蕭蕭



クロウの耳に聞こえてくるのは、ひどい音をたてている雨粒と遊星がデュエルディスクを修理している音だけだ。今朝、鬼柳とジャックが軽い口論をして暴れた後をそのままにしているから、部屋は荒れ放題だった。原因はちょっとした意見の食い違いだ。なにもここまで、とクロウは思ったが遊星は黙秘を貫き通した。その沈黙がますますクロウの不安をせきたてる。遊星は無言の圧力でクロウに真意を問おうとしているように思えた。
お前はどちらの味方なのかと。
口論の原因は今朝の作戦会議だった。今回はチームの残党狩りを目的としており、囮をかってでたのはクロウだった。ジャックはそもそも囮に反対した。「なぜ囮なんぞを使わなければならない!クロウには無理だ、狙われてもよいのは俺かお前だろう!」机をどんと叩いて鬼柳につっかかったジャックに二人は固まった。鬼柳だけが同じく声を荒げて椅子から立ち上がった。「そっちのがチームの力を分散させられる。それにクロウじゃ無理だって?俺のチームの鉄砲玉を錆びつかせるつもりか!」長身の男二人が繰り広げる応酬に遊星もクロウも口を挟めなくなってしまった。キレると手におえない欠点を互いにもっていた二人はやがて胸ぐらを掴み、殴りあう一歩手前まできてしまった。これにはクロウも仰天し、動揺した。今までこんなにひどい喧嘩は初めてだった。二人が異常に興奮しているのも訳がわからない。まるで今まで蓄積されたものをすべて吐き出すような口汚い喧嘩だった。
「ジャック、鬼柳!やめないか!」
遊星まで珍しく一喝するくらいだった。その言葉に先に興をそがれたのはジャックの方で、「見損なったぞ、鬼柳」と捨て台詞を残して荒々しくでていった。鬼柳の方も、遊星の視線にいたたまれなくなったのか足早に部屋をでていく。クロウと遊星だけが残された。遊星はまだ肩で息をしている。静かな室内でに響く水音で、ようやく雨が降っていることに気がついた。
「なぁ、遊星、なんであいつら…」遊星はちらりとクロウをみただけだった。「ジャックは」床に倒れている椅子を元の位置に戻す。「クロウを心配したんだ」遊星は調整の途中だったデュエルディスクを引っ張りだしてきて工具を手に取った。
「…俺だって戦える」
遊星は作業に取りかからずずっとデュエルディスクを眺めていた。クロウは遊星からそれをひったくった。
「この前のが原因かよ。確かに油断したけど、ちゃんと倒したじゃねぇか」
「……」
遊星は目を伏せた。本当は油断ではなかったのはクロウが一番知っていた。相手は年端もいかぬ少年で、おまけに最初はおびえて戦意がほとんどなかった。クロウは一瞬だけ気を緩めてしまった。いつまでこんな意味のないことをしなければならないんだ?その疑問がクロウの攻撃の手をゆるめた。それを見て取った相手は急に反撃に移ったのだ。鬼柳が来なければ負けていたかもしれない。ジャックはそのことを心配したのだろうか。
「クロウは、迷ってるんじゃないか」
今度はクロウが言葉に詰まる番だった。
「俺は、このチーム全員を信じたい」そしてこうつけ加えた。「だが、いったい誰が正しいのかわからないんだ」

