つめたくしないで
これは後々に解ったことなのだが、その時の鬼柳は酷い睡眠不足だった。数日前から一人で作戦を練り、行動を指示し、その上での連日の決闘。普段はジャンクの山から使えるものを探し出し、修理が必要な物は機械に知悉した遊星に引き渡したり、さもなくば自分で修理してそれらを炉端で売り小金を得ていたのだが、生憎今回は長期の肉体労働に出て行かなくてはならなかった。ギャングとして顔が知られすぎたために一般の客がすっかり寄り付かなくなってしまったのだ。そのことについて鬼柳は「有名になるのも大変だな」と楽観的に笑ってはいたが、内心俺らに対して申し訳ない気持ちもあっただろう。このままじゃ当初から掲げていた目的はとうてい叶える事は出来ない。
それに加え状況は悪化する一方だ。屈服させた勢力を特に配下に加えることはせず(結局、これが一番の原因だと思われる)散らしたままにしてあったので残党が反旗を翻してくる、なんてしょっちゅうあったし、何よりもサテライトの掟である「弱者からの搾取」つまり「生活に必要最低限の物資の調達」が出来なかったのだ。結局サテライトを表向きには統一したといっても、それはいわば患部を水で洗い包帯を巻いて見栄えを良くした荒療治のようなもので、実際のところ根本的なことは何も変わっていなかった。
そして、チームも徐々にそのことに気がつき始めている。特にジャックなんかは顕著で、鬼柳が無茶な作戦を提示した後に、どこか諦めの色がにじみ出た紫の眼と視線があうことが増えた。遊星は、あいつはとことん和を乱すことを嫌う奴だから、そういった思いを感じることはできなかったが。なにより、鬼柳。あいつが一番、そのことに恐れを抱いている。以前に一度、「仲間を増やしたらどうだ」と掛け合ったことがあったが、鬼柳は「チームに他の誰かを加える気はさらさらねぇ。特に、敵だった者はな」と鼻で笑った後、「なんだよクロウ、俺達4人でサテライトを制覇するって言ったじゃねぇか」と金色の眼を細めて俺を見た。凍りつくような視線だった。その顔には寝不足の印である隈がはっきりと浮かんでいたのを思い出す。ああそうだ、睡眠不足は人を異常にする。
「お疲れ、鬼柳」
「あぁ」
そうやって返事を返した鬼柳は、体は憔悴しきっていたが眼だけは不気味に爛々と輝いて見えた。思わずはっと息を飲む。「どーしたの、クロウ」力なくへらりと笑って見せた鬼柳は、まさに自暴自棄になった人間のそれと良く似ていた。酒に溺れた奴、薬に溺れた奴……。薄汚れた世界に住んでいるからこそそこら辺に転がっている「異常」に俺は戦慄した。
「どうしたんだよ、鬼柳」
「んー……」
「……酔ってんの?」
「どっちかってーと、ラリってんのかも、なぁ」
なんかスッゲーいい気分、と恍惚として言う鬼柳に、俺は胸を抉られる痛みを味わった。酷使された全身の痛みがピークに達し、それを抑えようと快楽物質が駆けずり回っているのだろう。バカ野郎、まじでヤられてやがる。とりあえず鬼柳をソファに運ぼうと「ほら、おきろよ」と声をかけ、肩に手をまわすが、脱力した人間の全体重を支えるのはさすがに苦戦した。こんなとき、ジャックのような体格があればと悔やまずにはいられない。だが慢性的な栄養不足ではそれも高望みだった。
「休めよ」
ようやく鬼柳をソファの上に落とすと、腕を引っ張られてそのまま覆いかぶさってしまう。その掌の温度に、心臓が縮み上がりそうになった。まるで氷にでも掴まれたようだ。だが、俺の表情が強張ったのを見ていなかったのか、それとも知らぬふりをしたのかは解らないが、そのまますっぽりと鬼柳は俺を抱きこみ、背中に手を伸ばして「クロウ、しよ」などと囁いてくる。背中側から進入した指が背骨をなぞるのをそれこそ背筋が凍る思いをしながら、俺はなんとか密着した体を鬼柳から引き剥がした。
「ぜってーお断り。まず寝ろ」
「つめたい」
鬼柳も断られるのはわかっていたのか、大して落胆もせず代わりに更に深く抱きしめた。「じゃあ、さ」触れた皮膚から体温がどんどん逃げていくのがわかる。「一緒に寝てくれよ。いいだろ」流石に重いのか少し絞られた声が聞こえた。それとも、震えを誤魔化しているのか。
「……わかった」
「サンキュー、クロウ」
こうなりゃさっさと寝てしまおうと俺は体制を変え鬼柳の横に寝転んだ。胸に顔を押し付ける。心臓の鼓動に少しだけほっとした。クロウってあったけぇなぁ、子供体温なのかな。うわ言のように喋り続ける鬼柳はまだ寝る気配を見せない。おかげでお前が冷たいだけだ、とは言いだせなかった。代わりに眼を閉じる。全身を包む冷たさは心臓にまで到達して、俺は狭いソファの上で肩を丸めるしかなかった。おやすみクロウ。髪を撫でていた手が止まる。
「……つめたい」
夢うつつの中に滲んだ二度目の言葉は、はたしてどっちが言ったのかわからなかった。あるいは、両方か。俺のとった態度は明らかに冷たいと思える仕打ちだったし、鬼柳の肌の冷たさは今も俺から体温を奪い続けている。だからといって離れるなどということはそもそも考え付かなかったし、たった一つの呟きを言及するつもりも弁明するつもりもない。愚かだと思うか。思うならばそれは間違っている。言うならばこれは、全く対等なワン・フォー・ワンだ。
100508
参加
LOVE DELIVERY!!
拝借
capriccio