アパートの駐車場に遊星は車を止めた。階段を登って右から三番目が遊星の宛がわれた部屋だ。遊星はジャックを背負ってゆっくりと階段を登った。耳にかかる吐息は熱く、また微かにアルコールの匂いがしたから酒が入っているのだろう。ジャックは酒に弱い。少なくとも、遊星の見た限りでは彼はものすごく酔いやすい体質だった。それでもジャックの事だから演技と言う線も捨てきれないのだが。
遊星はようやく部屋までたどり着き震える手でドアを開けた。鍵はかけていない。遊星が横着している訳ではなく、これは以前ジャックの恋人だと名乗る男に壊されてしまったからだった。男としては、毎回毎回まるで召使いかなにかのように迎えに出てくる遊星とジャックの関係を危ぶんだつもりらしい。ドアは破壊され脅迫のように怒鳴り付けられたが騒ぎを聞き付けた近所の人が警察を呼んで事なきを得た。だが遊星はその時確かに恐怖を覚えた。男にではない。男をここまで狂わせたジャック・アトラスという人間についてだ。彼は後日車のなかでこう遊星に説明した。
いつも迎えに来るお前のことをしつこく聞いてきたから、俺が一番愛している人間だとからかっただけだ。
ジャックは愉悦を伴って遊星を見やった。遊星は心臓を生で捕まれたかと思った。愛している、と。ジャックが、俺を。いいや違う!もう少しで、ジャックはただ男を玩ぶためだけにその言葉を使ったということを忘れるところだった。ジャック・アトラスの発する言葉の隅々まで遊星は飲み込まれていた。それに気付いたとき、遊星の胸に去来したのはただの虚しさだった。そして畏怖だった。
「もう、やめろ」遊星は萎縮して震えもしない声帯を無理やり絞り出した。「人の心は玩ぶものじゃない」
ジャックの睚がきゅ、とつり上がった。くしゃりと顔が歪む。言い過ぎた、と訂正しようとする前にジャックは「違う」と子供のようにふいと顔を反らした。その白い横顔に、遊星は自分がいかに酷いことを言ってしまったのかを悟った。だがやるせなさに口が開かなかったのも事実だった。そんなことをしているうちに、ジャックは急に車から飛び出した。走行中の遊星の車から。


お前のせいだ。
病院で目を覚ましたジャックは開口一番そう批難した。俺は傷ついた。玩んでなんかいない。俺はただ愛が欲しいだけなのに。ぽろぽろとジャックはうつくしい紫から涙を溢した。遊星は動転してジャックに謝った。すまなかった、お前の気持ちをまるでわかっていなかった。俺は何をして償えばいい?ジャックはやはり泣きながら抱き締めて欲しいと言った。遊星はその通りにした。望めばいつだってジャックを文字通り愛して抱き締めてくれる人間などいるだろうに、どうして自分なんかに頼んだのか遊星にはわからなかった。もしかしてジャックは自分を好きなんかじゃないかという疑問が頭をもたげた。
だが翌日も見舞いに来た遊星をジャックは手酷く追い返した。その次の日も。そうして恨み言を延々と遊星にぶつけるのだ。遊星はあのうつくしい涙は幻想だったと思いたくなった。だが、その時にはもう遊星の心はジャックに、まるで麻薬のように毒されてしまっていた。


あれからジャックは変わってしまった。傷付いた猫のように警戒心を逆立てることを忘れなかった。プライドの高いジャックはもう二度と自分に心を許さないだろうと考えた。ならばせめて体だけでも、と欲望は低俗な方へシフトせざるを得なくなる。羞恥に染まった裸身を見たい。掠れた喘ぎを聞きたい。ジャックが他の誰かと一夜を共にするたびに遊星は赤黒い嫉妬に耐えなければならなかった。だが、今まで行動に移さなかったのはあくまでジャックが友人として遊星を取り扱ったからである。それは枷となって遊星を縛った。ジャックは誰とでも寝る男だったがはたしてそれが友人の場合でも適用されるのか不安だったからだ。
だがそれももう今日でようやく終わる。


後ろ手で形ばかりのドアを閉め、勝手に開いていくのを防ぐために外に重石を滑らせた。遊星はまだ夢心地のジャックを玄関に押し倒す。ばちっ、とジャックが目を見開いた。「何をする!」ジャックが抵抗するがその力は思ったより弱々しいものだった。のし掛かり動きを封じる。薄暗い悦びに口角をすっ、と持ち上げた。
「遊星…っ!」
シャツを引き裂いた。白い肌身にぽつぽつと赤い花が散っている。覚悟はしていたもののやはり遊星は面白くない気分になった。その間にもジャックは遊星を押し退けようと必死になって抵抗する。俺以外の奴には喜んで抱かれるくせに。遊星はジャックの下を無理やり脱がせた。既にそこは固くなりつつあった。遊星は少し躊躇してから性器を口に含む。甘い匂いが体臭と混じりおかしくなってしまいそうだった。「気持ちいいか?」遊星は急に不安になった。口淫の存在は知っていてもやり方なんてまるで見当がつかない。ただ、ジャックが以前自慢気にやり方を語って聞かせた知識を思い出しながら一心不乱にねぶる。「…気持ちいいか?」遊星は口を離さずもう一度問う。歯が柔く辺りむず痒い刺激をジャックに与えた。
「うぁ、あ…っ、し、喋るなぁ…!」
その喘ぎが大きかったことに遊星はひやりとしたものを感じる。近所迷惑なんてもんじゃない。だが体の一部が更に熱くなったのも事実である。「声を出すな」遊星は勝手も掴めないままとりあえず一回達させた。白い肌に少量の白い精液が散った。はぁはぁと息を荒げ脱力しきった体を無理やり立たせて風呂場に引きずり込む。これ以上あの甘い石鹸の香りに耐えられそうにもなかった。さっさと洗い流して、それから。……それから自分はジャックを抱くのだろう。まるで他人事みたいにその思考は遠い。抱いて、そして俺はジャックの大勢いる中の一人にすぎない恋人になるのだろうか。
その迷いを指摘するようにジャックは呂律の回らない辿々しい口調で「抱くのか」とだけ言った。既に諦めたのか紫の目は遊星を男を見るような目で見ていた。こいつはどう俺を抱くのか?上手いのか?いやさっきのフェラは下手だった。見た目だけは合格点か。熱いその視線の中に潜んだ冷めた感情に遊星は杭を刺されたように一瞬怯んだ。抱いて、どうする?これで俺はただ一人の都合のいい友人から大勢の中の都合のいい恋人になるのか?遊星の動きはついに止まってしまう。
「まだか?」開き直ったのか焦れたのかジャックはそう催促して自ら遊星を淫らに誘った。「お前も…見せてくれ」
ジャックは遊星の膨らみを慈しむように撫でた。だから焦った。きっとジャックを目の前にした人間は同じ焦燥に捕らわれていたに違いない。失望。遊星はジャックに失望されるのを恐れた。上半身にYシャツを羽織っただけのあられもない姿のジャックをバスタブに座らせると遊星はシャワーの水をジャックに浴びせ、自分も向かい合わせになるようジャックの膝に座った。






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