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「ジャックが、帰っていない……!?」
不動遊星は珍しくショックを隠せない様子でクロウに詰め寄った。クロウはあぁ、と眼を伏せて言う。
「どこにもいないんだ」
「…そんな」遊星はふらふらとした足取りで椅子に腰掛け、顔を覆った。「ジャック」
三年前、ジャックがサテライトから出て行ったとき遊星は酷く後悔していた。絆を、何よりジャックを失うのを恐れていた。
遊星はあれを自分のせいだと言ったが、クロウの眼にはそうとも思えなかった。チーム・サティスファクションが解散した後、思い出すのが嫌で二人に会う事を避けていたから、何があったのかクロウは知らないのだが。
「遊星、ジャックなら大丈夫だって。もしかしたら、カーリーのところにいるのかもしれないぜ」実際はカーリーのところにもどこにもいなかったのだが、今の遊星にこの事を知らせるのは酷だと思えた。
「…ああ……」
遊星は呆然と呟き、それから右腕に刻まれた赤い痣を睨み付けた。
昨日の夜から痣はじりじりと焼かれていくような疼きを発している。
クロウを見ると、やはり彼もまた同じように右腕を見ていた。シグナーの証である痣が疼くときは、決まって仲間に危機が迫っているときだった。だが、こんなに長引いたことは一度だってない。
「クロウ、ジャックが調べていた場所は」
「……確か、サテライトの方じゃなかったか」
覆いかぶさってくる不安を振り払うように遊星は立ち上がり、痣を袖の中に隠す。
「…行って来る」
「おい、遊星!?」もしかしたらイリアステルの罠かも知れないんだぞ!とクロウがとがめる前に、遊星はDホイールに向かって駆け出していた。
ヘルメットを被ると同時にエンジンを噴かせる。
ジャック、どうか無事でいてくれ。
左手のクラッチバーを握り、重心を前に傾けながら遊星はそのことだけをひたすら思っていた。
*
地を走る2本の太いパイプの上を、轟音を立てながら2台のDホイールが疾走していく。夕日のように赤い機体に乗った決闘疾走者は、高らかに声を張り上げ宣言した。
「王者の鼓動、今ここに列を成す!天地鳴動の力を見るがいい!」金髪の男が口上を述べると、眼もくらむほどの光と熱量がDホイールを取り巻いた。それに煽られるようにわぁぁぁあ!と野次馬から歓声が上がる。
「シンクロ召喚!!」爆音と共に赤く禍々しいドラゴンが姿を現した。見たことも無いモンスターの登場に観客の興奮は最高潮に達した。ドラゴンの叫びが風を薙ぎ、まるでそこに存在しているかのような立体感を醸し出している。
「現れろ!我が魂、レッド・デーモンズ・ドラゴンッ!!」
「す、すげぇ…!!」
ジャックの対戦相手、セクトでさえその雄々しき姿に感嘆の声を漏らす。ジャックはスピードを上げると、右側に過重をかけ、限界まで巨体を倒しカーブを直角に曲がりきる。パフォーマンス性にとんだライディング・テクニックに観客がまた沸き立った。
「……すごい」
二人の決闘疾走を間近で見ていた遊星も、そうぽつりと漏らす。
フィールというものに興味をもったジャック・アトラスにわざわざDホイールを貸したのは自分だが、まさかここまで乗りこなしてしまうとは思わなかった。
――これが、これがキングの決闘か!
「ひれ伏せ!」
ジャックが吼える。ばちばちっ、とタイヤが火花を散らし、炎を上げたように見えた。龍がその声に呼応し、灼熱の獄炎を吐き出す。スピードとタイミングによって極限まで昇華させられたフィールは、あっけなく立ちはだかったモンスターを粉砕していった。
Dホイールを止め、ジャックは対戦相手の元へ歩み寄った。セーフティが作動している黒いDホイールはもくもくと白煙を上げている。
「大丈夫か」
「へへ……、お前、なかなかやるじゃんか」ジャックが差し出した手を、セクトはあっさりと掴む。「遊星のアニキの次くらいに」
「遊星の次、か」
「でも、羨ましすぎるぜ。遊星がDホイールを他人に貸すなんて」
よっと、とジャックの手を借りて立ち上がるとセクトは少しむくれてそう言った。ジャックは少し離れたところに止めてある遊星のDホイールを見る。
こっちの世界の遊星も、Dホイールを愛し、カードを愛する心を持っていることは解った。だが、別人だ。他人だ。ジャックはそう心の中で唱え気持ちを静める。
彼は自分の知っている不動遊星ではないのだ。
「セクト、ジャック。良い決闘だったぜ!」
「あ、アニキ!」
聞き覚えのある声に目を向けると、微笑みをたたえた遊星がいつの間にか立っていた。引きつれる心臓を無視してジャックは不適な笑みを浮かべた。
「ふん、どうだ。俺のライディング・テクニックは」
「参考になった。礼を言うぜ、ジャック」
そういって遊星は右手を差し出す。当然その腕に痣などない。
ジャックは一瞬逡巡し、結局手を握り返した。
「ジャック、夜空いてるか?」
「ん?ああ、そうだな………」
「出来れば、決闘に付き合って欲しい。まずは決闘に勝たなければライディング・テクニックも意味が無いからな」遊星は苦笑してジャックを見上げた。断る理由も特にないジャックは曖昧に頷く。
「じゃあ、夕食後に待ってるぜ」
遊星は手を離すと「セクト!特訓だ!」とDホイールへ走り去ってしまった。ジャックはそれを見送って、Dホイール馬鹿なのは遊星と変わらないな、と密かに思う。
(……遊星と変わらない?)
またやってしまった、とジャックは後悔した。これで何度目だろう。遊星と彼を比べてしまうのは。
ジャックは拳を握り締める。
長く伸びた爪が皮膚に食い込んで疼痛を生み出した。
「遊星……クロウ、ブルーノ…」
自分はあの仲間がいる世界に帰れるのか。それだけがジャックの気持ちを陰鬱にさせる。
三年前は仲間などいらないと思っていた。
王になるには、孤高であらねばならない。それがゴドウィンと取り交わした掟だった。
だが、ジャックは日々孤独に蝕まれていく体を自覚していた。一人で強くなるには限界がある。その事を教えてくれたのは遊星だった。かけがえの無い仲間だった。
だが、今は。
「どうすればいい……俺は」
絆を断ち切られた自分はまた孤独に押しつぶされそうになっている。
あの時と同じだ。ジャックは唇を噛み締める。
だがここには、ジャックを救い出してくれた遊星はいない。
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