半時もすると、クロウはチームに鬼柳がいないことが心配でそわそわしてきた。そもそも、ことの発端はクロウなのかもしれないのだ。俺がでしゃばらなければ、二人は争うこともなかったかもしれない。そう思うと、クロウは心が痛んだ。そしてこんな雨の中、なにをしているんだろうと気になった。風邪でもひいたらどうするんだ。
スラム街で暮らす彼らにとって、怪我と病気はなによりも大敵だった。孤児院時代、悪質な風邪をひいた遊星を看病しているときは、心配でこっちのほうが死にそうだった。遊星、なおるの、なおるよね、とクロウはマーサに何度も聞いた。マーサは治るに決まってるさ、と頭をなでただけだった。薬は手に入らなかったから、マーサの献身的な世話で遊星は回復したようなものだ。もしも自分が彼女の立場だったら、同じように病人を治せる気がしない。彼女の手は特別なのだ。自分のごつごつした男の手と、マーサのあたたかな女の手とは違う。面倒をみている子供たちも、本当は母のような柔らかなぬくもりを求めているのではないかと思うと、気持ちは沈んだ。
クロウは、環境のせいもあって無知で、無力な子供だと自覚していた。遊星は同じ年にしてすでに機械に精通していたし、ジャックは、相手を懐柔させる話術と知識をもっていた。クロウはといえば、マーサのまねで遊びに来る子供たちの面倒をみてやるだけでやる。子供を喜ばせる遊びは知っていても、生きていくのにはたよりない。文字もろくに読めない。
俺にできることってねぇよな。
クロウはたびたび遊星に愚痴をこぼした。ジャックに言うのはなんだか気が引けた。遊星は優しいから、クロウの話をちゃんと聞いてあげて「そんなことはない」とクロウが弱気に卑下するときはかならずそれを否定した。「クロウは優しい。子供たちの面倒をよくみてるし、それに話もおもしろい。俺にはできないことだ」遊星はそういったものの、どうしてもそれが自分の美点だとは思えなかった。優しいといったら遊星もクロウに負けないくらい優しい。遊星は子供好きだった。話がおもしろいというのも、客観的にみても話術を心得ているジャックのほうがおもしろかった。
それだから、幼かったクロウはだんだん荒れたのである。小さいながらも友人に対するれっきとした劣等感だった。
額に初めてマーカーを刻まれたとき、その二人の友人はまるで自分が傷つけられたかのように心配した。「クロウ、もう盗みなどするな。俺にまかせろ。俺たちはいつかシティへいくんだ」ジャックは年長者らしくクロウを叱りながらも慰めた。そしてデュエルの才をアンティ・デュエルにつぎ込み始めた。「後もう少しだけ待ってくれ。絶対、俺はお前にいい暮らしをさせてやる」金を稼ぐために、遊星はますます機械と向き合い続けた。クロウはいつも一人だった。子供たちの面倒をみていてもクロウはいつも孤独を感じずにはいられなかった。なにも持っていないのはクロウだけだ。才能も夢すらも。
そんな時に鬼柳京介と出会ったのである。


「俺、鬼柳を探してくる」
クロウは遊星にそう告げてアジトをでた。珍しく遊星は止めなかった。ただ気をつけろよ、と忠告した。クロウは鬼柳がいそうなところを洗いざらい探し始めた。思いつくところはすべて探したが鬼柳はいっこうに見あたらない。だんだん焦ってきている気持ちを抑えてクロウは探し続けた。いない。ここにも、いない。どこにも。街は相変わらず不気味なほど静かだ。鬼柳をどこかに飲み込んでクロウを監視し続けているモンスターのようだ。あらがうな、とそいつは言っている。無駄なあがきだと笑っている。そんなことはない、とクロウは叫び出したかった。鬼柳は俺たちに生きる希望を与えてくれた。今もそうだ。その気持ちは変わってなんざいねぇ!クロウはぎっと灰色のビルを睨みつけた。雨が目に入る。ひりひりとしみた。目は熱いのに、冷えていく感覚が脳から全身に広がっていく。頭の中の冷静な部分は自分自身の盲信に冷めきっていた。
それなら、ほんとうにそのままなら今朝のような罵りあいはなかったはずだ。
クロウは、確かに一時抱いたはずの希望がすっかり諦念に変わっていたことを認めたくなかった。今の鬼柳は、夢がない、からっぽの男だった。まるで空気の抜けた風船だ。それはこの街のせいだ。なにもかも奪い取ってしまう、巨大な魔物のせいだった。サテライトに立ち向かい、そして今この街に飲み込まれようとしている男。彼を助けたいと思った。だがどうやってとめればいいのかわからない。彼をふたたびまっすぐに戻す方法がおもいつかなかった。
「……クロウ?」
突然背後から声をかけられ、クロウははっと振り返った。鬼柳が立ちすくんでいた。「おまえ、なにしてんだよ」鬼柳がクロウの腕をひっぱった。「風邪ひくだろ」そうやってビルの中にクロウを押し込んだ。クロウは一言も口を利くことができない。何を喋ればいいのかわからなかった。ただ、鬼柳の服があまり濡れていないのをみてああ探し損で、おまけに濡れ損だとぼんやり思った。体が凍えていた。おそらく思考も。
「…俺を捜しにきてくれたのか」
クロウは頷いた。「そっか、ありがとな」鬼柳はクロウのにボロの毛布を渡した。
「これで体ふけよ」
「……サンキュ」
毛布はごわごわとしていて心地のよいものではなかったが、クロウは黙って髪を拭き体を拭いた。すぐに水分を吸って重くなったそれをたたむと鬼柳が手を伸ばした。クロウは一瞬迷って結局毛布を返した。鬼柳はそれで少しだけ濡れた頭を拭き、床に投げ捨てた。
「…鬼柳」
「ん、なんだよ」
「…その……」
言葉が続かない。ここではじめて、クロウはなんのあてもなく鬼柳を探していたことに気がついた。鬼柳を見つければ、都合のいいように解決するんじゃないかと思っていた。これは惰性だ。
「…今朝のこと?」
鬼柳はふっと笑った。
「俺もジャックも頭に血が上りやすいからな。反省してる」鬼柳は前もって用意していたような言葉を喋りだした。「けど俺は間違ったことを言ってない。クロウは強い。俺はそんなお前を信頼している」
「それは嬉しいけど……」
「わざわざ探しにきてくれたのは、やっぱり俺の味方なんだろ?そうだよな。信頼すべきは友だ」
鬼柳はなおも穏やかに喋った。だが、クロウは背筋が凍り付く思いがした。なにか、食い違うような。鬼柳はとんでもない勘違いをしているんじゃないか。そしてそれは思ったより深い溝なのではないかという悪寒。

