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ベルツリー急行での一件以来、ずっと心に引っ掛かっていることがあった。

「なあギルバート」
「はい、どうしました?降谷さん」
「ある男が、死んだと見せかけて実は生きているとする。死体を偽造する時、真っ先に何に気を付けると思う?」

普段は立て板に水の如くすらすらと返ってくるはずの答えが、この時は一瞬口ごもった。

「歯の治療痕、手や足の指紋など、証拠となる部分をいかに残すか、でしょうね」

期待通りの回答に、僕はほくそ笑んだ。

あの時、シェリーを生きたまま組織に連れ戻すつもりだった僕は、シェリーを隔離した貨物車に爆弾が仕掛けられていると知って彼女をそこから移そうとした。しかし、突然現れた謎の男の横やりでそれは阻止され、あの貨物車ごとシェリーは吹き飛んだ。

邪魔をしてきた男は煙の向こうに立っていたため、顔をしっかりと見ることは叶わなかったが、赤井秀一―――殺したいほど憎いあの男とよく似た面差しをしていた。

そこで僕は、赤井秀一は死んだとキールやジンから報告が上がっているが、その内容に改めて疑念を抱いたのだ。赤井の殺害に関わったのはキールで、頭を撃ち抜いたあと車に火をつけたのだと言う。遺体の損傷は激しくて、身元を特定できるものがポケットに入っていた右手の指紋のみだった。そしてそれが、奴が死ぬ直前に使用していた携帯電話に付着した指紋と一致したことから、赤井秀一は死んだと断定されたのである。

そうと断定したのは日本警察で、それを断定させたのはFBIだ。本来ならば疑う余地はないように思える。

しかし妙な話である。赤井秀一ほどの男が、キールに頭を撃たれる瞬間ポケットに手を突っ込んだまま、無抵抗でいるなんて考えられない。また、あの男は左利きだったのだ。左利きの男が右手で携帯電話を操作していたとも考えにくい。であれば、考えられるのは一つ。

あの死体を赤井秀一であると思い込ませるために、わざと右手の指紋が付いたものを証拠に残し、死体の右手をズボンのポケットに入れておいたのだ。
こう考えれば、赤井秀一が未だに生きているという僕の仮説も成立する。

「降谷さんは、死体を偽造するような仕事もされているんですか?」
「場合によっては、そういう工作をすることもあるな。今回に限っては、僕が偽装工作をした訳じゃないが」

ベルモットとの会話を聴かれて以来、僕はギルバートに対しては組織での活動のことを隠さないようになった。それが彼の希望であったし、ベルモットの弱みを握るために色々と協力もしてもらったから、彼と通信できるこのスマートウォッチをくれた彼女には本当に感謝している。組織絡みの任務で動くときはこの端末を持って行くことはしないが、自宅に戻ってからはフル稼働である。

「今あなたがおっしゃった死体の偽造の件は、先日楠田陸道という男の消息を探っていたことと関連があるのですか?」
「ああ……、楠田陸道の死体の状況を詳しく知れば知るほど、僕の仮説が真実になっていくように思えるんだ。先日の杯戸中央病院でも、警視庁の高木という男から有力な情報は得られたしな」

楠田陸道―――キールが警察によって杯戸中央病院に担ぎ込まれ、その行方を捜査するために潜入させた組織の構成員の一人である。キールを奪還したあとの楠田の行方は杳として知れず、死体さえも確認できていない。

「つまり、あなたはその楠田陸道という男の死体と、FBIの赤井秀一という男の死体が入れ替わっているのではないかと疑っている訳ですね」
「ああ。今までの論旨に破綻はあったか?」
「いいえ、破綻はありません。それを証明するエビデンスもありませんが」

ギルバートからのお墨付きをもらったその時、依頼人の小学校教師をしている女性から連絡がきた。澁谷夏子というその女性は、赤井と同じFBI捜査官のジョディ・スターリングと親しくしているということから、僕の求める情報の最後のピースを埋めてくれると期待している人物である。

