朝が遠い
※クロウが吐いてる。
身体に不調が現れたのはあの事故の後だった。まず初めに、薮医者と罵った後に吐いた。医者は事故のショックだと診断した。良くあることらしい。念のために脳波を撮り、レントゲンを撮り、薬を貰った。それは飲まなかった。飲めなかった、と言った方が正しい。その日の夕方は何も食べられなかった。その次の日も。食べても戻してしまうから、面倒になって薬は捨てた。
事故から2日後に現れた右腕の痺れの事も言わなかった。聞いてこなかったからだ。聞かれていないなら、言う必要はない。ただそれでも心の端にしこりだけは残った。本当に俺は、単に気を使われているだけなのだろうか?邪魔だと思われているのではないか、あるいは、心配に値しない、と思われているのではないだろうか。あぁそうさ、たかが骨に罅が入っただけだ。一ヶ月もせれば簡単に治る傷だ。それだけなのに、周りはまるで腫れ物に触れるかの様な態度を取った。夜は眠れなくなり、夢遊病者の様に夜な夜な徘徊するようになった。
べしゃり、と気持ちが悪い音が鼓膜に響く。嘔吐物を水面にぶちまけた音だ。独特の臭いが鼻を付いた。それにまた吐きそうになる。だが、胃の中は空っぽだ。それでも身体は拒絶反応を起こし、声帯から蛙が潰れたような呻きを絞り出す。気管が絞まる。息が出来ない。毎回毎回、死ぬかと思う。早くこの時間が終わらないかと穢れた水面を睨み付けた。
「ぅえ、え」
いつの間にか呻き声は嗚咽にすりかわっていた。ぼろぼろと情けなく声を押し殺して泣く姿はさぞかし滑稽だろう。便器の蓋を閉めその上に突っ伏して泣いた。涙を流すのは作業となっていた。こうしていれば、たまたま夜中に目が覚めてトイレへ行き、そこで泣いている俺を見付け驚愕し後悔と懺悔を繰り返しながら俺を抱き締めてくれるんじゃないかって。そんなのあるわけねぇのに。過去にそうしてくれた男は、一人は土の下で、もう一人は遠い空の下で眠っている。手が届かないのは、どちらも一緒だった。
ひりひりとする唇を左の指で拭う。朝が待ち遠しいと思えた。俺は、自分で思っている以上に救いを求めていた。
100228