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夕日の合わせ札と言うのは、有名な都市伝説だった。
夕日に向かって自分の手持ちのカードを翳し、それを祈るように重ね合わせる。運がよければ、骸骨騎士にレアカードをもらえると言う、なんとも眉唾物な言い伝えだった。
遊星の子分であるセクトが以前その骸骨騎士に会い、レアカードを貰うどころか掛け札にされたことがある。そのこともあって、遊星はその話をジャックにしようとは思わなかった。
だが、昨日の一件で、考えを変えざるを得なかった。
ジャックは帰りたがっている。
彼はこの世界に行き成り放り込まれた『異人』で、そして自分ではジャックの孤独を癒すことなど出来ない。
それに、彼には待ってる人もいる。
「もし、その儀式でも帰れなかったら……オレと一緒にいてくれないか」
昨夜、遊星はジャックの怪我を手当てしながら提案した。勿論ジャックの答えはわかりきっている。だが、遊星はどうしても言っておきたかった。
「お前をもう二度とこんな目に合わせない」
「気持ちはありがたいが」ジャックは頬の傷を消毒してもらいながら眉を寄せた。滲みたのだろう。遊星は丁寧にガーゼを当てる。
「俺は帰るぞ」
「……そう言うと思ったぜ」
テープで固定し、次の怪我へと遊星は作業を移す。揺れる特徴的な頭部を見ながらジャックは暖かい声で囁いた。
「だが……お前といた数日間は、楽しかった」
遊星は笑って、オレもだぜ、と言う。
夕方、遊星とジャックは再び祭壇が現れたところへと訪れた。周りに人気が無いのを確認してから遊星はジャックに夕日の合わせ札の方法を教える。
もしかしたら番人が現れるかもしれないから気をつけろ、と遊星は忠告する。
「フン、たかが番人ごときこの俺が恐れる道理ではない」
ジャックはそういって、両手にカードを持つ。
「……!?」
そのカードを翳そうとした瞬間、まるで待っていたといわんばかりにジャックの痣が発光した。
遊星がその光に危機を感じて叫ぶ。
「ジャック…ッ!」
「大丈夫だ、気にするな……!これは……」
ジャックは痣を見つめ、「まさか」と呟く。
その途端、地面を揺るがす甲高い咆哮が二人の間に割り込むように現出した。その爆音に遊星は思わず耳を塞ぐ。なんだ、これは。骸骨騎士ではないのか…!?遊星は一歩後ずさった。言葉では到底言いあらわせられない程の何かがここで起こっている。
ぐにゃりと蜃気楼のように空間が歪む。
閃光とともに燃える様な真紅のエネルギーが体を捩じらせながら形を変えていった。
「赤き、龍……」
ジャックは赤き巨体をじっと見つめていた。不意に、その真っ赤な龍から一人の影が飛び出してきた。
紺色の服に身を包んだ青年。
それは、限りなく遊星に似た――。
「ジャック……ジャック!!!」
「遊星!!」
青年はジャックの元へと駆け寄りその体を抱きしめる。その右腕がジャックと同じく赤く輝いているのを見て、遊星は確信した。
あれが、もう一人のオレか。
なるほど、確かに似ている。同一人物といってもいいくらいだ。遊星は、これではジャックが自分に惑わされてしまったのも仕方ない、と頷く。
遊星はDホイールに跨った。別れの言葉は、今更告げるまでも無い。解っている。後は己の正しい世界へと帰るだけだ。
ジャックと目が合った。
1秒、2秒……3秒。
ジャックの顔が申し訳なさそうに歪む。
遊星は手を振った。
青年もこちらを見て、その途端驚きに目を見開いた。
「会えてよかったぜ!ジャック!」
遊星はゆっくりと親指を立て、Dホイールを発進させた。「遊星!」とジャックが叫ぶ。声は聞こえなかったが、視界の端に映ったジャックの顔は確かに笑っていた。
初めてみる、剥き出しの笑みを。
エンジン音を響かせながらジャックが、工場が遠ざかっていく。後ろ髪をひかれる思いはしなかった。
良かった、ジャックが無事に帰ることが出来て。
迎えに来てくれる奴がいて。
最後に笑顔を見ることが出来て。
これでいい。これでいいんだ。
後は、ただ日常に戻るだけ。
*
「行ってしまったか」
ジャックがぽつりと呟いた。頭に包帯を巻き、頬にも大きなガーゼを張っていた。遊星はその姿に胸が締め付けられるような痛みを感じる。
聞きたいことは沢山あった。
謝ることもたくさんあった。
だがジャックはそれを「なに、気にすることはない」と一蹴した。それに謝ることは、こちらの方があると。
そういうと、ジャックは自分から遊星に口付ける。
たまには、オレのことも思い出してくれると嬉しいぜ。
あたりまえだ、世話になったからな。
ああ、でも一つ。
?
キスは、ノーカンでいい。
遊星は面食らった顔でジャックを見た。「なんだ、間抜けな顔だな」ジャックはくく、と低く笑う。
「な、」
「ほら、帰るんだろう。赤き龍が待ちぼけているぞ!」
ジャックはそういうと、赤き龍につかまった。
遅れて遊星も、その体につかまる。龍が咆哮した。自分の印をつけた男が戻ってきたことに喜んでいるのか龍は体を鳴動させる。
随分と可愛らしいものになったじゃないか、とジャックは密かに思った。赤き龍ともども組み敷いてみせる!と豪語した過去が懐かしい。まさか、こう何度も助けられるとはな。
「ジャック」
「なんだ」
遊星がジャックの名前を呼んだ。ジャックは聞き返す。
遊星はいつもの、あの口の端をすこし上げただけに過ぎない笑みを浮かべてジャックの耳元に囁いた。
「……おかえり、ジャック」
再び空間が歪み、視界が光に包まれる。
おかえり。
ジャックは脳内で反芻し、理解する。そうだ。帰ってきた。ようやく自分の居場所へ。仲間達の元へ。
この光がやんだなら真っ先に言うべき言葉を思い浮かべ、ジャックは今度こそ満足げに微笑んだ。
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