「そのエビデンスなら、これからすぐに見つかるさ」

僕は愛車のキーを取り、外出の準備を整えた。

「それが揃ったら、あの男がどこに潜入しているのか、本格的に探りを入れていかないとな」

今日はベルモットと一緒に、依頼人の帰り道に張り込む予定である。ギルバートには留守番をしてもらうことにして、僕は自分のマンションをあとにした。

「…………」

ギルバートが何かを思案するように沈黙を貫いていたことに、僕は気付いていなかった。

*****

安室透=バーボンである、という事実に疑問を持ち始めたのは、杯戸中央病院での主婦たちのお茶会殺人事件の時からである。あの時、子供の掛け声に反応した安室さんは、俺に“子供の頃のあだ名はゼロだった”と告げた。
あの洞察力や推理力、ベルツリー急行で灰原を殺そうとしなかったことなど、考えてみれば色々と気になるところは出てくる。勿論確証をもって言えることは何一つないが、もしかしたら彼は敵ではないのかも知れない、と俺は思い始めていた。

この考えが正しいとすれば、俺や昴さんがどれだけ警告しようとも、さくらさんが安室さんを信頼している様子であることにも納得がいく。彼女は何度も安室さんとの仲を否定していたが、隠し切れない心の繋がりを感じ取ることが出来た。

恐らく彼女は、安室さんの正体を知っている。

かと言って、直接訊きに行こうものならはぐらかされて終わるだろう。昴さんから聞いた話によると、さくらさんは博士や灰原の前では一度も安室さんの名前を出したことがないほど慎重な人だ。決定的な証拠を見つけてから反応を探るくらいしか、彼女から安室さんに関する情報は引き出せそうにない。

だから俺は自分達だけで彼の正体を突き止め、彼が敵ではないと確証を得たのなら、安室さんにこちらの事情を明かして最悪の事態を避けようと考えていた。そしてジョディ先生の友人の澁谷夏子さんが何者かに突き落とされた事件を捜査している時、彼の正体に対する疑念は確信に変わりつつあった。

ジョディ先生やキャメル捜査官がFBIであると知った安室さんは、普段の人好きのする顔をかなぐり捨て、喧嘩腰にこう言い放ったのだ。

「観光を満喫したのなら、とっとと出て行ってくれませんかねぇ。僕の日本から」

その言葉を聴いて、俺は彼が日本の安全と秩序を守るために存在する公安警察の一員であると判断した。彼が子供の頃のあだ名だと言った“ゼロ”とは、公安警察が“存在しない組織であれ”という意味で彼らに付けられた俗称のことだろうと思ったのだ。
しかし、確証を得るために彼に探りを入れた時、彼は俺に対してこう言った。

「君は少々、僕のことを誤解しているようだ」

もしも俺の推測が誤っていて、彼が俺らの敵だというのなら。
楠田陸道の消息について嗅ぎまわっているこの男が、もしも赤井秀一の死に疑問を抱いているのなら。

―――練りに練ったあの計画が、組織の奴らにバレてしまう。

そして、恐れていたことが現実となった。
ジョディ先生がキャメル捜査官と別行動を取ったとき、キャメル捜査官がバーボンとベルモットの罠にかかり、うっかり話してしまったのだ。楠田陸道が車の中で、拳銃自殺をしたということを。
奴らの狙いは初めから、澁谷夏子さんが親しくしているFBI捜査官のジョディ先生、そして一緒に付いて来る口を割りそうな捜査官にあったのだ。

遂に、赤井秀一の死を覆すだけの情報が奴らの手に揃ってしまった。組織の中でも赤井さんとライバル関係にあったというバーボンは、このあと赤井さんが沖矢昴に変装して生きているという事実に遅からず辿り着くだろう。

そうなったら―――赤井さんの身が危ない。

そうと悟った俺は、最早なりふりなど構っていられず駆け出した。行き先は勿論赤井さんが隠れ住む俺の家、そして隣の博士の家である。


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