戦慄の





いつも通りのアラーム音に、僕は閉じていた瞼を開けた。無機質な音を奏でているスマホに触れ、アラームを止める。それと同時に画面が切り替わり、スピーカーがオンになった。

「零さん、おはようございます」
「ああ、さくら。おはよう」

僕は目が醒めて真っ先に、スマホに向かって朝の挨拶をした。画面に映し出されているのは愛しい恋人の姿だった。向こうは深夜だと言うのに、やけに楽しそうに笑っている。

「どうした?何かいいことでもあったのか?」
「ふふ。零さん、鏡を見てみて」
「鏡?……あ」

言われるままに鏡を覗き込むと、頭のてっぺんからぴょこん、とひと房の髪の毛があらぬ方向に飛び出しているのが見つかった。出勤前に教えてもらってよかった、とスマホを持って洗面台に向かう。

「零さんのそんな気の抜けた顔、久しぶりに見た気がするわ」
「そうか?」
「ええ。ここ最近はずっと、張り詰めたような顔をしていたでしょう」
「まあな。半年掛けて追い詰めた犯人を、ようやく検挙できたんだ。多少気が緩むのも仕方ないだろう」
「私は嬉しいわよ?あなたのそんな表情を見られるのは、この世で私だけだもの」

彼女の言葉に滲んだ心地よい独占欲に、僕は頬を緩めながらスマホの画面をつついた。

「きゃ、……びっくりした。急に大きな音を立てないで」
「ああ、驚かせたか?悪かったな」
「本気で悪いと思っていないでしょう、その顔」
「バレたか。さて、これで寝癖もなおったと思うんだが、後ろから確認してもらってもいいか?」

僕はスマホを持ち上げて、後頭部がインカメで見えるようにしてやった。鏡に映ったさくらは僕の後頭部を真剣に見つめ、やがてにっこりと微笑んだ。

「もうばっちりよ。いつものイケメンさんに戻ったわ」

彼女のお墨付きをもらった僕は、満足げに頷いてスマホを元の位置に戻した。彼女は大人しく画面の中でこちらを見つめていて、目が合うと照れたように視線を逸らした。

「今日はポアロに行く日だったわね」
「ああ」
「その後はどうするの?」
「今日は本庁に寄る用事も無いから、そのまま帰ってくるつもりだ」
「それじゃあ、その前に少し立ち寄って欲しい所があるの」

さくらはそう言って目を輝かせた。彼女がこんな風に、素直に希望を言うのは珍しい。

「立ち寄って欲しい所?」
「ええ。もうイルミネーションが綺麗な時期でしょう?」
「ああ、クリスマスが近いからな」

僕は歯磨きを終えて顔を洗うと、スマホをポケットに突っ込んでキッチンへと向かった。その間も彼女のはしゃいだ声がスピーカーから聞こえ、僕はなるべく物音を立てないように気を付けながらケトルに水を注いだ。コンロに火をかけ、急須にお茶の葉を入れる。

「銀座4丁目のイルミネーションがとっても綺麗なんですって。折角だから、ポアロでのバイトが終わったら見に行ってみたらどうかと思って」
「僕1人でか?随分寂しいことをさせるんだな」
「あら、私には見せてくれないの?」

彼女は残念そうな声音を作って言った。だが、これは演技である。僕もそれを十分理解していて、口端を吊り上げながらポケットからスマホを取り出した。

「冗談だよ。解った、カメラを通してお前にも見せてやる。だから、またバイトが終わったら呼んでもいいか?」
「うふふ、ありがとう。そう言ってくれると思っていたわ。楽しみに待ってるわね!」
「ああ。それじゃ、また」
「ええ、また後で」

元気に返事をして、彼女は通話を切った。僕は無機質な電子音を奏でるスマホを再びポケットにしまい、甲高い音を立てるケトルの元へ向かった。

いつも通りの朝に、いつも通りの恋人との会話。
けれど今日は、仕事終わりに恋人との画面越しのデートが待っている。
直接会えない寂しさはあるが、贅沢も言っていられない。時差を気にせず会話が出来ることを喜ばなければ、と僕は自分に言い聞かせ、急須に少し冷ましたお湯を注いだ。



