亡びゆく安寧




一週間前のことだ。
風馬がジャックの年齢を聞いて驚いていた。「俺と同じくらいだと思っていたよ」目を丸くしながら彼は続けざまに「じゃあ、誕生日はいつなんだ?」と聞いた。ジャックはそういえば、と呟き「ちょうど、一週間後だ」と答えた。その言葉にもうそんな時期かと俺も思い出した。実際俺もジャックもクロウも本当の誕生日なんて誰も覚えてないから、年に一回マーサが開いてくれる誕生パーティの日を誕生日としていた。14歳になり孤児院を出た年からやめてしまったが俺はジャックがその日を覚えていてくれたのが嬉しかった。それから久しぶりに誕生日を祝うのも悪くないと思った。皆を呼んでご馳走を囲む。もちろんサテライトだったからそんなに豪勢とはいかないが、今なら誰が一つしかないチキンを食べるかで揉めることもないだろう。大抵、我の強いジャックと食べ物のことと目の色を変えるクロウで口論となり、殴りあいに発展しマーサに叱られて俺達より年少の子供に譲ることになっていたが。その予定は次の風馬の発言で瓦解することになる。
「もし予定が無かったら……その日、俺にくれないか?」
「え、」風馬の言葉に、ジャックよりも俺が動揺した。
「美味いディナーがある店を知ってるんだ。あぁもちろん、先約があるなら仕方ないけど」
「いや、特に予定はないが…」ジャックは戸惑いながらも嬉しさを滲ませた声で「いいのか」などと言っている。
「当たり前だろ。それに、まだあの時の礼もしてないし」
「フン、物好きだな。言っておくが、俺は味にうるさいぞ」
「解ってるさ。……ん、もうこんな時間じゃないか」
風馬は時計を見て、じゃあまた、という言葉を残して去っていった。俺は思わず白い背中に声を掛けていた。
「ジャック」
振り返ったジャックはえらくご機嫌に見える。俺はもやもやとした感情が胸中を覆っていくのを感じていた。「どうしたんだ?」そんな俺の変化を知るよしもなくジャックは悠長に返事をする。
「その……誕生日の、ことだが」
「お前もそのことか?まったく気が早いな。まだ一週間も先ではないか」
「あぁ……いや、やっぱりいい」
つい投げやりな言い方になってしまった。あの日は俺達の誕生日であると同時に、ジャックの誕生日でもある。だから、俺がどうこう言う筋合いはない。ジャックがその日誰と過ごそうが、それはジャックの自由だ。それでも、ほんの少しだけ、俺はジャックに失望し、風馬に嫉妬した。自分が身勝手なことを思っているのは理解している。
風馬はジャックのシティで初めてできた同性の友人だった。俺達の経歴を聞いても犯罪者の印であるマーカーを目の当たりにしても態度を変えずに接してくれるとてもよくできた人間だ。そんなやつが友人の誕生日を祝いたいと思うのは当たり前のことだろう。何もおかしくはない。そう言い聞かせる。
おかしくはないが、面白くなかった。ジャックを風馬に取られてしまったような気がした。俺は自分の考えに呆れる。ジャックは物ではない。でも誰だって思うことだろう。好きなやつに誕生日を祝ってもらいたいと。それがどうしようもない一方通行な恋慕だったとしても。仕方ないだろう。
「遊星?」
紫の目が俺を見ていた。アメジストのように澄んだ目がこのどろどろとした感情を見透かしているようで酷く居心地が悪かった。俺はなんとか「ほんとうに、なんでもないんだ」とだけ言ってさっさと会話を切り上げる。あぁと生返事を返すジャックの声を背中で聞いて自室に戻った。
ベッドに寝転がるとやけに心臓が動いているのがわかる。胸が重い。もしも食事に誘われたのが別の日だったら、やはり重苦しい気分にはなるだろうがここまで酷くならないに違いない。此処へ来てから半年になるが、俺はジャックと暮らすことで改めて自分の執着欲に気づいてしまった。ジャックの関心が他人に向いているということがたまらなく俺に爪跡を残していく。
これが幼馴染みのクロウとかだったりしたらまだいい。サテライトでは他人を寄せ付けずずっと内輪だけの交流を続けていた。その中でも自分はジャックの一番の人間なのだと自負できた。ラリー達と懇意になった後のジャックの荒れようは酷いものだったが、それは彼が自分を好きだからこその嫉妬心だと解ってからはとてつもなくこの男を愛しいと思えるようになった。俺は彼を愛し、彼も俺を愛していたが、その思いが繋がることはなかった。何故か。簡単なことだ。
ジャックのその執着心は、興味と支配欲で構成されていた。手が届かないシティに恋い焦がれるように、手に入れられない不動遊星という人間を欲した。だから俺は彼の前ではいつでも博愛主義者でいなければならなかった。俺がジャックから眼をそらせばそらすほど、ジャックは俺を我が物にしようと獣の眼を光らせる。それは歪んでいるが、一途な思いだった。あの美しい男がこんなにも罪深い俺を愛してくれている!俺は悦びを感じずにはいられなかった。だからこそジャックの関心がが他の者にうつるのを恐れた。だって自分はジャックが与えてくれる愛を言い訳にしてこの世をのうのうと生きてきたんだから。ひどいエゴだ。最低だ。俺は、最低だ……。考えるのも億劫になって俺はそのままカーテンを閉めて目を閉じる。眠りにつくまで途方もない自己嫌悪はまた俺を苦しめた。



