沖田が仕事から逃げるように屯所を出て向かったのは、大江戸公園と言う公園だった。
特に何かしようと目的があったわけじゃない。ただ、公園で適当にぶらついていれば、形的には警備をしてるのだと思われると思ったからだ。
この方法は実際に使える。何度もこれで税金泥棒してきたのだから。
それに、サボりの間はあの小うるさい土方の野郎もいない。一時的でもあの説教から開放された気分になれる。死んでくれれば一番手っ取り早いのだが。
大江戸公園に着くと、国民は休日のせいか活気にあふれていた。
子供たちは駆け回り、犬の散歩をする主婦たちが井戸端会議をする。住民たちの仲睦まじさや平和を感じる光景だった。
土方が死ねば俺もスキップしながら江戸を我が物顔で闊歩できるのに、なんて考えながら、だるそうに公園のベンチに腰を下ろす。木漏れ日が差し込む、格好の昼寝場所である。
背もたれに体を預けると、心地よい春風が吹いた。冬を忘れさせ、春とともに眠気を運んできているかのようだ。
うとうととしながらポケットから愛用しているアイマスクを取り出し、いざ昼寝をしようと思ったときだった。
「おい、兄ちゃん」
少々幼い声が聞こえる。
無反応で寝たふりをしてやりすごそうとすると、脛に激痛が走った。
「うごえっ」と間抜けな声を出して飛び上がり、反射的に患部に手を宛がえた。腫れたりはしていないものの、ズキズキと断続的に痛みが走る。くそ、どこの糞餓鬼だ。昼寝妨害罪でしょっぴいてやろうか。
痛みで歪む顔を何とか元に戻し、怪訝にアイマスクを上げた。
しかし、子供の姿はない。あるのは、白くて細長い脚。
それを辿っていくと、泥だらけのTシャツとショートパンツを着た小汚い女が、明らかに文句があると沖田を睨み付けていた。
「そこ、あたしの場所だ」
「公園のベンチは公共物なんで。警察のもんって決まってんでサァ」
「おい、何だその決まりは。誰が決めたんだ。……これだからケーサツっつー生き物は嫌いなんだよ。正義だ法だ言いやがって。ただの横暴な糞野郎じゃねぇか。あ?」
ヤンキーのように挑発してくるこの女は、間違いなく沖田の脛を蹴った女。流石に女に仕返しをしようと思うほど鬼畜ではない。いや、してもいいのだったらどこまででもしてやるのだが。
痛がっている姿を見せたくなくて、無理に座り直して体制を整える。
除けろと言われたら、除けたくなくなるのが人間の性だ。それが特に強い沖田は、アイマスクを装着し直し、昼寝の体制に戻った。
「とりあえず、早いもん勝ちなんで。負け犬はとっとと消えてくんな」
「あんだと? ケーサツはあたしから家を奪うっつーのかよ」
「家?」
「真選組のお兄ちゃん」
今度は誰だ、と沖田が再びアイマスクを上げる。
そこにいたのは、今度こそ子供。ゴム鞠を持ったツインテールの女の子だった。
「そこね、名前お姉ちゃんのお家なんだよ。除けてあげなきゃ」
「家? このベンチがか?」
「うん」
頷いた後、女の子が手を振って友達の元へ戻っていく。
その背中を見送った後、名前と呼ばれた女が言った。
「ホームレスだよ、ホームレス。悪いか」
「このベンチを家と呼んでる時点でホームレスじゃねぇでしょ。家があるんですから」
「屁理屈マシーンか、お前。家がねぇからそこに住んでんだよ。雨凌げるから」
「へぇ。じゃ、おやすみなせェ」
「待てこの野郎」
豪快に理アイマスクを首までずり下げられ、顔を捕まれた。
さっきより近くで見た小汚い女を、一瞬でも意外と綺麗な顔だと思った自分を殺したくなった。
「別の場所行けよ。ここ、あたしの家なんだよ」
「わかりやした。ちょっくら夢の世界に行ってくらァ」
「そっちには行かせねぇよ。っつか、お前仕事しなくていいのかよ。警備だろ?」
「夢の世界を警備するドリーマーなんで」
「あの世の警備もしてみねぇか?」
「それは土方の野郎に頼んで欲しいんですがね」
「土方? ……あぁ、あのイケメンスモーカーか。部下なの?」
女が沖田の顔から手を離し、思い出すように顎を摩る。
まさか、土方の野郎と知り合いなのか? 女の知り合いなんて勝手に作りやがって。
「野郎の役職を知らないんで?」
「知ってるよ。真選組副長だろ? ……あ、そっか。必然的に部下になるのか」
なるほどなるほど、と勝手に頷きながら納得する。
「ま、いずれは俺が副長になるんですがね。……もういいですかい? じゃ、俺は寝るんで」
「何で寝るんだ。土方の部下なら、あたしの話に付き合えよ」
女が偉そうにドカッと隣に腰を下ろす。