ポアロでの勤務は順調に終わりを迎えようとしていた。しかし、あと1時間で閉店、というタイミングでドアが開き、見慣れた人影が入ってくる。

「あれ、コナン君。今日は1人かい?」
「安室さん、こんばんは。後から蘭姉ちゃんも来るよ」
「そうなんだ。テーブル席、空いてるよ」
「ありがとう。それじゃ、座って待たせてもらうね」

コナン君は僕が案内した席へと腰を下ろし、メニューを開いた。僕はそこにお冷を2つ持って行き、彼の前と向かい側の席に置いた。

「毛利先生は一緒じゃないのかい?」
「小五郎のおじさんは今日、英理おばさんと食事に行ってるよ」
「へえ。珍しいね、毛利先生から誘ったの?」
「ううん、セッティングしたのは蘭姉ちゃんだよ。その後で僕達も合流して、イルミネーションを見に行こうって話してて」

イルミネーション、と聴いて今朝の会話を思い出した。僕はトレーを小脇に抱え、ひょっとして、と問いかけた。

「銀座4丁目でやっているイルミネーションかな?」
「あれ、安室さんも知ってるの?」
「ああ。僕も今日、見に行こうと思っていたんだ」
「へ?……1人で?」

真顔でそんな訊き方をするものだから、僕は苦笑を返すことしか出来なかった。

「いや、さくらと一緒だよ。と言っても彼女は日本に居ないから、スマホで中継しながら、という形になるけどね」
「…………。安室さん」

コナン君は何かを言い掛けて、けれど思い止まったようにそっか、と小さく呟いた。

「さくらさん、喜んでくれるといいね」
「そうだね。彼女は可愛いものや綺麗な物が好きだったから、きっとイルミネーションも喜んでくれると思うよ」
「うん……、きっとそうだよ。さくらさんに、よろしく言っといてね」
「解った。また時間が合えば、コナン君もさくらと話してやってくれ」

自他ともに認めるほど独占欲が強い僕が見せた最大限の譲歩に、コナン君は曖昧に笑っただけで答えなかった。
やがて蘭さんが到着し、2人のオーダーを聴いて僕はカウンターの向こうに下がった。洗い物を終えた梓さんは、僕がコンロの前に立とうとするのを制して言った。

「安室さん、今日はもう上がってもらって大丈夫ですよ」
「え?」
「ほら、安室さんもお疲れだと思いますし、……この後、さくらとデートなんでしょ?」

どうやらコナン君との会話を盗み聴きされていたらしい。僕は笑って平気ですよ、と手を振ったのだが、何故か梓さんは頑として譲らなかった。

「いえ、きっとお疲れなんです。だから安室さんは、今日はもう上がってください」

そこまで言われてしまえば、あまり強くも出られない。好意で言ってくれているのは事実だろうし、早く上がってイルミネーションを見に行きたいのは事実だった。

「ありがとうございます。それじゃ、少し早いですが上がらせてもらいますね」
「はい。この後はお任せください」

梓さんの頼もしい言葉に安堵して、僕は感謝の言葉を告げるとポアロを後にした。
冷たい空気の中を独りで歩いていると、不意に胸ポケットに入れておいたスマホが振動した。着信の相手はきっと彼女だろう、と思って僕は笑顔でスマホを取り出した。
予想通り、着信の相手はさくらだった。僕は唇を緩めて通話アイコンをタップし、そこに表示された愛しい面影を見てまた笑みを深くした。

「ハイ、さくら」
「ハイ、零さん。少し早かったかしら?」
「いや、大丈夫だ。梓さんが気を利かせてくれて、早上がりさせてもらえたからな」
「そうなのね。今度梓に、私からもお礼を言っていたって伝えてくれる?」

ああ解った、と軽く頷いて、僕は銀座へと向かう足を速めた。そんな会話を交わす僕達を、近くを通った女子高生たちが不思議そうな顔をしながら見つめていた。

いつも通りの冬の日に、いつも通りの恋人との会話。
画面を挟んでの彼女とのデートも、いつも通りの光景だった。

最後に彼女と画面越しでなく対峙したのは一体いつのことだったか、僕はもう思い出すことが出来なかった。


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