かちかちと歩を進める時計の針はもうすでに12時をすぎている。俺の苛立ちを象徴するようにがきりとレンチと金属が擦れ合い耳障りな音をたてた。ジャックはまだ帰ってきていない。携帯にも連絡はない。
シティでキングとして君臨していた頃の癖で、あいつは外出するときに携帯電話の電源を切る癖があった。携帯電話は携帯するから携帯電話と言うんだ、以前そういうとジャックは憎々しげに顔を歪めて「ジーピーエスが」と小さく弁明した。彼は始終、ゴドウィンの監視の元に置かれていたらしいが、あの食えない男がそんな生温い方法を取るとも思えなかった。今となっては確かめるすべも無いのだが。
その時、外で近づいてくるバイクのエンジン音が聞こえた。その音は少し離れたところで止まり、数分で去っていった。俺はジャックが帰ってきたのだと確信した。
「ゆ、遊星……?」
ジャックは俺の姿を認めると「こんな時間なのに」と足元をおぼつかせながら俺の肩にもたれかかった。苦手なアルコールの匂いに混じって知らない香りに思わず戸惑う。「ジャック?」とりあえずまともに立たせようとジャックの肩に手をやるが、体格差が邪魔をして身動きできなくなってしまう。こいつ、安心しきって体を預けてくるのだ。こんな無防備に。夜遅くまで一体何をしていた、だの連絡くらいしろ、だの吹っ掛けようとした言葉を全部飲み込まざるをえなくなってしまった。
「ゆうせぇ……」
「おい、ジャック、酒臭い。飲んできたのか」
「あぁ……キングだから……て……」
呂律の回っていない言葉を聞き取るのは相当に難儀でそれ以上は上手く聞き取れなかった。
「無理に飲まされたのか」
言ってから自分でもそれはないな、と思う。
「オレが、自分で飲んだ」
「それにしても酔いすぎだ」
「美味かった……」酒のせいで夢心地なのか彼にしては素直な感想を吐露する。ふわり、とまた鼻先を覚えのない匂いが掠めた。やっぱりこの匂いは知らない。一瞬風馬の顔が浮かんだ。
「ジャック、おい起きろジャック。部屋に戻るぞ」
「うぅ…」
ジャックはゆるゆると目をあけ俺に鞄を押し付けると寝室へ向かっていった。俺はいけないとわかっていながら鞄を開けてしまった。財布、携帯。そしてラッピングされたプレゼント。
……風馬から貰ったのか?
見るからに高級そうな袋の赤が胸を刺した。開封済みのそこには香水の瓶が入っていた。少量手首に吹き付けて匂いをかぐ。ジャックから香ったのと同じ匂いがした。俺は洗面所に飛び込み急いで手を洗った。流れていく液体を見ながら、もうダメだ、とも思った。
鞄をとじてジャックの寝室へと向かう。ジャックは階段の前で崩れ落ちていた。「ジャック」呼び掛けると今度は何も反応を返さない。深い眠りに落ちているようだった。
「……すまない」
色の薄い唇を奪う。無理に抉じ開けて舌を吸い出し、口内を貪る。ジャックが目をあけた。それから自分の唇と繋がっている透明な糸を見、俺の青い目を見た。まだ夢を見ていると思い込んでいるようだった。紫の輪郭はぼやけたままだ。
「ジャック、起きてくれ……」
何度目かの口付けの後、ジャックはいきなり飛び起きた。がつん、と歯と歯がぶつかりその痛みに視界が滲む。それはジャックも同じで、口を押さえながら俺に「どういう意味かわかっているのか」と泣きそうな顔で言った。紫の眼がきゅっ、と細められ、歓喜に満ちたそこは服従を覚えた猫のようだと思った。
「わかってる」
俺はそれだけを何とか伝え、赤面した頬にもう一度口付けを送る。


ジャック。
ずっとずっと、愛している。
もう手放したりは出来ない。




ジャックの愛は羨望から出来ていた。彼はシティに恋い焦がれ、シティへ赴き、シティの全てを手に入れ、結果そこに縛られてしまった。そして彼は今欲しくてたまらなかった俺をも手に入れた。俺は、どこまでも自由な彼の鎖になってしまうのが、それだけが気がかりだった。
手の中には、空っぽになった香水の瓶がある。


100828
拝借 ギルティ
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