大嵐は突然に
「クロウの専門だから」という理由らしい。
ポッポタイムの扉を開けたクロウに、見ているだけでも暑い黒コートの男がいきなり抱きついた。当然クロウは叫び、騒ぎを目撃してしまった遊星とジャックは高速で目を逸らし、黒コートの男は地に倒れ伏していた。
「いきなりご挨拶だなぁ」
「恥を知れ」
黒コートの男すなわち鬼柳京介は頭を痛そうにさすりながら頬を膨らませてぶーっと拗ねてみせた。あれこんな奴だっけと三人は首を捻りつつも(特に遊星は鬱状態であった鬼柳を知っているので余計に)、まぁわざわざこんなところまで足を運んできたのはよっぽどの訳があるのだろうと腹をくくった。例えば……そう、例えば、サティスファクションタウン改名の危機、とか。
クロウは頭が重くなるのを感じた。
どう考えてもそういうレベルの能天気さで鬼柳は「実はさぁ」と切り出す。
「……年頃の女の子って、何を貰ったら喜ぶと思う?」
ニコにプレゼントしてやりてぇんだけど。
遊星だけがガタンと椅子から立ち上がるオーバーリアクションを見せた。
だが、それだけだった。
「で、なんで俺なんだよ」
「だって、遊星がちゃぁーんと言ったじゃねぇか」
そういうのは、クロウが専門だ。
あの後すぐに椅子に深く座りなおした遊星は、そういってクロウを横目で見やった。「あー同感だ」とキングとは思えないほどのエンターティメント性のない棒読みでジャックも同意した。「裏切り者ぉおお!」クロウが2度目の叫びを上げた。鬼柳が「それ俺の台詞…!」とときめいた。そういって一連の流れを経て、まぁよくわからない間に遊星とジャックによってポッポタイムから追い出された二人はこうやって道を歩いている。ぶらぶらとあてもなく歩いているように見えて、目的地はちゃんと決まっていた。
「女の子ってのは、大抵甘いモンが好きなんだよ。それか、まぁ花とか、髪留めとか。あぁ、入浴剤とかもいいかもな」
「さすが専門家詳しいな。なんでモテねぇのかな」
「殴るぞ」
「ま、モテても困るけど」
銀色の髪を揺らしながら鬼柳はゆうるりと笑った。とても似合っていた。クロウは思わず目をそらす。
「あ、照れた?」
「お前の髪がぎらぎらして眩しい」
「それ褒めてんの」
そんな他愛の無い会話をしながら目的地となる店に入る。う、と鬼柳がたじろいだ。なにしろ周りは女性客で一杯、なおかつこっちはマーカー付きの男二人である。じろじろと見る視線に鬼柳はこそっとクロウに耳打ちした。
「ま、まじでココで買うのか」
「別にお前が嫌ならいいけど?」
あくまでも強気な態度のクロウにはぁやっぱり肝強ぇよなぁコイツ、と鬼柳は感心する。じゃあ俺も腹くくるか、と鬼柳は前を見据えて(視界の端のマシュマロンのぬいぐるみに少しだけ目を奪われながら)「じゃあ、どこへ行くんだ?」とクロウに向き直った。「あー…」とクロウは言いよどむ。ん、なんだか耳が赤い。クーラーがガンガン効いているのに汗も沢山でている。……あれこれって、さぁ。もしかして…もしかして、冷や汗?
「ごめんッ!鬼柳!」
そういって脱兎の如く逃げ出した。え。あれ。ちょっと。鬼柳は中途半端に手を上げたままフリーズする。ねぇあの男の人フラれたの?しっ、見ちゃいけません!とテンプレな会話すら両耳を通り抜けていった。
「……クロウにも恥ずかしいって概念あったんだなぁ」
甘いミルクティーを飲みながら鬼柳はしみじみと呟いた。「なんだよ、それ」クロウはじゅるじゅるとオレンジジュースを啜りながらじろりと鬼柳を睨みつける。行儀悪ぅーいと鬼柳が茶化した。
「なかなかのフィールだったぜ…」
そう言って机の上に突っ伏してしまったクロウを鬼柳はよしよしと慰める。「俺ああいうの苦手でさ…」「キュートな小物が?それとも女の子の熱い視線が?」ぺん、とクロウが鬼柳の手を払いのける。
「視線」
断言した。
「せっかくわざわざ来てくれたのにすまねぇ」
「なに、気にすんなよ」
代わりにここの紅茶でも買ってくさ、と鬼柳はウェイターを呼び止め二言三言会話を交わす。「ニコの淹れる紅茶は美味いんだぜ。だから今度飲みにこいよ」とクロウの顔をあげさせる。
「行ってもいいのか?」
「来てもいいし、俺が行ってもいいし。ニコとウェストも連れて」
「……多いだろ」
「俺とクロウのDホイールに一人づつ乗っけたら解決」
「なーるほど」
会ったときから不機嫌そうだった顔がようやくからっとした笑みを浮かべて、鬼柳は無性に嬉しくなる。