どんな理不尽な理由で話に付き合わなきゃいけないんだ、と沖田が面倒くさいと露骨に嫌そうな顔をする。その顔を見た女も、露骨に不満そうな顔をした。
「んだテメェ、その顔は。なんか文句あんのかよ」
「表情の通りですぜ」
「いちいちムカつく野郎だな……あ。あたしは名前だ。お前は?」
「忘れやした」
「ぶっ殺すぞ。警察手帳出せ」
手を差し出される。
だが、この汚い女に警察手帳を貸したくない。
「……沖田だ。テメェに教える名前はねぇ」
「沖田テメェに教える名前はねぇさん、よろしくね」
「わざとだろ。絶対わざとだろ」
沖田の嫌そうな表情が一気に不満な顔に変わる。その豹変振りに名前がけらけらと笑った。
あーおかし、と滲む涙を指で拭う。
「まぁ、名前はいいや。あたしも苗字ねぇし」
「……あ? どういうことで?」
「攘夷戦争の時に捨てたんだ、苗字」
「……?」
沖田が無言で説明を求めると、名前が解説を始める。
ただ、沖田に求められたというよりは、独り言に近い口調だった。
「攘夷戦争ではいろんなもん失ったからよ。仲間も、家族も。だから、一人醜く生き残ったあたしもなんか捨てなきゃいけねぇと思ったわけ。それに、一人生き残って全て背負い込むなんてあたしにはできねぇから、捨てたんだ。苗字」
「……へー」
抑揚ない沖田の返事は、名前の神経を逆撫でるものの、それを咎め様とはしない。
ぼんやりと空を眺めた沖田は、気づけば眠気が吹っ飛んでいた。目を伏せてもアイマスクを装着してもこりゃしばらくは寝られないな。
何も喋らなくなった名無しも、過去を思い出すように空を仰ぐ。雲がふわふわと浮かぶそれは、今の平和を象徴しているかのようだ。
「あの糞野郎……土方とはどういう関係なんで?」
ふと気になったことを聞く。
名前は、少し渋った後言う。
「あたし、仮出所中でね」
「……はい?」
「あたし、仮出所中でね」
同じことを言う名前に目を据わらせる。
誇って言えることでもないのに、ハッキリと言い切るこの名前に少々感嘆した。
「何やらかしたんだ?」
「いや? 高杉さんのファンでね、あたし。街中で初めて見たもんでさー……まぁ、無視されてたんだけど、感激してきゃいきゃいと話しかけてたら、気づいたら豚箱よ。んときにあたしをしょっぴきやがったのが、土方の糞野郎さ。あの煙草の煙ったさと目つきの悪さは今でも忘れねぇ」
思い出して腹が立ったのか、眉間に寄せる名前。
今にも回りに八つ当たりしそうな名前を前にするが、沖田は涼しい顔で言う。
「まぁ、土方の野郎だからな」
「だよなぁ! あの野郎、ニコ中で死んじまえばいいのにな!」
ぎゃははは! と沖田の肩を叩きながら笑う。その姿が近藤のようだ。
しかし、死ねだのニコチン中毒だの土方を馬鹿にしても、その裏に愛情を感じる。恋愛とか家族愛ではないが、もっと別な愛情。それが何かはわからない。土方と名前の間に何があったかなんてわからないが、仲はいいのかもしれない。
──まるで自分の姿を見ているようだった。
土方のことが嫌いではないのに、どこか素直になれずに憎まれ口を叩いたりちょっかいをかけてしまう自分に。
しかし、沖田はそれを認めたくなかった。
なんだか見ているのが嫌になり、名前の手を振り払って立ち上がる。昼寝ができないなら、ここにいても意味はない。
スタスタと出口を目指して歩いた。
「俺ァ勤務に戻るんで。安心しな、もう二度とここにはこねぇ」
「んじゃ、どこならいんだよ、沖田クン」
まさか、そんなことを言われるとは。
少し感じる心の中の嬉しさとウザいという気持ちが激しく葛藤する。胸糞悪い。
それを表面に出して振り返ると、名前はにやりとこちらを見て笑っていた。──気に食わない野郎がまた増えた。今度は女ときたか。
「どこならいんだーっての」
「俺ァ屯所にいんで。近づいたら、またしょっぴかれやすよ」
「近々遊びに行ってやるよ。土方の悪口肴にして呑みまわそうや、鬼嫁でも。あたしのお気に入りの酒さ」
「…………」
口を尖らせて睨んだ後、前を向き直って逃げるように早足で公園を出た。
最後まで「ばいばぁい」と言っていたあの女は、何を考えているんだ。俺が何も知らないこといいことに、逃げればいいものを。変な奴だ。
汚いだの男口調だの、頭に浮かぶのはあの女の悪口ばかりだったが、不思議とまた会える事だけは嬉しかった。理由は深く追求しないことにした。
銀雅ちゃんから頂きましたァァァァァ!
かっけー…、ヒロインちゃんかっけー
沖田さんがかっこいいですね、ハイ。
お誕生日にこんな嬉しいプレゼントがァア!←
ありがとうございました!