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おい、悪魔、と呼ぶ声でジャックは目を覚ました。頭ががんがんする。「おい」「起こしましょう」鉄が引き攣れる音がしてがしゃん、と扉が開いた音がした。ジャックが閉じ込められている檻の中へと入ってくる天使が見えた。どうやら気絶した後ここに運ばれたらしい。「何のようだ」ジャックが聞くと天使たちは業務的に答えた。
「審問の時間だ」
審問。ジャックはその言葉を苦々しく噛み締めた。死に物狂いで絶えて、結局浄化されるのか。
「ユーセイは」
天使は黙ったままだ。情報を与えられていないのだろう。ジャックは今だ痛む頭を我慢して立ち上がった。鎖につながれていた両手に枷がはめられる。ああこれではどうにもならないと、とジャックは妙に落ち着いて考えた。以前の自分なら、ここでやけくそとばかりに暴れまわり浄化されたほうがマシだと考える悪魔だった。天界に長らくいたせいで感化でもされたか?ジャックは天使に剣を突きつけられながら檻を出て移動する。

長い階段を抜け素晴らしい装飾を施した大広間を通り過ぎる。光に溢れたそれらの場所はジャックには眩しすぎて目をつぶって歩きたいくらいだった。ここに比べればジャックが遊星に軟禁されていた部屋はまだ普通の部屋だったと思えた。
そういえば遊星はどうなったのだろう。
ジャックを捕らえたあの銀髪の天使と遊星は知り合いのようだった。ならば、一歩出し抜かれたか。ジャックは己の不手際に笑いそうになった。浄化の光を浴びせられたのに腕の痣がまだ消えていないのだけがジャックの救いだった。どうせ消えるなら、この痣と共に消えるのも悪くない。
「ここだ」
天使が今まで通ってきたどの扉よりも大きな扉を開けた。ジャックは思わず目を細める。その部屋の中には、数人の天使と、椅子がひとつぽつんとあるだけだった。ここがジャックの死刑場といったところだろうが、死というには似つかわしくないやけに明るい部屋だった。ジャックが入るのに躊躇していると後ろから天使がどん、と押した。舌打ちしながらジャックはしぶしぶ足を踏み入れる。
「ご苦労様です。扉を閉めてください」
天使の中でも一際異質な男がそう指示するとジャックを連れてきた天使たちは一礼して扉を閉めた。口調は丁寧だが、体の殆どを布で隠した天使だ。仮面を被っているため表情は見えないが、透き通るような青い目をしていた。天使は自分を熾天使、ゾーンだと名乗った。
「座ってください。ジャック」
「何故俺の名前を知っている」せめてもの抵抗とばかりにジャックは憎らしげな態度をとってみせた。ゾーンはそれに取り合わずジャックを座らせた。痣をなぞられてジャックは鳥肌がたったが、触るな、と牽制するとやがて手は離れていった。側近の天使たちがジャックの椅子の周りを取り囲む。あのジャックを捕らえた銀髪の天使もいた。「ユーセイを知っているか」「悪魔に話すことなんてねぇよ」銀髪の天使はつっけんどんに返した。さすがに仲間を堕天させようとした悪魔などと話したくはないらしい。「随分なサービスだな」というジャックの呟きにはゾーンが「貴方の力は強大ですから」と一言だけ説明した。
「何か言うことはありますか」
「ないな」
「では」
ゾーンがジャックの額に触れる。それだけでジャックは気が狂いそうな痛みに襲われた。「ひ、あ、ぁぁぁああッ!!」ジャックはかっと目を見開き、浄化の力を振り払うように暴れた。それを周りの天使が結界で封じ込める。額に焼き鏝を押し付けられ、その熱が全身を喰らいつくそうとしているような感覚に陥った。消える。心のうちからわきあがる未知なる恐怖にジャックはただ喘ぐしかできない。視界の端で、あれだけびくともしなかった龍の翼をかたどった痣が消えていくのが見えた。もう悲しみの声すらでなくなっていた。
やがてジャック全身を弛緩させうなだれる。結界が解かれジャックは床にずるずると崩れ落ちた。「ど、どういうことだ」天使がざわめきはじめた。