それから色んな話をした。新たな天才メカニックの居候の話。WRGPのチーム戦のこと。「チーム戦って案外難しいんだよな」ジャックなんて昔はもっと協調性あったのにってぼやけば「お前がそれ言うのかよ」と返ってくる。あの頃はまじ鉄砲玉ってかきかん坊だったぞやら昔は俺の言うこと全然聞かなかったのにやら昔の話を蒸し返してくるのでチームで戦うにも色んな形があんだよと無理やり結論付けた。あの空に浮かぶ奇妙な物体は見えてないそうだから、イリアステルとか、ラグナロクとかそういうのはなし。と思ったのに「俺の予想じゃ、あの神持ちのチームはやべぇぞ」としっかりチェック済みだった。ちょっと嬉しい。「まぁ、お前らなら大丈夫だよ」と元気づけられる。「そういえばジャックに聞いたんだけど、新しい仕事始めたのか?」と言ってわざわざカップラーメンマンの写真を出してきたときには流石にそれを奪ってびりびりに破かなければならなかった。ピリ辛レッドデーモンヌードル美味いよなという話になり、じゃあ今度そっちにそれとおしるこヌードルを送ると約束する。会う口実がまた増える。楽しかった。
「俺、ちょっとお前に会うの怖かった」
「俺も。クロウは俺なんか、もう眼中にもないんだろうなって」
「んなわけねぇよ」
「それ聞いて、安心した」
鬼柳はこれでやっと渡せる、と懐から小さな箱を取り出した。
「開けてみろよ」
見るからに高級そうなその箱に戸惑いクロウは恐る恐る開ける。羽根をモチーフにした、銀の小さなピアスが頓挫していた。鬼柳はそこから片割れを取り出すと自分の手のひらの中に閉じ込める。
「……鬼柳」
また、会いたい。
小さくクロウが呟いた。俺もだよ、と鬼柳は笑みを溢す。
「もう帰ってしまうのか」
戸口で鬼柳を見送る遊星の背中は寂しそうだった。もう少しゆっくりしていってもよいのだぞ、とジャックも引き止めようとする。せめてご飯だけでも、というブルーノの気遣いにさえ鬼柳は腰を上げなかった。
「ごめんな、なるべく早く帰ってやらねぇとさ」
そう言われたら納得せざるを得ない。「世話になったな」と鬼柳はヘルメットを被った。「まってくれ、せめてクロウに挨拶も……」遊星の言葉を鬼柳は首を降って遮る。
「徹夜あけだったんじゃ仕方ないさ。ゆっくり寝かせといてあげてくれ」
鬼柳と帰ってくるなり、余程疲れていたのかクロウはそのまま泥のように眠ってしまった。まるで心の支えがとれたように安心して眠りこけるクロウの寝顔に、起こすのは忍びないという鬼柳の願いで、クロウは今この場にいない。「今生の別れじゃないんだし」と鬼柳は寂しさを笑いで誤魔化した。
「じゃあな、遊星とジャック。あとー…新しい居候くん」
「ブルーノです」
「そっかブルーノ。はちゃめちゃな奴らだけど、よろしく頼むな。俺の大切な仲間なんだ」
鬼柳はそう言い残して去っていった。「まったくあいつはいつも嵐のようだな」とジャックが呟く。「そうだね」ブルーノも頷いた。「…嵐の後に大嵐が来ないといいが」遊星がクロウが寝ているソファをみて、滅多に変えない表情をわずかに崩した。
***
「信じられんッ!一体誰だ!」
結果的に言うと、大嵐を発動したのはクロウではなくジャックであった。遊星が起きてくると、すでにジャックがヒステリーを起こしていた。とりあえず回れ右をして顔を洗って出直してみると、ブルーノと扉の前で鉢合わせる。「開けないのか」「…開けられると思う?」遊星は特に何とも思わずに扉を開けた。
「遊星ッ!」
ジャックは吠えると遊星の胸ぐらをつかみ「おおお、お前か!?お前なのか!?」と揺さぶりだした。「なにがだ」こんなことは慣れっこだというように遊星は揺さぶられながら聞いた。
「俺のカップラーメンが、箱ごと無くなっていたんだ!2箱も!」
「あ、」ブルーノが思い出したように声をあげてしまった。ぎろりと紫の獣の目がブルーノに向けられる。その視線を制し「何か知っているのか」と遊星はブルーノに問いかけた。
「その…明け方、クロウが箱をブラックバードに積み込んでいたのを見て」
「あいつか!」
ブルーノが言い終わる前にジャックはものすごい勢いで飛び出していった。「どうしよう。追いかけるのかな……あぁっ、クロウごめん……!」とブルーノは神に祈りを捧げるポーズでクロウの無事を祈った。
「安心しろ、ブルーノ」
遊星はブルーノの肩を叩きポケットから何かを取り出した。ブルーノはまじまじとそれを見て驚愕した。エンジンプログラム。しかもホイールオブフォーチュンの。「どうして君が?」ブルーノの質問に遊星は「昨日、調整していたんだ。これでジャックはDホイールに乗れない」と答える。
なんだそれなら安心だ、とブルーノはほっと息をついた。だが、数秒後に違和感に気づく。
「それにしては、静かだよね」
あの状態のジャックなら、そろそろ戻ってきて二次災害を撒き散らす頃合いなのだが。それは遊星も思ったようで、顔をしかめながら「……様子を見てくる」とガレージに姿を消す。ブルーノは、まさか走って行っちゃったのかだとかそもそもクロウの行き先をジャックは知っているんだろうかだとか考えを巡らせる。
数分後、真っ青な顔で遊星は戻ってきた。
「……俺のDホイールが、ない」
100906