弱々しい微笑みを浮かべてまた前を向いた。

私も手元に目を戻し、赤井秀一がFBI捜査官の車に乗り込んだのを見て取ると、彼に渡したスマホが私のパソコンと繋がるようネットワークを構築した。これで互いの状況把握が一瞬で可能になる。
そして公安警察の部下を装った番号が、降谷さんのスマホを揺らした。発信源は彼の部下のスマホをジャックしたギルバートである。

「どうした?随分遅かったな……。何!?赤井が来葉峠に!?拳銃を発砲しただと!?」

彼の部下のスマホとの通信を勝手に遮断させてもらったため、降谷さんへの情報はいくらでも意図的に歪めることが出来る。けれど今ギルバートが彼にもたらした情報は本物だ。
パソコンの表面に、みるみるうちに距離が離れていく一台の車と、それを追跡していた多数の車の影が映っている。どうやら彼と事前に打ち合わせていた地理と戦術論は、公安警察の車を無力化するための補助にはなったらしい。
そこで私は電波妨害装置を一斉にシャットダウンした。最早情報操作の必要はない。公安に今、赤井秀一を捕えるだけの人員も機動力もないのだから、あとは直接赤井秀一と降谷さんで決着をつけてもらおう。

降谷さんは突然部下との通信にノイズが入ったことに不審げな声を上げたが、やがてそこから聞こえてきた声に唇を噛んだ。

「久しぶりだな、バーボン。いや、今は安室透君だったかな?」
「っ赤井……、秀一……」
「君の連れの車をオシャカにしたお詫びに、ささやかな手土産を授けた。楠田陸道が自殺に使用した拳銃だ。入手ルートを探れば何かわかるかも知れん」

ここは日本―――そういうことは我々より君の方が畑だろ?そう問う赤井秀一に、降谷さんは激昂した。

「まさかお前、俺の正体を!?」

その乱暴な言葉遣いに面食らったのは、私だけではなかったようだ。コナン君もモニターを凝視し、身を竦ませている。
赤井秀一は淡々と、ゼロというニックネームから彼の本名を当ててみせた。警察庁のデータにゼロのメンバーの情報が登録されていることはあり得ないが、一体彼はどの筋からその情報を手に入れたのだろう。ギルバートのことといい、油断のならない男である。

「恐らく俺の身柄を奴らに引き渡し、大手柄をあげて組織の中心近くに食い込む算段だったようだが、これだけは言っておく」

赤井秀一は真剣な声音で、降谷さんに忠告した。

「目先のことに囚われて、狩るべき相手を見誤らないでもらいたい。君は、敵に回したくない男の一人なんでね」

その言葉は、降谷さんだけでなく私の胸にも重く響いた。やはり降谷さんと赤井秀一は、目指すところは同じなのだ。それでも過去にあったという事件のせいで、消せない確執を今でも引き摺ってしまっている。

言うだけ言って、FBIの車は現場から離れて行った。私も赤井秀一のスマホとの連携を切り、パソコンを落とす。
沖矢昴が赤井秀一の変装した姿であると証明できなかった降谷さんは、部下に撤収の指示を伝え、工藤邸をあとにした。どうやらコナン君や私の存在には気付かれていないらしい。

コナン君はモニターの前に頭を投げ出し、肩の力を抜いた。

「お疲れ様、コナン君。降谷さん相手によく頑張ったじゃない」
「さくらさんもな……。何やってるかよく解んなかったけどよ……」
「子供が知るには早いことよ。それじゃ、電波妨害装置を回収したら私も帰るわね」
「え?もう?赤井さんに会わないの?」

本気で不思議そうな顔をするコナン君に、私は手を止めずに返事をした。

「本当は、個人的に気になることはあるんだけど……。今日はいいわ、疲れちゃったし」

彼がこちらと連携を取って正確に目標を貫けるスナイパーだということが解っただけでも、とりあえずはよしとしよう。データを集めることは研究者の基本である。

無事に全ての電波妨害装置を集め終えて、私も工藤邸を辞した。コナン君の親戚で、蘭ちゃんの幼馴染である工藤新一の父親である工藤優作さんには、ちゃっかりサインをもらっておいた。もう二度と会うこともないだろうし、いい記念になると思ったのだ。

こうして、帰国してから厄介な事件に振り回され続けた日々が終わりを迎えた。コナン君とかいう事件吸引機には、本当にもうちょっと自重してもらいたい。

……まあ、終わりを迎えるどころかこれから人生最大のピンチを迎えることになるとは、さすがに思っていなかったけれど。


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