通常は、そこで消えるはずだった。力をすべて無くした悪魔は自らの体を保てなくなり、霧散して、存在を抹消されるはずだった。だが、この悪魔はどうだ。まだ人の形を取り続けている。そして、何よりも天使たちを驚かせたのは、
「は、羽が……!」
ジャックの背中に、小さいながらも白い羽が生えていたのだ。禍々しい悪魔の羽ではなく、まさしく天使のもつ羽だった。それを認めた瞬間、一番最初に動いたのはゾーンだった。「ジャック!!」ゾーンはジャックに駆け寄るとジャックを担ぎ上げた。そして仮面を勢いよく脱ぎ捨てた。その下から現れた顔に天使たちが驚愕する。あの顔は、ゾーンのものではなく――。
「ゆ、遊星…!?」
鬼柳がその顔をみて叫んだ。
「すまない、鬼柳!だが俺は…ッ!」
遊星はそういうと3枚の大きな羽を広げた。この場の天使たちを全員打ち倒してでも遊星はジャックを守るつもりであるのは明白だった。天使が慌てふためくなかで鬼柳だけが冷静だった。「お前ら!黙れ!」鬼柳は一喝し「見ろ!」とジャックを指差した。
「こいつはもう悪魔じゃない」
「き、鬼柳……」
戸惑う遊星に鬼柳はウインクをしてみせた。「ここは俺に任せとけって」そうしてどんと遊星の背中を押した。
「鬼柳、すまない…!」
「お前の覚悟にやられたよ。かっこいいじゃねえか」
ジャックを抱えた遊星が扉の奥に消えるのを見届けてから鬼柳はゆっくりと振り向いた。「さて…」と今だ状況をわかっていない天使を見渡す。
「あいつらを追うってなら、まずこの俺を満足させてくれなきゃな…?」
ひ、と一人の天使が息を飲む。ぎらぎらと燃え滾る金の目が飢えた獣のようだったからである。戦いのエキスパートである能天使をまとめる彼らの上司、カマエルにも似た闘志をたぎらせ鬼柳は不機嫌そうに呟いた。
「つーか…なんで悪魔なんか選ぶんだよ遊星は…。というわけで俺ものすごいムカついてるから手加減できねぇかもしれねぇけど、そこんとこ頼むわ」



「遊星!!よかった、無事だったんだね!」
扉から飛び出してきた遊星にラリーはそう言葉をかけ、続いて遊星が抱えているジャックに目を移し「えっ!」と驚いた。ジャック、消されなかったんだ!!それに、なんか羽が生えてる!と目を白黒させるラリーに遊星はただ一言「世話になった」と言った。
「どうしても行っちゃうのか……?」
「行くんじゃない」出るだけだ、と遊星はラリーの頭を撫でた。「ほとぼりが冷めたら会いにいくさ」
「俺も会いに行く!!」
ラリーが大きく頷いた。「遊星、後のことは任せてくれよ」それから、自分の胸をどんと叩いた。
じゃあ、と遊星は羽を羽ばたかせる。

「遊星、また、会えるよねー!!」

ラリーはそう手を振った。「あーあ、行っちまったか」その声にラリーが振り向くとちょうど鬼柳が追いついてきて空に消えようとする二人を眺めているところだった。
「今から追いつけるかな」
「ダメだよ」
「だよな」
さびしい?と聞いてみたかったが、この男はきっとはぐらかすだろうと思った。だって、自分だってさみしいけれど、後のことは任せてって、約束したから。
「遊星は後悔してないよ。きっと」
「わかってる。だから俺も手を貸した」
「…ねぇ、ひとつ聞いていいかな?」ラリーは先ほどからずっと疑問だったことをたずねた。「ジャックに天使の羽が生えてたように見えたんだけど」
「あー…それ全然わかんねぇ。愛パワー?」なんか鬼柳が言うとやだな、とラリーは顔をしかめた。鬼柳はそれにしばらく打ちのめされたように震えていたが「あーあ、遊星羨ましすぎる!俺にも出会いくれ!」と叫びそれからラリーに向き直って「ラリー!」とがっしと腕をつかんだ。わ、とラリーはのけぞる。
「お前も来い!」
「え、え、何処に行くんだよ!」
「地上だ!」
もしかしたら出会いがころがってるかもしれねぇだろ!?と鬼柳はラリーの手を掴んだまま飛び降りた。ちょっと俺、まだ飛べないんだってばああー!!とむなしいラリーの叫びがこだました。が、それだけだった。あとは風の音にまぎれて、何も聞こえなくなったのである。数分後、鬼柳にこてんぱんにしてやられた天使たちが、怒りを叫びながら鬼柳の姿を探し回っていったのは、また別の話だが。



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