「わかってないのはあいつらの方だ」

心臓を捕まれた気がした。違う、とその場で反論できなかった。クロウの言葉は喉まででかかって、止まった。消えてしまった。そして永遠に復活することはなかった。なぜなら、それは、クロウがずっと、それこそ昔から思っていたことだったからだ。
「あいつらはさ、クロウが大事すぎんだよ。そのせいでお前の意思を殺しちまってる。あのチームは強いから俺が盾になる。囮なんて危ないから俺が代わりになる。……お前は、それで不満に思ったことは一度もないのか?そんなんで満足できんのか」


「お前はそれでいいのかよ」
それはクロウが鬼柳京介という人間に傾倒した瞬間だった。たった数回の会話だけで鬼柳はすぐさまクロウの孤独を見抜き、それでいいのかと問いかけた。「人形みたいな顔をするな!」鬼柳はクロウの手をしっかりつかんで離さなかった。「俺は、お前に夢も才能も与えてやれねえが、少なくとも同じ景色をみることはできる。お前の目線にたってやる。クロウ。俺はお前の味方だ。だからそんな顔するな」
その言葉は乾いた土地に降り注ぐ慈雨のようにクロウにしみこんだ。優秀な幼なじみたちとの間に広がる差がどうしても耐えられなかった。自分はなにもできやしない人間だ。そう思ってふさぎ込んでいたクロウの気持ちを鬼柳は救いあげてくれた。引き上げてくれた。同じ目線に立ってくれると言ってくれた。「俺も、何ももってねぇからっぽな人間なんだ」そう言って鬼柳は苦笑した。「だから俺はお前の気持ちがわかる」それがとどめだった。クロウは同情でもなく、ただ自分の苦痛をわかってくれる人間をのぞんでいたのだ。
クロウが鬼柳と知り合い、またその繋がりで遊星とジャックも鬼柳と交流をもつことになった。実はクロウはそのことについて心配していた。彼らはすばらしい友人だ。だから鬼柳が自分を捨て彼らの元にいってしまわないか不安で仕方がなかった。実際にそれは杞憂に終わった。鬼柳はチームを愛したがクロウを一番に愛してくれた。鬼柳のフォローによってクロウはだんだんと自信がついてくるのを感じていた。鬼柳は俺を頼りにしてくれる。だから彼の期待に応えなければならない。報わなければいけない。クロウはどんなことでもやった。それがチームに、鬼柳にできる最大のことだと思ったからだ。


鬼柳はやはりクロウのことを思っていた。そして遊星やジャックもクロウのことを思っていた。鬼柳はクロウを同じ痛みを抱えた同士として信用し、二人の過保護でクロウの意志が奪われないかと心配した。二人はクロウを同じ境遇で育った仲間だとして信用し、鬼柳の無茶な要求でクロウの体が傷つかないか心配した。思いの強さは同一である。思われる方向が違うだけだ。まったく違う方向から同じ質量をクロウはぶつけられていることに気づいた。そして彼らはお互いの思惑を理解していなかった。戸惑い、クロウはうろたえた。というのは、彼らの思いに答えるためには片方の思いを砕くしかなかったからだ。だから鬼柳に問いかけられた質問をクロウは返せずにいた。
沈黙をどうとったのかわからないまま、鬼柳はまた息をふいて「雨、やまねぇな」とつぶやいた。相変わらず土砂降りである。クロウはこの雨が、いつまでもふりやまず、だんだんビルとビルの間を埋め尽くして、そうして永遠に遊星とジャックに会えない予感がしてきていた。



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