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遊星がジャックを拾ってから、4日が過ぎた。
D1グランプリまで時間が無いと、遊星は長く家を空けるようになった。ジャックも作業を手伝い、また遊星の決闘の相手をすることもあった。
勝率は五分といったところか。
遊星のすぐ熱くなる性格は、二年間キングとして君臨していたジャックから言わせるととても扱いやすいものだった。それでも、時々ひやりとするようなプレイングを見せ付けてくることもある。
あのカードの引きの強さは、戦況を軽々と覆してみせるあのカードプレイングセンスは、やはり不動遊星の実力を色濃く残していた。
だから、ジャックは必要以上に焦りを感じていた。
勿論ジャックも大切な大会を控えている、という名目がある。もしこのまま元の世界に返れなくなってしまったら、仲間達に迷惑がかかる。
だがそれ以上に、自分が遊星を同一に見てしまうことが嫌だった。
たとえばこれが全く似ていない赤の他人であったなら、ジャックはここまで心苦しい思いをしなかっただろう。
だが似すぎていたのだ。
意思の強い青色の眼。低い声。見た目だけで言うなら、マーカーの差異ぐらいしかない。
元の世界と切り離され、孤独に潰されそうになっているジャックを支えてくれているのは遊星の存在だった。
ジャックはだんだんとこの世界に染まりつつあることを自覚していた。
(俺は帰らなければ)
(WRGPがある。やっと得た本物の居場所がある)
(遊星)
(…………ゆうせい、)
*
「ジャック、話があるんだ」
朝食を取りながら遊星はそう言った。ジャックはさして気にも留めず「なんだ」とコーヒーを飲み干す。
だが、話を持ちかけたくせに怖気ついたのか遊星は珍しく口ごもって、
「いや……いつでも、いいんだが」
と視線を逸らして言葉を濁した。
珍しい。
「そうか……なら、夕方でいいか」
「何故夕方だ?」遊星は多少いぶかしげに聞いた。
「行く場所があるからだ」
「どこへ行くんだ」遊星の青い目がこっちを見ている。
いつにもまして食い下がるな、とジャックは思った。
「ああ、俺が倒れていたという場所に行こうと思ってな。場所を教えろ」
もしかしたら、あのジャックを巻き込んだ巨大な建造物が現れるかもしれない。元の世界に帰れるかもしれない。もしくは、ほんの小さな手がかりでもいい。
一人では大変だろうが、D1GPを控えた遊星にまさか手伝えなどとは言えない。
とにかく、そんな淡い期待を抱いてジャックはそう言ったのだが。
「オレも行く」
「なに?」
「オレも行くと言ったんだ。ジャック」
有無を言わさぬ顔で遊星は宣言した。
*
「ここだ。ここにお前が倒れていたんだ」
遊星に案内され、ジャックはその工場内の一角にあるジャンクの山を見る。当然ながら、あの巨大な祭壇はどこにもない。ジャックは落胆する。
「熱があった」
「ああ」
「一晩くらい、外に放置されていたんじゃないか」
「……それは知らん」
なんだか間抜けな醜態を晒してしまったかのような気恥ずかしさにジャックはつっけんどんに返した。
「何か変わったところはないか。何でもいい」
そう言ってジャックはジャンクの山から自転車を引っ張り出した。がらがらと音が鳴り、タイヤに引っかかったもう一台の自転車が姿を現す。
「……帰るのか」
遊星が呟くが、その声はジャックに届いていない。
「なに?聞こえなかった、遊星――うわ、」
ぶん、とジャックが力任せに引き抜いた瞬間、ジャンクの山が土砂崩れを起こしはじめた。ジャックの脳天めがけ、小型の電子レンジが落ちていくのを遊星は見た。
「ジャック!」
遊星は急いでジャックの肩を引き、自分の方へと引っ張った。一瞬遅れて電子レンジが地面に叩きつけられる。だが、
「…っ」
安心する間も無く、勢いあまってジャックは遊星にもたれ掛かってしまう。これが華奢な女であったなら、遊星も男だ。やすやすと受け止めることが出来ただろう。
だが、不幸なことにジャックは男で、しかも遊星よりも大分逞しく成長しすぎていた。
「ゆ、遊星!!」
声も出ぬほどの重圧に、遊星はなんとか声を振り絞って「痛い」とだけ伝えた。ジャックはすぐに体を退けて「遊星っ」と名前を呼ぶ。
「……よかった、無事で」
謝罪の変わりに、拳が飛んできた。
「馬鹿者!自分までこける奴があるか!」
大層論点のズレた怒りの言葉に、遊星は苦笑する。
それにジャックはますます訳がわからないといった様子で喚きたてた。
「それに、もしお前に当たったらどうする、んだ……っ!?」
それはないだろう、と遊星は思ったが無視をする。
抗議する代わりに、上から覗き込むような体勢になっていたジャックを遊星は思いっきり引っ張った。当然ジャックはバランスを崩す。気づいたときには吐息のかかる場所に遊星の顔があった。
触れそうな唇が動く。
「行くなよ」
それから、ゆっくりとジャックの唇に自分のそれを重ねた。
唇が離れる。
時間は短かったが確かに触れた。キス、された。遊星に。
ジャックは呆けたような表情で遊星を見た。
青い目に浮かぶ感情が読み取れない。
「俺、は」
心ここにあらず、といった様子でジャックは言葉をつむぐ。
「……帰らないと、遊星のところに」
「オレも遊星だ」
また口付けをされる。今度はジャックも抵抗した。ぬる、と口内に侵入してきた舌を振り払い必死で唇を離す。だが後頭部を押さえ込まれ、結果的に遊星の舌はもっと奥へ入り込んできた。
「う、」
体重が加わったかと思うと、ぐるりと体勢が入れ替わった。背中にあたるコンクリートが痛い。舌を絡められ、呼吸の合間に「ジャック」と遊星の声で自分の名前を呼ばれる。いや、声が同じなのは当たり前だ。彼もまた遊星なのだから。小さく唇を吸われてジャックは思わず呻いた。直接的な行為に、ジャックは自分に抵抗する力が無くなっていた事に気づき愕然とする。
「ち、違う」
反論する間も無く何度目かの接吻が与えられる。
今度は、舌は絡めてこなかった。
「行くな、ジャック」
ようやく遊星の目に感情が見えた。
ジャックは覆いかぶさる遊星の体を押した。あっけなく遊星は体を引く。遊星は呆然としてこっちを見ていた。
迷いの色が、ジャックの胸を刺す。
「…一人で、探す。お前はもういい」
ジャックは唇についた唾液を手の甲で拭い取った。
遊星は、「すまない」と頭を下げて立ち上がると踵を返す。ジャックは遠ざかる足音だけを聞いていた。唇に指をあてる。
口内にはまだ、遊星の味が残っている。
だが吐き出す気にもなれず、ジャックは目をつぶりながら口内の唾を全て飲み込んだ。
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